特別座談会28オリンピックデー・フェスタの10年 ̄杉本 自分は阪神大震災を経験しているので、〝オリンピックできちんと勝って、被災地のために何かしたい〟っていう思いを強く持っていました。こうした活動って、参加者たちはその時間は楽しいけれど、終われば現実に戻るということを、はっきりわかっているんです。だから、私の場合〝(やって)いいのかな〟という気持ちではなく、〝被災地の人たちと一緒にスポーツができる。オリンピックに出られてよかった〟という思いで参加しました。馬渕 私は震災から少し時間が経った2014年からの参加です。被災地のために何かできることはないのかなって思いはあったのですが、それまでは現役だったので、なかなかそういう活動に行けなくて。 実際に参加して、被災地の方たちが笑顔になるのを見て、自分にもできることがあるのかなって思いましたね。運動会という形で行うので、子どもたちも取り組みやすい。ゲームでは敵として熱く戦うけれど、終わってみれば楽しかったって笑顔になれる。だから、私たちアスリート側も楽しいし、参加者にも同じように楽しんでもらえることがいいなってすごく感じました。齋藤 大玉転がしとかね。て本当にいいのか、とすごく悩みました。でも、実際に現地に着くと、〝終わったらまた元の苦しい時間に戻ってしまうかもしれない。せめてこの時間だけでも楽しんでもらえるようにやるしかない〟と、気持ちが切り替わった。それがうまくいったかどうかはわかりませんが、〝自分に今できることはこれなのだ、と思ってやろう〟と考えたことは今もはっきり覚えています。中村 私は印象に残っていることといいますか、参加者の方から「来てくれてありがとう」という言葉をもらったとき、本当にやって良かったっていう気持ちになりました。参加者の笑顔、参加者からかけてもらった言葉、こうしたことでむしろ、アスリートたちがパワーをもらうんですね。田中 私もそれ、感じました! 自分に何かできることはないか、パワーを届けたいという気持ちで足を運んだのに、気がつくと私自身が楽しくて、パワーをもらっていることの方が多く、帰り際に少し反省する、みたいな…(苦笑)。でも、地元の人たちから手を握られ、涙ながらに「来てくれてありがとう」という言葉をもらうたびに、〝またこのデー・フェスタに参加したい〟と、心から思うんですよね。スポーツをやっていいのだろうか互いに戸惑いの気持ちがあった――まずは初めて参加したときのこと、これまでのデー・フェスタでの印象的な出来事など、お聞かせください。中村 私は震災年度の雪上デー・フェスタに初めて参加しました。最初は被災地でどんなふうに接していいのか、わからなかったですね。スポーツをやれる環境もないのに、どのようにスポーツを伝えたらいいのか…。本当にわからなくて、正直戸惑いました。大山 確かに最初の頃、大人はもちろん、子どもたちもスポーツをすることに対して罪悪感を感じているような、心から楽しめていないのかなと感じるときがありましたね。齋藤 私もそれを感じましたね。201 2年から参加させてもらっているのですが、初めて参加したときは、楽しんでくれているのかどうか、わからなかった。年を追うごとに、楽しんで帰ってもらえた、って感じられるようになりました。小野寺 私は閖上地区(注1)でのデー・フェスタがとても印象に残っています。被害の大きかった地域だったので、そこへ私が行き、運動会のようなことをやっ2013年10月6日 閖上(宮城)2013年11月15日 飯岡(岩手)2012年1月22日 猪苗代(福島)(注1)宮城県名取市閖上。仙台市の南に隣接した地域で、名取川河口の閖上地区は住宅密集地であったことから、甚大な被害を受けた
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