オリンピックデー・フェスタの10年
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20オリンピックデー・フェスタの10年 ̄スポーツはより良い未来をつくるツールその象徴がデー・フェスタだった元・担当者宮城県柴田高等学校校長 土生 義弘 震災当時、私は県庁の職員として宮城県の復興支援計画に携わっておりました。その際、なんとしてでも計画に入れたかったのが、『スポーツ』という文言でした。しかし時節柄、「こんなときにスポーツなのか」というご意見をたくさんいただきました。それでも、県が定める計画に習って市町村は動きます。粘り強く伝えた結果、それが叶い、オリンピックデー・フェスタが実現しました。 第1回目となるスタートは、仙台市陸上競技場と、東松島/鷹来の森運動公園野外運動場で同時開催されました。たくさんの住民に集まってもらいたいと思っておりましたが、震災の直後ということもあり、参加者の数はそう多くはありませんでした。しかし、オリンピアンとふれあった子どもたちはみな、輝くような笑顔を見せていました。あの日、〝この笑顔は生涯の宝物になる〟と私は感じました。 その1回目に参加した子、また石巻市で開催された大会に参加した子が本校の学生におり、懐かしく思い出話をすることもあります。この二人同様、デー・フェスタで育った子どもたちはきっと、スポーツに親しみ続け、大きく成長していってくれていることでしょう。参加した子どもたちの心に、このデー・フェスタの記憶が無形の財産となって、いつまでも残っているに違いありません。 ある保護者が私に言いました。「オリンピアンって哲学者ですね」 みんなそれぞれに自分の信念、そして世界観、価値観を持っていて一つひとつの話に哲学を感じたそうです。そう思うくらい、オリンピアンのみなさんは憧れの存在です。しかし、輝かしい業績の陰にはたくさんのご努力と、星の数ほどの悔しさがあるはずです。その結果、栄光の座をつかんだのがオリンピア城県宮開催地から

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