OLYMPIAN2019
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02河瀨 直美(映画監督)1988年春、初めて「映像」というものに触れる機会を得た。それは、ブラウン管の向こう側やスクリーンの向こう側に存在する「特別なもの」というよりは、もっとプライベートな人間としてとても大切な何かを探し当てる旅の始まりだったのかもしれない。その初めて手に触れた8ミリフィルムカメラが捉えたものは、道端に咲く普通の「赤いチューリップ」だった。フレームを合わせ、ピントを合わせ、シャッターを押した。カタカタカタと音を立てておちてゆくフィルムには、そのときそこにしか存在しない光が焼き付けられる。後日現像から戻って来たフィルムを映写機に装填し、暗闇で映写した時、わたしの中に稲妻が起こった!これは「タイムマシーン」だ!とにかくそのときのわたしは、もう二度とわたしの前に現れない「今」が「過去から再びやってきた!」と驚き、その驚きと喜びを積み重ねて紡がれるものこそが、人と人を結びつける素晴らしい映画になるのだと悟った。その想いはあれから30年経った今も変わらない。そうして、最初はドキュメンタリー映画から始まったわたしのフィルモグラフィは、やがてフィクション劇映画へも昇華され、気付けばこの30年で劇映画10本、ドキュメンタリー映画18本、短編19本と積み重ねられ、「映画」は人生を豊かなものにしてくれる「もうひとつの人生」として、在る。映画と出逢う前のわたしはバスケットボールに打ち込む学生時代を過ごし、高校時代は国民体育大会の選抜メンバーとして活躍していた。そして迎えた現役最後の試合で、残り時間がタイムボード上で刻一刻と少なくなってゆくのを見つめていると知らず知らずのうちに涙が溢れて止まらなくなってしまった。コーチからは「負けている試合で泣くな!」と叱咤されたが、負けて泣いているのではない、時間が通り過ぎてゆくことを止められない無力さを説明できなかった。ヒトにはどうしようもできないことがあるのだということを悟った瞬間でもあった。その半年後、わたしはカメラと出逢うことになる。このたび、長い歴史を誇るオリンピックというスポーツの世界大会を56年ぶりに東京で開催するにあたり、自身に与えられた役割を考える時、あの時の想いが脳裏をかすめる。自らが学生時代にすべてをかけていたバスケットボールの引退試合。「時間」を止めることができない無力さ。しかしその時間を蘇らせることのできる「映像」に出逢い、それを昇華し、30年かけて築き上げたキャリア。その上に今回の役割があるとすれば、あの日わたしの元に舞い降りて来た「映画の神様」は、スポーツを通して人々がつながり合う祭典を記録する東京2020オリンピック公式映画をこそ、この世に遺す機会を与えてくれたに違いないと、今、感じている。「時間」を記録し、「永遠」と成し得るドキュメンタリー映画の魅力を最大限に活かし、東京2020大会の意義を世界に伝えたい。スイス・ローザンヌのIOC本部にてバッハ会長と ©2019 IOC/Greg Martinオリンピックを映像で描く意義
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