OLYMPIAN2013
34/36
34家族が喜んだ銅メダル——初めてのオリンピックの印象はいかがでしたか。奥原 テレビで見ていて、4年に1度すごく盛り上がっていて、特別な場所だと思っていましたが、実際に戦ってみると意外と身近に感じました。次の東京オリンピックでは特別に感じるかもしれないですけど、今回は変なプレッシャーを感じることもなく、違う競技の選手たちの活躍を見ながらパワーをもらってリフレッシュできたと思います。——表彰台に上がった気分は。奥原 一番上に立ったときがうれしいものですし、表彰台ではチャンピオンが主役なので、悔しかったです。(3位決定戦では不戦勝で銅メダルを獲得したが)もう1回試合をしたかったという寂しい気持ちもあります。複雑な思いで得た銅メダルでしたけど、終わって家族にかけてあげたときに、すごく喜んでもらって「よかったな」と思いました。自分だけでとった銅メダルではないので、これからみんなに報告をして銅メダルの重みを感じられたら、自分自身でもよかったと思えるかもしれませんね。——大きなけがも2回ありました。辛いときに支えになったものは。奥原 高校で1歳下の男子生徒のお母さんが、病院にお見舞いに来てくれたことがありました。年に2、3回しか会わないにもかかわらず、わが子のように心配してくださって、病室で涙も流してくれて、「せっかく復帰したのに、つらいね」って言っていただいたときはぐっと込み上げてくるものがありました。私には応援してくれる人がたくさんいるんだって思ったら、けがでくじけてられないと思いました。父からずっと「感謝を忘れるな」と言われていましたが、私は感謝の2文字を軽く考えていたような気がします。けがをして何もできないときに、家族だけではなく、歩み寄ってくれる人がこんなにいるんだと感謝しています。何事にも全力を尽くす——コートに入るときにつぶやいていますが、何と言っているのですか。奥原 まず、「この舞台に立てることに感謝して、思いっきり楽しもう」と言っています。——で、「よしっ」って。奥原 はい。最後に「よしっ」て(笑)。——それはいつから。奥原 けが明けのヨネックスオープンに、3年ぶりに出たときからです。日本のファンの皆さんの前でプレーできる数少ない試合なのですが、それまで、けがで観客席から悔しい思いをしながら見てきました。やっとコートに立てることが本当にうれしくて、そういうふうにつぶやいたのがきっかけです。目の前の1球に集中し、自分を落ち着かせる意味もあってその後もルーティンにしています。——バドミントン界が全体的にレベルアップしてきました。子どもたちも奥原選手に憧れを持って競技に取り組むと思います。奥原 先陣を切ってスエマエさん(末綱聡子選手・前田美順選手組)が(北京オリンピックで)ベスト4に入って、「日本人でもできる」という可能性を広げてくれたと思います。 今回はダブルスで先輩たち(髙橋礼華選手・松友美佐紀選手組)が金メダルをとり、私もシングルスでは初のメダルをとることができました。私のように小さくても勝てるっていうことを証明していきたいです。 バドミントンだけではなく、勉強や目の前に取り組むべきことがあるときに、手を抜いてしまうとどこかで悪い結果につながる。だからこそ、何事も全力で自分の力を出し切り、プレーヤーとしても人間としてもみんなの見本となるような選手になりたいです。奥原 希望(おくはら・のぞみ)1995年3月13日生まれ。長野県出身。小学2年からバドミントンを始める。2011年全日本総合選手権優勝。12年世界ジュニア選手権女子シングルスで金メダルを獲得。13年に左ひざ、14年には右ひざを故障し手術。復帰後、15年全日本総合選手権、スーパーシリーズファイナルズ、16年全英オープンで優勝。16年リオデジャネイロオリンピックでは女子シングルスで銅メダルを獲得。日本ユニシス(株)所属。バドミントン奥原 希望Nozomi OkuharaText:編集部/Interview:岩本勝暁/Photo:PHOTO KISHIMOTO、岩本勝暁(Interview)感謝の思いを忘れずに
元のページ