OLYMPIAN2013
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33銅メダルの悔しさ——オリンピックでの銅メダルの感想は。近藤 悔しい思いが消えません。部屋で銅メダルを見るたびに「もっとできた」という気持ちが湧いてきます。——大会の雰囲気で「これがオリンピックだ」と感じた点はありましたか。近藤 特別な試合という感じはなかったんですが、相手選手が死に物狂いだったり、勝った選手がものすごく喜んでいたり、国を背負っていることを感じました。——東京オリンピックに向けては。近藤 4年は長いです。今回、自分は実質2年ぐらいしかオリンピックレースに参加していないので、その倍だと思ったら本当に長いです(笑)。ただ、オリンピックの負けは、世界選手権で優勝して挽回できるものではないので、オリンピックの借りはやっぱりオリンピックで返したいです。この4年に1回の大会を勝てる選手は本当に強い。 とくに次は東京というのが大きいですよね。母国で開催されるオリンピックは魅力的だと思います。女子48 kg級のブラジル代表(サラ・メネゼス)選手はロンドンオリンピックの金メダリスト。敗者復活戦のラスト10秒くらいで関節技が決まってしまって骨が折れたと思うんですが、それでも我慢する姿に、母国で開催される重みを感じました。屈辱をバネにして——準決勝からすぐ3位決定戦でした。どう気持ちを切り替えたのですか。近藤 ずっと泣いていました。試合場を出る前に、準決勝で負けたアルゼンチンチームの監督が、うずくまっている自分のところまで来てくれて、「近藤、それじゃいけない。メダルがあるのとないのとでは全然違うから、もう1試合しっかり戦ってきなさい」と言ってくれたんです。それで、「確かにそうだ。頑張らなきゃ」って。もちろん南條(充寿)監督、(上野)雅恵コーチにも言葉をかけてもらっていたんですけど、すごく落ち込んでいたんです。でも、負けた相手選手の監督に言われたらやるしかないな、って(笑)。——それで、吹っ切れたんですね。近藤 それでも試合直前まで泣いていたんです。でも畳に上がって、3位決定戦で戦ったモンゴルの(ウランツェツェグ・ムンフバット)選手は今世界ランキング1位で本当に強いんです。しかもいつもと目の色が違って、「本当にちゃんと試合しないと腕が折られる!」と思いました(笑)。 結果的に、銅メダルがあってまだよかったですね。手ぶらで帰る自分はちょっと想像したくないです。でも、ムンフバット選手にしっかり勝ったことは今後柔道をやっていくにあたってよかったと思っています。——今後4年間で伸ばしていきたい部分はどう考えていますか。近藤 攻撃柔道を磨いていくしかないと思います。投げないことには一本を取れないですし。防御がうまい選手よりも大野(将平)選手のように攻めの強い選手の方が本当にチャンピオンと呼ぶにふさわしいと思うので、今後はどんな体型の相手でも投げられるように頑張ります。——東京オリンピックに向けて意気込みをお願いします。近藤 日本では遅い時間だったにもかかわらず、応援してくださった方もたくさんいて、それが後押しになって銅メダルがとれました。本当に感謝しています。でも、負けてしまったことは本当に情けないですし、投げられる姿を見せてしまったのもすごく屈辱です。次の東京オリンピックでは一本を取れるように攻撃柔道を貫き、金メダルをとれるように頑張ります。近藤 亜美(こんどう・あみ)1995年5月9日生まれ。愛知県出身。5歳で柔道を始める。2013年高校3年時に臨んだグランドスラム・東京の女子48kg級で優勝し脚光を浴びる。14年世界選手権女子48kg級で金メダルを獲得、十代にして世界チャンピオンに輝く。世界ジュニア選手権でも全試合一本勝ちで優勝。16年リオデジャネイロオリンピックでは女子48kg級で銅メダルを獲得。三井住友海上火災保険(株)所属。Interview & Text:編集部/Photo:PHOTO KISHIMOTO柔道近藤 亜美Ami Kondo攻撃柔道を磨き続ける
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