OLYMPIAN2013
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25メダルのプレッシャー——今大会はシングルスで4強まで進み、団体は銅メダル獲得でしたが、これまでの3大会との違いは何ですか。福原 過去3回のオリンピックの経験を生かすことができ、これまでより落ち着いて地に足をつけた試合ができたと思います。前回のロンドンオリンピックでは、団体で日本卓球界史上初のメダル獲得。何も知らないところに飛び込んでいくようなイメージでした。ロンドンの経験からくるプレッシャーはものすごく大きくて、自分の中で今回もメダルをとるのは当たり前という意識もありました。——ロンドンオリンピックが1年分の重みだったとすれば、今回は4年分の重みのあるメダルですか。福原 そうですね。この4年間オリンピックの表彰台に立つイメージをずっと作りながら生活をしてきたので、表彰台に立つことができてすごくうれしいです。4年分の積み重ねが全て詰まっているメダルだと思います。——シングルスではあと一歩というところでメダルを逃しました。福原 そこまでいけたといううれしさもありますが、最後にメダルを逃した悔しさが大きいですね。ただ、オリンピック直前はあまりいいプレーができていなかったので「これ以上悪くなることはない」と気持ちを切り替えられましたし、だからこそ「これで大丈夫だ」という奢りのような気持ちもなく、よりきつい練習に耐えられたと思います。——今回得られたものでこれまでと違うものは何ですか。福原 今までのどの大会よりも冷静に試合を進めることができ、私もこういうふうにできるんだという自信を得ることができました。あとは精神面でも、あれだけ調子が悪かった中でしっかりと練習に取り組んで、オリンピックにピークを持って来られたことが大きな自信になりました。支えあった仲間たち——男子の活躍にも刺激されたのでは。福原 卓球は男女ともものすごく仲がよくて。とくに水谷隼くんとは私が5歳、彼が4歳のときからずっと一緒に全国大会にも出ているので。隼が個人でメダルをとったときは自分のことのようにうれしくて、会った途端に感極まって泣いてしまいました。——福原選手から見て、一緒に戦った石川佳純選手と伊藤美誠選手はそれぞれどういう選手ですか。福原 佳純ちゃんは精神的にものすごく強い選手です。とくに今回の団体戦ではこれまで以上に強い精神力を出してくれて、「絶対に2点取ってくれるから大丈夫」と、私もノビノビとプレーすることができました。美誠は15歳ですが本当にしっかりと自分の役割を果たしてくれて。12歳年下で「お母さん」と言われるんですけど、日本中の皆さんが私をずっと見守っていてくださったように、今回は私が美誠を見守る気持ちに(笑)。これまで私を見守ってくれていた人たちの気持ちが分かりました。——そういうチームを主将として引っ張ったんですね。福原 監督は私に主将を任せてはいないと言っていましたが、私はずっと主将だと勘違いしていて(笑)。常にチームの心の温度を同じにして、2人が一番いい状態でプレーできるような環境作りを考えていました。——4回の経験で感じたオリンピックの魅力とは何ですか。福原 私にとってすごく特別で、何回出場しても戻ってきたいと思うとても魅力的な舞台です。非日常ですがとても癖になる大会。若い人たちには、ぜひこの舞台に一度立って実感してもらいたいですね。——今後、競技以外での活動は。福原 今回は大会前にダブルス合宿を仙台で行い、被災地の子どもたちにメダルをとって来ると約束したので、実現できてほっとしているし早く見せに行きたいです。また、熊本地震は大会前で行けませんでしたので、日本に帰国したら、ぜひ被災地の皆さんに会いに行きたいと思っています。メダリストインタビュー Hero & Heroine’s Voice福原 愛(ふくはら・あい)1988年11月1日生まれ。宮城県出身。3歳で卓球を始め「泣き虫愛ちゃん」として注目される。小学4年でプロ宣言。2004年アテネオリンピックで女子シングルスベスト16。08年北京オリンピックでは女子団体4位、シングルスベスト16。12年ロンドンオリンピックでは女子シングルス5位入賞、女子団体銀メダルに輝く。16年リオデジャネイロオリンピックでは女子シングルス4位入賞、女子団体銅メダルを獲得。ANA所属。Interview & Text:折山淑美/Photo:PHOTO KISHIMOTO、岩本勝暁(Interview)Ai Fukuhara仲間とつかんだ大きな自信福原 愛
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