日本オリンピック委員会(JOC)は7月19日、味の素ナショナルトレーニングセンター(味の素トレセン)で、トップアスリートの就職支援ナビゲーション「アスナビ」の説明会を行いました。
アスナビは、オリンピック・パラリンピックや世界選手権などを目指すトップアスリートの生活環境を安定させ、競技活動に専念できる環境を整えるために、企業の就職支援を呼びかける活動。2010年から各地域の経済団体、教育関係機関に向けて本活動の説明会を行い、これまでに107社/団体157名(2017年7月19日時点)の採用が決まりました。
今回の説明は板橋区、北区、東京商工会議所の文京・北・荒川・豊島・板橋・足立支部との共催で行われ、34社45名が参加しました。
最初に、主催者を代表して中森康弘JOC強化第二部長が挨拶を行いました。中森部長はこれまでアスナビを通じて企業に就職した157名のアスリートのうち、競泳の上田春佳選手、シンクロナイズドスイミングの丸茂圭衣選手、パラ水泳の津川拓也選手の3名がオリンピック・パラリンピックのメダリストになったことを報告。その上で「東京2020大会ではさらにメダル獲得を期待されており、JOCでは世界3位の金メダル獲得数を目指すという高い目標を掲げております。それにはやはり選手ひとりひとりの活躍が必要になりますし、その選手を支えていただける企業、学校、そして地域の皆さまの協力が不可欠です。今回、オリンピック・パラリンピックを目指す8名のアスリートが集まり、熱意のあるプレゼンをしますので、ぜひ期待していただきたいと思います」と、参加企業へさらなるアスリート支援を訴えました。
続いて、共催者を代表して坂本健板橋区長が「アスリートの皆さんは地域や企業の応援がなければ競技生活ができません。各企業の皆様におかれましては、ぜひ、アスリートの皆さんが競技生活を続けていく上で大変重要な要素となる生活基盤を作るためのご協力をお願いしたいと思います」と挨拶。同じく共催者を代表して登壇した花川與惣太北区長は「アスリートが経済的な不安なく競技活動に集中して取り組める環境を整えるために、社会貢献や社員の士気向上などを望む企業の皆様に対して、アスリートの支援を呼びかける取り組みについて大きな期待を寄せています」とアスナビへの期待を述べると、味の素トレセンが北区にあることから、東京2020大会を見据えて北区をトップアスリートの街として発展させていく施策などを紹介しました。
次に八田茂JOCキャリアアカデミー事業ディレクターが、資料をもとにアスナビの概要を説明。夏季・冬季競技それぞれの採用人数、採用された競技、アスリート採用後の雇用形態や給与水準、勤務スケジュールなどを報告しました。
「アスナビ」採用企業の事例紹介では、2017年4月に陸上競技の森本麻里子選手を採用した内田建設株式会社の内田眞代表取締役が登壇。トップアスリート採用の経緯や効果、森本選手が実際に工事現場に出ている様子の写真を交えての勤務状況の報告、また、大会の応援風景などを紹介しました。森本選手を採用してまだ3カ月だけに、業務内容としては「まだまだこれから」と述べた内田取締役でしたが、それでも「試合の応援を通じた社内の一体感の向上、また、社員みんなが『森本さんの調子はどうだ?』と気にかけており、社内で共通の話題が増えたと思っています」と、アスリート採用の効果を実感している様子でした。一方、課題としては応援体制を挙げており、地元の企業、商店街を巻き込んだPRを森本選手自らが行うことを計画しているとのこと。また、東京2020大会出場のための選手支援の強化も課題の1つとして内田取締役は挙げました。
続いて、オリンピアンからの応援メッセージでは、ウエイトリフティング女子48kg級で2012年ロンドンオリンピック銀メダル、16年リオデジャネイロオリンピック銅メダルの三宅宏実選手が、企業のサポートを受けてオリンピックのメダルを目指すことができた自身の体験談を語りました。
三宅選手は北京オリンピックが開催された08年にいちごグループホールディングスに入社。そこでは終日トレーニングに集中できる環境を提供され、それが北京大会出場につながったと振り返りました。しかし、メダルには届かず6位入賞に終わり、「これだけの環境を与えていただけたのにメダルを獲れなくてすごく悔しい思いだった」と三宅選手。この悔しさをバネにロンドンではついにメダルを獲得し、「会社の皆さんがすごく喜んでくれました。それが私自身とても嬉しかったですし、現地まで応援に来ていただいたことは今でもすごく覚えています。会社の皆さんのサポートがあるからこそ、私が頑張れる源になりました」と当時の思い出を話しました。
そうした自身の経験から、選手にとって何より大事なのは環境だと強調した三宅選手は、最後に参加企業に向けて「企業の皆様がいるからこそ選手は競技ができ、オリンピックでメダルを獲ることができます。選手の可能性を皆様の力でサポートしていただけたら嬉しく思います」と、オリンピックを目指すアスリートの支援を呼びかけました。
最後に、就職希望アスリート8名がプレゼンテーションを実施。スピーチをはじめ、映像での競技紹介や競技のデモンストレーションなどで、自身をアピールしました。
■森下大地選手(陸上競技)
「私の強みは新しいことに挑戦する柔軟性と発想力です。私は砲丸投げを中学1年生から始めて、今年で10年目になりました。この10年間で私は砲丸投げを通して、諦めずに努力すること、出された課題をこなすだけでなく常に色々な視点からヒントを模索し、新しいことに挑戦することが自分を大きく成長させてくれることだと経験しました。記録では現在17m90cmという自己ベストを持っており、この記録は世界大会出場まで残り3m弱まで迫っております。私は毎年自己ベストを更新していることに加え、大学から始めた回転投げはまだまだ未熟でこれから大きく成長できると思っており、十分に手が届く位置にいると確信しています。私を採用していただけましたら、常に高い目標を持ち、常に挑戦者として新しいことに挑戦する姿勢で競技に臨みます。2020年東京オリンピックに向けた挑戦にぜひお力添えをよろしくお願いします」
■毛利衛選手(水泳/競泳)
「私は2歳のときに喘息を患い、医師に水泳を勧められたのがきっかけで競泳を始めました。高校2年生のときにシドニーユースオリンピックフェスティバルの日本代表として200m平泳ぎに出場した体験から、次は世界の人々が注目するオリンピックに出場して、メダルを勝ち獲りたいという強い気持ちがわきました。私は来年、大学を卒業するにあたり、視野を広く持ち、企業に所属し、社会の一員として仕事と競技に打ち込む道を選びました。それは企業とのコミュニケーションによって私自身がさらに人として成長し、また、応援をいただくことで競技者としてもより高みを目指せ、企業に対しての貢献にもつながると考えるからです。3年後には日本一のライバルに打ち勝ち、リオデジャネイロオリンピックで途絶えてしまった平泳ぎのメダル獲得に向けて、まずは東京オリンピック出場を目標に、企業の皆様とともに一歩ずつ前進してまいりたいと思います」
■北村勇一朗選手(セーリング)
「私は小学2年生のときからセーリング競技を始め、今年で15年目になります。何度も挫折を経験しましたが、ヨットを諦めるということは考えませんでした。努力と研究の結果、高校3年生で全日本選手権を最年少優勝、大学では国体を優勝することができました。私の強みはどのようなことにも全力で挑戦し、決して諦めることなく地道な努力を続けられることです。採用していただけましたら、何事にも全力で挑戦し、決して諦めない姿勢を崩しません。そして、今まで自身が培ってきた成功や挫折の経験を生かし、企業に貢献できるように努力していきたいと思います。2020年には東京オリンピックがあり、セーリング競技はいつも練習を行っている江ノ島ヨットハーバーで開催されます。自分のホームであるため、セーリングに重要な風や波の特徴を熟知しています。海外選手より有利な部分を生かし、セーリング競技と江ノ島を盛り上げていきたいと思います」
■黒木夢選手(フェンシング)
「私の夢はオリンピック出場です。フェンシングは奥が深く、シビアな世界です。その中で私が一番大事にしていることは、前向きな考え方です。もし相手にリードされている場面でも、落ち着いて次の1点に集中し、弱気なプレーをせず、応援してくれる人のことを考えると、前向きに最後の1点まで粘り強く戦うことができます。今、私のグローブには『親孝行』という文字が入っています。それは、私が試合で勝ったときに親がとても喜んでくれることが今の私のモチベーションになっているからです。もし採用していただきましたら、企業のロゴマークをグローブに入れ、社員の皆様に応援していただける選手になれるように精一杯努力し、試合のときにはグローブのロゴマークを見て、さらに上を目指していけるように頑張っていきたいと思います。夢実現のために、私にフェンシングを全力でできる環境を与えてください」
■滝沢こずえ選手(スキー/クロスカントリー)
「私が競技を始めたきっかけは、長野県の山ノ内という日本で最もクロスカントリースキーが盛んな地域に生まれ育ち、子供のころから当たり前のようにスキーに乗っていたことです。私の強みは、苦しい上り坂ほど発揮できる気持ちの強さです。クロスカントリースキーはスキー競技の中で唯一上り坂のある競技です。上り坂はとても苦しいですが、何事も諦めない粘り強さや前向きに目標に向かう気持ちがやり抜く力になります。私を社員にしていただけましたら、社会人としての自覚と責任を忘れず、会社の一員であることを認めていただけるよう私にできる仕事は責任をもってやり遂げます。その上で私の競技を見ていただき、何事も諦めない粘り強さや、前向きに目標に向かう姿を感じていただき、一人でも多くの社員の方に応援していただける選手になれるように、さらに競技に磨きをかけていきたいと思っております」
■一戸誠太郎選手(スケート/スピードスケート)
「スピードスケートは指導者である父の影響で2歳から始めました。順調な競技生活でしたが、高校3年生のときにソチオリンピック出場を逃した苦い経験をしています。しかし、その悔しさをバネに変え、次は絶対に負けないという気持ちで今日まで練習に励んできました。ここまでスケートを続けてこられたのは、負けを経験し、その経験から学ぶことができたからだと思っています。今現在、平昌オリンピックに向けて1つ1つの階段を全力で駆け上がっている途中ですが、本当の勝負は5年後の北京オリンピックだと思っています。平昌オリンピックの出場は北京オリンピックで表彰台に上がるための過程の1つと見据え、課題を確実に達成していきます。もしサポートしていただければ、私の大きな原動力になります。いただいた力で結果を出すことによって、企業の皆様へ情熱とエネルギーを少しでも感じていただけるような選手になっていきたいです」
■鈴木湧也選手(スキー/スノーボード)
「私はスノーボードのスラロームという競技を高校生のころから始めて5年目になります。競技歴の長い選手がトップクラスに多いというのがこの競技の特徴ですが、経験という部分ですぐには勝てないと思った私は、とにかくたくさんのことを分析することにしました。様々なことを分析して取り入れてきたことは、すべてが正しかったわけではなく、たくさんの失敗もありました。それらのことにしっかりと向き合って努力をやめずに取り組んでいくことで、必ず良い結果につながるということを学んできました。そのような中、昨年出場したワールドカップでは31位という結果でした。世界の本当のトップレベルにはまだ実力が足りません。もっともっと世界のトップ選手に触れて、分析し、自分に足りないことを取り入れて実践していく必要があると思っています。そのためにも海外の大会にどんどん参戦していかなければいけません。ですが、それは私一人では実現できないことです。どうか私に世界を目指せる環境を与えてください」
■服部和正選手(パラアーチェリー)
「私は1991年に神経系の難病を患い、その治療薬の副作用で下肢に障がいが出て、94年の36歳のときに障がい者になりました。絶望感でかなり落ち込みましたが、ふと頭の中にアーチェリーが浮かび、それが立ち直りのきっかけになりました。10年ほど経ってコンパウンドに転向して少し芽が出てきたのか、50歳になった2007年に日本代表になり、世界選手権に初めて出場することができました。いわば遅咲きのアスリートです。これまで多くのタイトルを手にし、今年度も健常者の大会でベスト8に入っていますが、唯一参加できていないのがパラリンピックです。男子コンパウンドは非常にレベルが高いのですが、私自身もこの10年間、毎年自己ベストを更新しています。まだ伸びしろがあると思っていますし、アーチェリーは経験がものを言う競技でもあります。10年間日本のトップにいた実績を生かし、東京にチャレンジしてメダルを獲得したいと強い気持ちでいます」
説明会終了後には、選手と企業関係者との名刺交換、情報交換会が行われ、企業と選手がそれぞれ交流を深めました。
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