日本オリンピック委員会(JOC)は7月20日、味の素ナショナルトレーニングセンターウエストで、トップアスリートの就職支援ナビゲーション「アスナビ」の説明会を行いました。
アスナビは、アスリートの生活環境を安定させ、競技活動に専念できる環境を整えるために、アスリートと企業をマッチングする無料職業紹介事業です。年間を通じて「アスナビ説明会」を複数回実施し、企業に対してトップアスリートの就職支援を呼びかけています。2010年から各地域の経済団体、教育関係機関に向けて本活動の説明会を行い、これまでに219社/団体368名(2023年7月20日時点)の採用が決まりました(内定者含む)。今回の説明会ではJOC主催のもと、21社31名が参加しました。
最初に主催者を代表して岩渕健輔JOC理事が、アスナビ説明会が開催されることへ感謝の言葉を述べました。続けて「今日ここにいるアスリートたちは、この先のオリンピックに向けて、世界で活躍できるアスリートたちです。もし皆様の組織でお世話になることができれば、競技以外でも間違いなく力を発揮して、ポジティブな影響を与えてくれる存在だと信じております。支えていただく皆様もぜひTEAM JAPANの一員として、アスリートをご支援いただきたいと思います」とアスリートの採用を呼びかけました。
続いて、柴真樹JOCキャリアアカデミー事業ディレクターがアスナビの概要ならびに、登録するトップアスリート、就職実績、雇用条件、採用のポイント、アスリート活用のポイント、カスタマーサポート、これからの進め方などを説明しました。
続いて、谷地宙選手(スキー/ノルディック複合)を「アスナビ」で初採用した日本航空株式会社の人財本部 人財戦略部アスリートグループ グループ長 矢部哲郎氏より、トップアスリートを社員として採用する理由やアスリート社員の業務について紹介がありました。矢部氏は「もともとスポーツへの支援は積極的でありましたが、東京2020大会のオフィシャルスポンサーを務める中、社内の一体感を醸成したいという想いがあった」と同社の背景を語り、「アスリート社員がいるということ自体が多様性の象徴の一つであり、社員がJALグループで働くことができて良かったと思ってもらえるようなエンゲージメント(愛社精神)の向上にも繋がる。まさにスポーツを通じて企業価値を高めていくことができるのではないか」と、アスリート採用のメリットをアピールしました。
その後、就職希望アスリート7名がプレゼンテーションを実施。映像での競技紹介や自己PRスピ―チを行いました。
■青島鉄也選手(アーチェリー)
「私は小学校2年生の4月にアーチェリーを始めました。矢が的に当たる感覚がとても心地よく、すぐに夢中になって、アーチェリー場に通うようになりました。小学校4年生で初めて全国大会に出場し、小学生部門で優勝しました。その後、たくさんの方々に支えていただき、高校までに数々の全国大会優勝や国際大会でのメダル獲得を経験しました。その中で、夢だったオリンピックでの金メダルをより強く望むようになりました。
大学はより競技力を高めるため、日本体育大学に進学しました。競技面では、フォームの改造や体幹トレーニングを行い、勉学の面ではコンディショニングやトレーニングの理論を学び、より強い選手を目指してきました。そして、大学2年時に世界ユース選手権大会ジュニア部門で優勝。大学3年時にはナショナルチーム選考会を1位で通過しました。それまで夢だと思っていたオリンピックが近づいてきていると感じました。しかし、今年4月に行われた世界選手権大会の選考会は、パリオリンピックに繋がる試合でしたが、あと一歩で代表になることができませんでした。
今までで一番自信があった中で負けてしまい、とても悔しかったです。気持ちが沈んでしまいそうになりましたが、すぐに気持ちを切り替え、改善すべきことに取り組み始めました。次のチャンスが来るまでに、自分自身を高めるしかないと考えたからです。
目標に向かって計画、実行、改善していく力も私の強みだと考えております。そして現在も、直近ではワールドユニバーシティゲームズでの金メダル、その先ではオリンピックでの金メダルを目指し、日々練習に励んでいます。
最後に、私が最も大切にしている目標についてお話します。これは競技者である以前に人として一人前になるということです。きっかけは、出身高校の校訓である『技術者たる前にまず人間たれ』という言葉です。この校訓では技術者と言っておりますが、競技者においても、そして社会人においても同じことが言えると思います。
私は競技だけに打ち込むのではなく、高校では資格の取得や専門知識の勉強に励み、大学でも教員免許の取得を目指しております。部活動においても、高校では主将、大学では副主将としてチームを牽引する立場を経験し、仲間への思いやりや、礼儀を大切にして、チームがまとまるように働きかけてきました。
私は競技を引退した後も、一人前の人間として生きていくことを見据え、勉学を怠らず、競技を通じてコミュニケーション能力や責任感を養ってきました。皆様の企業に採用していただけましたら、競技者として成績を残し、職場を活気づけられるよう、練習に励むとともに、ひとりの社員として仕事に全力を尽くし、貢献していきたいと考えております。どうぞよろしくお願いします」
■梶原有希選手(スキー/フリースタイル)
「私は北海道札幌市で三姉妹の次女として生まれ育ちました。幼いときから雪のある環境で育ち、週末に家族でスキーに行くことが楽しみでした。私がモーグルを始めたきっかけは姉の影響でした。今は引退してしまいましたが、姉は全日本強化指定選手であり、私の憧れでした。いつしか私は姉の背中を追うようにモーグルを始めていました。
私には2つの強みがあります。1つ目は忍耐力です。三姉妹でモーグルをしていたため、どんなことも私の思い通りになる環境ではありませんでした。常に姉と妹のことを考えて、自分優先ではない環境で競技を続けてきました。
所属するチームの監督からは、『置かれた場所で咲きなさい』という言葉をいただき、自分ができる最大限のことをひたむきに積み重ねてきました。その結果、2017年より日本代表育成チームに選ばれ、2022年からはワールドカップ遠征メンバーまでとたどり着くことができました。
私は人より忍耐強く努力し続けられる強みがあることから、社会に出て業務をこなす上でも、置かれた環境を的確に捉え、行動し、辛抱強く努力し、結果を出すことができると考えています。
2つ目は、私は年代を問わず良い人間関係を構築することが得意ですので、高いコミュニケーション能力を持っていると思います。私の地元チームには、小学生から社会人まで年齢や競技レベル、競技に対する考え方など、様々な選手が所属しており、他者に対する気配りや思いやり、良い雰囲気作りを意識し、周りの人と良い関係性の構築が必要です。
今ではスキーイベントに呼んでいただき、スキーを教える機会も増えました。幅広い年齢の方と関わることで、より一層コミュニケーション能力が身につきました。
私の目標は、2026年ミラノ・コルティナのオリンピックに出場し、さらに2030年、地元開催となる北海道・札幌オリンピック招致に協力し、出場し、メダルを獲得することです。
私がここまでスキーを続けてこられたのは、周りの人たちの支えがあったからです。常に見守ってくれている家族、一緒に競技を続けてきた姉と妹、地元のチームメートやスタッフの方々、そして競技に携わってくださる全ての方々のおかげで、今の私があります。
この素晴らしい環境に感謝し、世界で戦っていく力を身につけ、私を支えてくれた皆様に恩返しができるよう、これからの練習に励んでいきます。皆様の企業に採用されましたら、何事にも全力で取り組みます。今まで以上に大変なことはあるかと思いますが、乗り越える自信はあります。
どうぞよろしくお願いいたします。ご清聴ありがとうございました」
■加藤響選手(フェンシング サーブル)
「私とフェンシングとの出会いは、小学生のとき、オリンピックで活躍する太田雄貴選手の姿を見て憧れを持ちました。小学生の私はフェンシングを何も知らない中、オリンピックで活躍する選手になるという夢を持ち、中学受験をしてフェンシング部のある愛知工業大学名電中学校へ進学しました。初めは剣に触れるだけでも楽しく、毎日必死に練習しました。中高一貫校のため、高校生と混じりながら行う練習はとてもハードで、体格的にも技術的にも劣る中、先輩から取る1点は、鳥肌が立つほど嬉しかった思い出があります。
中学3年生になり全国中学生大会で優勝し、高校1年生ではU-17日本ランキング1位になり、アルゼンチンで開催されたユースオリンピックに出場と、オリンピック出場という夢に向けて、一つずつ小さな目標を達成してきました。
大学は強豪校の中央大学に進学しました。U-24日本代表選手として選出されていましたが、大学1年時はコロナの影響で試合ができず、目標を見失いかけていました。しかし、大学3年時には日本代表として戦ったワールドカップで、東京オリンピック金メダリストを倒し、ベスト16に入ることができました。
私は高校生のとき、恩師のもとで、オリンピック・パラリンピックを盛り上げるための広報宣伝を運営側としてお手伝いした経験があります。小さな子供やお年寄りの方にフェンシングのイベントに参加していただきました。そこでは、私たちの実演を見ていただいたり、剣に触れていただいたり、実際に体験していただくことで、フェンシングの面白さを知っていただきました。私の目の前では歓声が沸き、お客様に非日常的な体験をしていただけたと思いますし、フェンシングで感動や勇気を届けることができるのだなと感じました。
私はフェンシングを通して、人間力を高めたいと思っています。私が皆様の企業に採用されましたら、誰に対しても明るく振る舞い、当たり前のことは当たり前にできる人間になりたいと考えています。そして、メダルを獲得することで、たくさんの人に感動や勇気を届けられるよう精進してまいります。
よろしくお願いします。ありがとうございました」
■佐藤姫夏選手(トライアスロン)
「私は小学校6年生のときに、オリンピアンの上田藍選手にサインをもらったことがきっかけでトライアスロンに出会いました。小学生から高校生まで競泳と陸上の二刀流を続け、関東大会や全国大会を経験しました。大学進学と同時に、自転車を加えた三刀流のトライアスロンに飛び込み、大学2年時には関カレで優勝、インカレで3位に入り、国際大会の派遣標準記録を突破しました。
現在は日本トライアスロン連合のナショナル次世代選手に認定されており、ロサンゼルスオリンピックのメダル獲得に向けて突き進んでいます。
競技を続けていく上で、私が何より大切にしていることは、多くの方々に支えられていることに感謝の気持ちを持ち続けることです。
昨年12月、23歳以下の世界選手権でバイク走行中に転倒してしまい、左鎖骨を骨折する大怪我に見舞われました。先が見えず、もどかしい気持ちになりましたが、多くの皆様のおかげで乗り越えることができました。そして、支えてくださった皆様へ恩返しをしたい気持ちで奮起しリハビリを行った結果、大幅に競技力を向上させて復帰することができました。そのときから、日々支えられていることに改めて感謝の気持ちを持って精進を続けています。
私には誰にも負けない強みが2つあります。1つ目は貫徹力です。2020年4月、新型コロナウイルスの影響でチームトレーニングができなくなった際、ランニングを徹底的に強化しようと決めました。通常、月300キロがトレーニングの目安とされていますが、月400キロを走ると心に決めて1ヶ月間やり遂げました。その結果、日本選手権の出場資格を得ることができました。
2つ目の強みは、探究心です。私は元々好奇心が旺盛で、『なぜ?』を追求するのが好きなのですが、トライアスロン競技においても、競技動画を振り返り、自分に足りないところ、良いところを常に探っています。またライバルのプレースタイルや良い展開を深く研究して、勝つための戦略を練り、ここまで競技力を向上させてきました。皆様の企業にご採用いただけましたら、私の強みである貫徹力と探究心を存分に発揮して、仕事においてもレベルアップを図っていきたいと思います。
また、私のチャームポイントである明るさを武器に、笑顔あふれる和やかな雰囲気をお届けし、社内活性化に繋がる存在になっていけたらと考えております。
トライアスロン競技では、お台場や横浜など観光名所をロケーションとすることが醍醐味です。大海原へ向かって泳ぐスイム、迫力満点のバイク、颯爽と駆け抜けるランをぜひ肌で感じていただきながら、応援を楽しんでいただけたらと思います。皆様のご声援を力に変えて、一緒にオリンピックの舞台を目指したいと思っております。
どうぞよろしくお願いします。ご清聴ありがとうございました」
■山本侑弥選手(スキー/ノルディック複合)
「私は亡き父と約束があります。それはオリンピックでの金メダル獲得です。父と二人三脚で、小学校1年生のときからこの競技を続けてきました。高校1年生のとき、全日本強化指定選手に選出され、これからもっともっと大きな舞台で活躍をしたいと思ったその時に、父が亡くなりました。
ずっと二人三脚で歩んできたパートナーがいなくなってしまったとき、私には絶望しかありませんでした。そこから苦悩の日々が続きました。今までは父親がいてくれたからこその自分であったと痛感させられました。自分一人になったとき、右も左もわからなくなってしまいました。
高校に入り、恩師でもあるコーチ兼顧問の先生に出会ったことがきっかけで、世界大会に出場することができましたが、世界の壁は高く厚いと痛感させられました。あまりにも大きな壁を経験して、落胆し、さらに自分の甘さもあり、競技に対しての熱も小さくなってしまったような気がしました。
そんな中、大学1年生の時に全日本強化指定選手から外されてしまいました。今思い返すと、そのときが自分にとっての大きな転機だったと感じています。その年の夏の予選会で、上位1名が全日本強化指定選手に戻れるというチャンスが巡ってきました。チャンスがあるなら、死ぬ気でやってみたい、そんな感情が芽生えました。そこから私はもう一度全てをゼロからスタートさせました。自分の弱みを全て強みに変える。そんなつもりで練習に励みました。その結果、予選会では1位を獲得することができ、高く厚い壁であった世界大会でも総合3位に入ることができました。さらに、自分の力だけでワールドカップへの出場権を獲得することもできました。
昨シーズンは、競技人生6戦目となるワールドカップで18位を獲得することができ、世界選手権の団体戦にも出場することができました。2026年のミラノ・コルティナオリンピックに向けて、父との約束を果たすために精進していきたいと考えております。
私が皆様の企業に採用いただいた際には、社員の皆様に私の努力を見ていただくことで、『私も頑張ろう』と思っていただけるような一体感醸成に寄与できると考えております。私の得意なコミュニケーション能力は、社員の皆様のモチベーションアップにも繋がると思います。社員の皆様と一緒に目標に向かっていきたいと思います。
ご清聴ありがとうございました」
■髙橋千里香選手(フェンシング サーブル)
「私は福岡県の出身で、福岡県タレント発掘事業への参加を機に、『世界で活躍するアスリートになる』という目標を掲げました。私がフェンシングを始めたのは高校に入学してからなのですが、それまでは小学校1年生から中学校3年生までバスケットボールをしていました。福岡県タレント発掘事業を通して、アーチェリー、水球、自転車など様々な競技を経験し、いよいよ高校から本格的に行う競技を決めることになりました。私は競技適性を認められたフェンシングかバスケットボールで迷っていました。
しかし、バスケットボールの適性オーディションの際に足首をひねってしまい、アピールさえさせてもらえない結果となってしまいました。そのときに幼いながら、バスケットボールで世界を目指すには縁がなかったと思い、9年間頑張ってきたバスケットボールをきっぱり諦め、ゼロからフェンシングを始めることに決めました。
その後、フェンシング競技を始めて2年で全国高校選抜大会団体戦優勝、U-17日本代表選出。そして、高校3年時にはインターハイ個人優勝と、順調に競技成績を残すことができました。しかし、コロナ禍を経て再開したインカレでは、ベスト32で終わってしまうという大きな挫折を味わいました。その後も、U-20の代表選考大会で思うような成績を残せず、フェンシングをすることが怖くなり、大会への恐怖を感じるようになってしまいました。しかし、先輩からの『本当に勝ちたいなら、死ぬ気で練習するしかない』という激励をきっかけに、自分自身の強みや、改善すべきところを徹底的に分析し、仲間やコーチから客観的な意見をもらい、納得がいくまで練習を繰り返しました。
また、U-20最後の代表選考大会の直前にあった全日本選手権団体戦で、大学の仲間とともに優勝を掴んだことを自信に変えて、JOCジュニアオリンピックカップ大会で見事優勝を果たし、U-20日本代表に選出していただき、ワールドカップにも出場することができました。
この目標に対する粘り強さと努力と情熱は、私自身の大きな強みであると言えます。私は今後の目標であるロサンゼルスオリンピック出場に向けてさらなる努力を行っていくとともに、プレーや競技に対する姿勢で人々の活力となれるような存在を目指し、日々精進することをお約束いたします。
皆様の企業に採用いただいた際には、私自身の試合での活躍を通して、社内の一体感の創造と、感動をお届けできるようにしたいと考えております。また、私自身の明るさや競技に対する努力を見ていただき、社員の方々のモチベーションアップに貢献できるよう努めてまいります。
ご清聴ありがとうございました」
■藤井源選手(スキー/フリースタイル)
「私の強みは2つあります。まず1つ目は、諦めず全力で挑戦する精神力です。私は10歳のときに父の影響でスキーを始め、12歳のときにオリンピックに出たいという夢を持ち競技を本格的に始めました。
高校2年生では選考大会で優勝してナショナルチーム入りを果たし、2022年の北京オリンピック出場に向け多くの国際大会へ出場してきました。しかし、2021年、2022年のシーズンでは思うような結果が残せず、北京オリンピック出場にはあと一歩届きませんでした。
オリンピックに出場できなかったことは本当に悔しかったのですが、これまでの自分に足りなかったものは何だったのかを考え、自分を見つめ直すきっかけとなるシーズンとなりました。そして2026年のオリンピックには絶対に出場して金メダルを取るという思いで、また一から取り組み始めました。
昨年、私はコーチやトレーナーと、世界で活躍するためには何が必要なのか、何が足りないのか話し合い、次のシーズンに向け、慎重に準備を進めてきました。その結果、昨シーズンのコンチネンタルカップでは準優勝を果たし、ワールドカップではシーズン通してフル参戦し、世界選手権にも出場することができました。
そして、世界選手権のビッグエア種目では、世界で3人ほどしかできない、後ろ向きから縦に3回、横に4回転半という大技を成功させ、14位という結果を残すことができました。まさにオフシーズンの努力が実った瞬間でした。
世界選手権後から、私は自分の成功する姿がイメージできるようになり、挑戦することがとても楽しくなりました。この経験から『瞬間瞬間、全力で挑戦する』というのが私のスローガンとなり、何事にも諦めず全力で挑戦する精神力が私の強みとなりました。
2つ目は、俯瞰力があり、リーダーとして一人ひとりと向き合い、チームに一体感を見出すことができます。私は今、大学のスキー競技部でキャプテンをしており、皆の模範となる行動をとり、一人ひとりとコミュニケーションをしっかりとることで、チームビルドアップを行っています。
私は後輩たちに私生活から競技生活において、緊張感を持ち、感謝の気持ちを忘れず、競技に集中するよう伝えてきました。例えば、部活中に地元の方々とすれ違う際には、『こんにちは』など元気よく挨拶することを徹底しています。
このように物事を俯瞰し、一体感を見出すことが私の強みとなりました。皆様の企業にご採用いただいた際には、競技だけでなく、仕事にも全力で取り組みます。そして、私の活躍や挑戦する姿を見ていただき、会社に一体感を生み出し、会社に貢献したいと考えております。
今日はご清聴ありがとうございました」
プレゼンテーション終了後には、企業の皆様へ向けて、アスリートたちに一言アピールをしてもらいました。
最後に水鳥寿思JOC理事が登壇。参加企業に謝意を述べるとともに「アスリートは目標達成のために、かなり高い次元でいろいろ試行錯誤しています。本当に素晴らしいことですし、ビジネス界でも十分通用すると思っています。企業の皆様にはそのようなところをうまく活用していただければ、きっと素晴らしい活躍をしてくれると思います」とアピール。また、本日参加したアスリートたちに「ぜひ自分の価値を最大化して社会に貢献してください。そして自分の夢を実現しながら、次の世代のアスリートにとっても憧れとなるような競技生活を送ってもらいたい」とエールを送りました。
説明会終了後には、選手と企業関係者との名刺交換、情報交換会が行われ、企業と選手がそれぞれ交流を深めました。
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