平昌オリンピックでは悲願の金メダルを獲得。連覇を目指した女王が、北京の地で思い描いたパフォーマンスを発揮することはかなわなかった。戦いを終えた今、彼女が見つけ出したオリンピックの意義とは。
小平 奈緒(スケート/スピードスケート)
北京2022冬季オリンピック TEAM JAPAN
平昌オリンピック 女子500m 金メダル/女子1,000m 銀メダル
バンクーバーオリンピック 女子チームパシュート 銀メダル
■私にとってのオリンピック
――北京2022冬季オリンピック、お疲れ様でした。今大会を振り返っていただき、まずは率直な感想を教えていただけますでしょうか。
皆さんの心を明るくできるような結果を、自分自身も期待していました。そのために日々積み上げてきたものもあったのですが、それを形にできませんでした。心の中の葛藤がすごくたくさんありましたが、それもこのオリンピックで学ぶことができたことだと思っています。
誰もが夢見るオリンピックという舞台に立てることの素晴らしさは、4度目のオリンピックにして、今大会が一番感じたかもしれないですね。平昌オリンピックが終わってから4年間、うまくいくことばかりではなくて、それを一つずつ乗り越えてきて、ようやくこのスタートラインに立てました。ここに来るまでに本当にたくさんの方々に支えていただいたので、スタートラインに立てたことを誇りに感じています。
――平昌オリンピックで金メダルをとり、連覇に対する周囲の期待も大きかったと思います。もちろん一番期待していたのは、苦しいトレーニングを乗り越えてきた小平選手自身だったかもしれません。故障もあり、今回もケガがあったと伺いました。さまざまな困難にどのように向き合い、乗り越えてきたのでしょうか。
自分の体が思うように動かなかったり、大事な舞台の前に思いもよらぬケガをしてしまったり……、そのたびに、やるせなさや後ろめたさのようなものを感じます。でも、目指すべきものは自分の中にしっかりとある。その過程の中に立ち止まりそうになったり、くじけそうになったりすることもたくさん心の中に抱えていました。体からにじみ出てくるような痛みと闘いつつ、どうしたら目標としている舞台に自分の体を向かわせることができるかと考えた時、何よりも自分自身の現状を受け入れることこそが一番自分を前に進めてくれたのかなと思います。
――競技者としては、オリンピックが全てではないかもしれません。ただ、4年に1度のオリンピックだからこそ難しい部分も多いでしょうし、世界中の選手たちが目指す頂点だからこその重圧もあると思います。あらためて、小平選手にとって「オリンピック」とはどんなものなのでしょうか。
オリンピックは、メダルや順位がものすごく世間の評価になるという見方もありますが、私は、自分がどれだけこの舞台で納得できるかを大事にしてきました。
私にとってのオリンピックは、自分自身の成長を確認する場所であり、周囲の皆さんと歩んできた道のりを包み込むような場所であり、世界中の競い合う仲間たちとつながる場所であり、応援してくださる皆さんとつながる場所であり、そして、一番大好きなスケート自体とつながる場所である、そう感じています。
――近代オリンピックの父ことピエール・ド・クーベルタンも、結果以上に「いかによく戦ったか」という内なる戦いや、戦った者同士が互いを認め合い、親交を深めること大切だと説いています。まさにオリンピックの理念「オリンピズム」を小平選手は体現されてきたんですね。
そう言っていただくとうれしいです。ありがとうございます。
■ライバルへのリスペクト
――平昌オリンピックでも金メダルを巡って競い合ったイ・サンファ(李相花)さんは、小平さんにとっても大切なライバルでありご友人ですよね。今大会500mのレースが終わった時、韓国テレビ局の解説席でイさんが流していた涙はすごく印象的でした。あらためて、イさんは小平選手にとってどのような存在ですか。
サンファとは10代の時から本当に仲良くしてきました。彼女は、日本人以外でスポーツを通じて仲良くなった初めての選手だったんです。歩んできた道のりもお互いに分かっていますし、気持ちも共有できる存在。選手を引退してからも私のことを応援してくれている気持ちがうれしくて、長くスケートをやってきて良かったと思いました。SNSでも何度もメッセージのやりとりをしていて、シーズン前からオリンピックに向けて励ましの言葉を何度ももらい、すごく勇気づけられましたし、力を振り絞って頑張ろうという気持ちになりました。
――また、1,000mのレースが終わった後は、髙木美帆選手とハグをして健闘をたたえ合う様子がありました。スピードスケート界の後輩にあたる髙木選手についてはどのように見ていらっしゃいましたか。
髙木選手とは、2010年バンクーバーオリンピックで一緒に出場したのですが、彼女は当時中学生でした。出場した種目で最下位に終わったり、14年のソチオリンピックでは代表の座を逃してしまったり……。彼女自身はすごく才能があって、幼い頃から「未来を担っていく子」だと思っていた一方で、注目されすぎてしまうゆえにスケートが嫌いにならなければいいなと心配もしていました。
今大会は、日本人選手最多出場となる5種目7レースを滑りました。彼女自身、精根尽きるまで全ての種目で挑戦していました。大きく成長してくれたことも含めて、あんなに楽しそうにチャレンジしている姿を見ることができてすごく安心しましたし、すごくうれしかったです。
――髙木選手からも、小平選手をすごくリスペクトしている様子が伝わってきました。お二人の滑りにまた勇気や感動をもらった人も多いのではないかと思います。
19年末から新型コロナウイルス感染症がまん延し始めました。スポーツ界にとっても大きな影響がありましたが、この間、何か感じたことや心掛けていたことがあれば教えてください。
命と向き合っている人ほど頑張っている人はいないと身にしみて感じました。そして、そういう方々の思いや努力と逆行するようなスポーツであってほしくないとも思いました。多くの皆さんとともに「生きることに向かっていく」、そういうアスリートでいたいという気持ちが強かったです。
――東京2020大会はご覧になっていましたか。
合宿中だったことに加え、自宅にもテレビがないので(笑)、インターネットを通じてオンラインで応援させてもらっていました。本当に多くの選手の生き様を見せてもらい、人それぞれいろいろな考えがある中で、自分が生き甲斐とする目標に向かって頑張る選手たちの闘う姿勢、視線に、すごく強く感じるものがありました。
■知らないことを「知らない」と言える人になりたい
――オリンピアンであり、オリンピック金メダリストであり、JOCシンボルアスリートでもあります。さまざまな立場にある小平選手ご自身の信念などあれば、聞かせていただけますか。
偉大な人というよりは、知らないことを「知らない」と言える人間でありたいと思っています。また、「この人すごいな」と他人を尊敬できる心をこれからもずっと持っていたいなと思っています。誰かに決められたいわゆる良い選手、良い人間ということではなく、自分が常に心を動かして、さまざまな人と関われる人間でありたいなと思っています。
――なるほど。生きていく上でも競技する上でも、自信はすごく大事ですけど、もっと成長したいという謙虚さのようなものとの両立が大切ですね。
そうですね。ただ、自分を押し殺してそういうものをつくるのではなく、素直に悲しいことは悲しいと言えたり、うれしいことをうれしいと言えたりすることも大事だと思うんです。失敗してしまうこともありますし、人間らしくイライラしてしまうこともありますが、そのたびに、自分を振り返って、自分を俯瞰して見られる。そういう気持ちを常に持っていられると、自分らしく生きられるのかなと思っています。
――人生はうまくいかないことも多いですものね。
たしかに、うまくいくことの方が少ないかもしれないですよね。でも、必ずどこかで見てくれている人はいますし、決して一人ではないということを常に感じて生きていきたいとは思います。
――多くの方々から、多く声が届いていると思います。その声をどのように小平選手は感じていますか。
自分が予想していた以上に、皆さんが注目してくださっていたのだと思いました。本当にただただ静かに去っていくべきというような競技結果で、しばらく時が止まってしまったかのような瞬間を感じていたのですが、逆にすごく励ましていただいて、皆さんに時を動かしてもらえたと思っています。
――私たちも含めた周囲からのさまざまな期待が余計な重圧として小平選手に背負わせてしまっていた面もあったのではないかと思います。勝手に期待しておいて申し訳ないのですが、どのようにそうしたプレッシャーと向き合っていらしたのでしょうか。
一番期待しているのは自分自身だと常に思っています。皆さんからの期待のようなものは、大きければ大きいほど「同じような気持ちで戦ってくださっている」と感じられるんです。おそらく私と同じように悔しい思いだったり、悲しい思いだったりを持ってくれているんだろうなと。だからこそ、今は皆さんと一緒に立ち直っていきたいと思います。背負うとかでは全然なくて、同じ気持ちでいてくれたんだな、とそれだけで幸せを感じられます。
――ありがとうございます。今は大会を終えたばかりですが、今後について考えていることはありますか。
スポンサーや所属先の皆さんとお話をしながら決めたいなとは思っています。まずは、しばらくコーヒーでも飲んでゆっくりします(笑)。
――コーヒー大好きですものね。
はい!(笑)
■スポーツの意義を考え続けたい
――ケガの状態については、現在どのような状態なのでしょうか。
平昌オリンピックが終わってから徐々に痛み始めました。昨年頃までは本来の自分の可動域ではない状態の中で、無理をして滑っていたんです。今シーズンに入って痛みは解消されてきたのですが、回復していく過程でうまくいかない部分もありました。痛みを表現するのはなかなか難しいことですが、今振り返ってみると、実際に感じる身体の痛み以上に、やるせなさのような心の痛みの方がつらかったのかもしれないと感じています。
――万全なパフォーマンスを出せないことに対する心の苦しさということですかね。
はい、本当にもどかしいというか……。ただ、それも含めた体力ですしね。こういうケガと向き合うこと自体、自分を強くしてくれているのだとも思いました。
――あらためて、一人のスケート評論家として自分自身を分析した時に、どのように評価しますか。
評価できないですね。良いも悪いもないです。おそらく、死ぬまで振り返りながら、でもよりよく生きていくことを目指す。その繰り返しが人生なのではないかと思います。
――今後、スポーツやオリンピックの価値、あるいはスケートの楽しさや素晴らしさを伝える立場になっていくと思いますが、具体的にどのようなことを伝えていきたいですか。
これも、すごく難しい問題ですよね。スポーツには本当に残酷な局面もあります。いろいろな見方ができることを感じとっていただくのもすごく大事だと思っています。私自身、どう伝えていくのが本当に良いのかよく分かっていないんですよね。だからこそ、スポーツの意義は何だろうとこれからも考え続けていくと思うのですが、その思考を巡らせる上でも今回のオリンピックは本当に貴重で大切な機会だったと思っています。
――小平選手らしい、スポーツを哲学するような話ですね。
スポーツなのか、人生なのかは分からないですけど(笑)。
――それも重なっていますよね。
はい。スポーツが人生を豊かにしてくれるものであってほしいと思っています。
――私も今の話を真摯に受け止めて、学び続けていきたいと思います。ちなみに、他の競技から刺激を受けたということはありますか。
実は今回のオリンピックは、メディアを見ていなくて……。全然他の競技のことも追えていないのですが、昨日はカーリングを応援していました(笑)。自分のレースが終わり、ようやく見ることができたという感じです。
――本当に、本当にお疲れさまでした。最後に応援してくださった方々へメッセージをお願いできますでしょうか。
スタートラインに立てるように、滑ることに向かわせてくださった皆さんには本当に感謝しています。そして、実際に滑り出して、スタートからゴールまでともに歩みを前に進めてくださった皆さんもたくさんいたと思います。ありきたりな言葉になってしまいますが、「本当にありがとうございます」という気持ちを心から伝えたいなと思っています。
――こちらこそ、ありがとうございます。すてきな言葉の数々に感謝したいと思います。そして今後にますます期待しています。
はい、ありがとうございました!
■プロフィール
小平 奈緒(こだいら・なお)
1986年5月26日生まれ。長野県出身。
2010年バンクーバーオリンピック女子チームパシュート銀メダル。14年ソチオリンピックに出場、大会後1年間オランダに練習拠点を移す。14-15シーズンのISUスピードスケート・ワールドカップ女子500mで総合優勝。17年冬季アジア札幌大会では女子500m、1,000mの2冠に輝く。16-17シーズンワールドカップの女子500mでは8戦全勝で総合優勝を果たした。18年平昌オリンピックでは女子500m金メダル、女子1,000m銀メダルを獲得。北京2022冬季オリンピックでは女子500m、1,000mに出場。同年10月の全日本距離別選手権500mを競技人生ラストレースにすると発表した。相澤病院所属。
(取材日:2022年2月19日)
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