日本オリンピック委員会(JOC)は4月17日、味の素ナショナルトレーニングセンター(味の素トレセン)で、トップアスリートの就職支援ナビゲーション「アスナビ」の説明会を行いました。
アスナビは、アスリートの生活環境を安定させ、競技活動に専念できる環境を整えるために、アスリートと企業をマッチングする無料職業紹介事業です。年間を通じて「説明会」を複数回実施し、企業に対してトップアスリートの就職支援を呼びかけています。2010年から各地域の経済団体、教育関係機関に向けて本活動の説明会を行い、これまでに178社/団体277名(2019年4月17日時点)の採用が決まりました。
今回の説明会には15社25名が参加しました。
最初に主催者を代表して星野一朗JOC理事が挨拶に立ち、アスナビを通じて採用されたアスリートの活躍について「雇用いただいている企業の社員から応援されることで、これまで勝てなかった対戦相手に勝てたり、出せなかった記録を達成できたという選手をこれまで何人も見てきました。選手の持っている力が皆さまのおかげで引き出されているのではないかと思います」と話すと、参加企業に向けて「皆さまは我々JOCをサポートしてくれるスタッフの1人、企業の1つだと認識させていただいています。ぜひ私たちチーム日本に加わっていただき、選手をご支援ください」とアスリート採用を呼びかけました。
続いて、中村裕樹JOCキャリアアカデミー事業ディレクターが、動画を用い、アスナビの概要と、過去にアスナビを通じて採用されたアスリートと採用企業の担当者のコメントを紹介。さらに資料をもとに夏季・冬季競技それぞれの採用人数、採用された競技などを説明しました。また、アスナビチームが実施している採用企業間同士のネットワーク構築を目的とした情報交換会など、サポートプログラムの事例が語られました。
次に、競泳で2008年北京オリンピック、2012年ロンドンオリンピックに出場した伊藤華英さんが応援メッセージを送りました。伊藤さんは生後6ヶ月から水泳を始め、16歳で日本代表入り。18歳だった2003年には日本選手権の200m背泳ぎで優勝を飾りました。しかし翌年のアテネオリンピック代表からは落選。その当時を振り返り「あの時は大学生でしたが、所属する企業があったのは本当に励みになりました。もし、企業が諦めずに見守ってくれていなかったら、2大会連続のオリンピック出場はなかったと思います」と話すと、「所属企業に練習できる環境を与えてもらい、経済面でもサポートしてもらっていながら、オリンピックに出場できなかった自分自身に憤りを感じ、このままではいけないと思えたことで努力ができました」と挫折を乗り越え、競技を続けられた理由を語りました。また来年の東京2020大会ついて「この機会にスポーツ、そしてアスリートの価値がもう1度見直されて、それらが素晴らしいことなんだということを知ってもらいたいと思っています」と述べると、「ぜひ皆さんにはそれを選手の採用によって体現してもらえればと思います。選手を1人応援、採用いただくことで、それを身近に感じていただけるはずです。アスリートを自分の仲間として、厳しく、時にやさしく成長させていただけたら嬉しいです」と参加企業へメッセージを送りました。
最後に、就職希望アスリート5名がプレゼンテーションを実施。スピーチをはじめ、映像での競技紹介などで自身をアピールしました。
■村山健太郎選手(フェンシング)
「私は両親の勧めでフェンシングを始め、今年で9年目になります。大学では興味のあったデザインを専攻し、競技だけでなく学業にも力を入れて文武両道を貫いた結果、東京大学のフェンシング部からジャージのロゴ作成を依頼されるなどの成果を残せました。また競技で成績を残していくことで自信が持てるようになり、授業で行われるプレゼンテーションや、ディスカッションの場でも臆することなく自分を表現できるようになりました。私はどんな環境下でも全力で取り組むことによって、オリンピックでメダルを獲得し、社会においても実力を発揮することを誓います。今後は社会人として、競技者として、今まで支えてくれた両親、企業の方に恩返しをしたいと思っています。これらかも強い信念を持って、フェンシングだけでなく、全ての課題に全力で取り組んでいく覚悟でいます。採用のご検討よろしくお願いします」
■馬場晴菜選手(フェンシング)
「私は競技経験者である父の勧めでフェンシングを始めました。父も現役時代はオリンピックを目指していましたが、その夢を叶えることはできませんでした。そんな父の思いを受け継ぎ、熱い思いに応え、父を越えたいという気持ちで競技を続けてきました。フェンシングでは日々のトレーニングはもちろん、自分自身を客観的に見て、ハングリー精神を持って、行動を取捨選択する能力が不可欠だと考えます。また、私は個人戦だけでなく団体戦にも力を入れています。仲間とともにプレッシャーを乗り越えて手にした勝利は、何事にも変えられない喜びがあります。大学、ナショナルチームの両団体戦でアンカーを務めていますが、そこで協調性と責任感を養うことができました。それらの強みを生かし、社員の皆さんに応援されるアスリートになり、私の活躍で企業を盛り上げたいと思います。東京2020大会、2024年パリオリンピックでの金メダル獲得という壮大な夢の実現にお力添えをお願いします」
■中口遥選手(ライフル射撃)
「私の強みは諦めない気持ちを忘れず、目標に向かって一生懸命に努力できるということです。ライフル射撃はメンタル面が大きく左右する競技で、始めた当初の中学時代は、緊張から思うような結果を残せず、悔しい思いを何度もしました。しかし、これらの経験から見えた課題を克服するために、何をすべきかを考え、決して諦めることなく練習に取り組んできました。その結果、高校、大学と自身のパフォーマンスを発揮できるようになってきています。採用いただけましたら競技で培った何事にも真面目に取り組む姿勢で成果を出します。そして社員の皆さまに勇気や元気を与えられるようなアスリートになりたいです。私の目標は東京2020大会、2024年パリオリンピックでメダルを獲得することです。必ず仕事と競技を両立させる覚悟です。よろしくお願いします」
■五十嵐未帆選手(レスリング)
「私は小学校2年生の時に、兄の影響でレスリングを始めました。中学生の時に、もっと勝てるようになりたいと思い、親元を離れて愛知県にある至学館高校に進学しました。しかし、寮での集団生活は想像以上に厳しく、大学生の時には、初めてレスリングをやめてしまおうと思ったことがありました。それでも逃げずに、自分を見つめ直して頑張ったことで、大学4年生の時には主将という大役を務めることができました。私は大学卒業後に練習拠点を地元、関東に移しています。理由は、今まで通りの練習ではレベルが上の選手に勝つことができないと感じ、新しい環境に身をおき、さらに強くなろうと思ったからです。私の目標は東京2020大会、2024年パリオリンピックで金メダルを獲得し、家族や今までお世話になった方々に恩返しをすることです。就職させていただきましたら、競技で培ってきた最後まで諦めない姿勢で何事にも全力で取り組みます。また社員の皆さんから仲間として応援される選手になりたいと思っています」
■ストリーツ海飛選手(フェンシング)
「私は8歳からフェンシングを始め、アメリカの国内大会に出場。優勝することもできました。しかし14歳の時、鹿児島にある祖母の家で、2008年北京オリンピックの太田雄貴さんが銀メダルを獲得した試合を見て、自分も日本のためにメダルを取れる選手になりたいと思うようになりました。そして2015年、選手登録を日本人とし、日本国籍を取得しました。また学業では、ペンシルベニア大学で経済学を専攻し、インターンシップではビジネスマネージメントを学びました。それらの経験と、ネイティブの英語力を生かし、企業の海外進出、現地マーケティングや交渉の業務ができると思っています。私の強みはフェンシングを通じて身につけた素早い判断能力と、目標達成まで諦めない向上心です。東京2020大会に日本のアスリートとして出場する夢を支援していただけるように、企業の皆さまよろしくお願いします」
また、以下はストリーツ海飛選手が英語で行ったスピーチの内容になります。
「私の日本語は完璧でないので英語で話させていただきます。私はフェンシング同様にアメリカで知識と経験を積んできました。これらはどの企業にとっても有益だと思います。私の夢はオリンピアンになることで、達成するために大変な努力をしています。採用いただけましたら業務においても同じように努力いたします。ぜひ企業の皆さま、私の夢を応援してください。今日はスピーチを聞いていただきありがとうございました」
説明会終了後には、選手と企業関係者との名刺交換、情報交換会が行われ、企業と選手がそれぞれ交流を深めました。
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