公益財団法人日本オリンピック委員会(JOC)は4月22日、味の素ナショナルトレーニングセンターウエストで、トップアスリートの就職支援ナビゲーション「アスナビ」の説明会を行いました。
アスナビは、アスリートの生活環境を安定させ、競技活動に専念できる環境を整えるために、アスリートと企業をマッチングする無料職業紹介事業です。年間を通じて「説明会」を複数回実施し、企業に対してトップアスリートの就職支援を呼びかけています。2010年から各地域の経済団体、教育関係機関に向けて本活動の説明会を行い、これまで252社/団体460名(2026年4月22日時点)の採用が決まりました。今回の説明会ではJOC主催のもと、14社17名(うち9社10名はオンライン参加)が参加しました。
はじめに柴真樹JOCキャリアアカデミー事業ディレクターがアスナビの概要を、スライド資料をもとに紹介。アスナビが無料職業紹介事業であることや登録するトップアスリートの概略のほか、就職実績、雇用条件、採用のポイント、アスリート活用のポイント、カスタマーサポートなどを説明しました。
続いて、JOC強化部の鈴木和馬氏が登壇。ミラノ・コルティナ2026冬季大会を振り返り、JOCが行ってきた「TEAM JAPANとしての一体感の醸成」「アスリートを守る取り組み」について重点的に語りました。はじめに物理的距離を克服する一体感の醸成として、大会1年前からの合同合宿や宇宙飛行士を招いたメンタル研修などの実施、現地でのデジタルツールを活用した競技の枠を超えた選手同士の交流と応援の促進、さらにSNS上での誹謗中傷から選手を守るための取り組み、そしてSNSの戦略的活用と競技結果の相乗効果について語り、最後に「これらの対策として大事なのは、選手個人がどのように向き合うか、そしてチームや会社として何か起きた時にどのように対応するか指針を事前に決めておくことです。本人の考えを尊重しつつ組織として守る姿勢が重要です」と企業におけるチームビルディングや危機管理にも通ずる部分を語りました。
その後、就職希望アスリート8名がプレゼンテーションを実施。映像での競技紹介やスピーチで、自身をアピールしました。
■山根慧希選手(トライアスロン)
「私は小学1年生から16年以上トライアスロンに取り組んできました。初めて出場した大会では泳げず、ビート板を使って完走したことを今でも覚えています。しかしその経験からトライアスロンに夢中になり、オリンピック出場を目標として挑戦を続けてきました。中学では全国大会に初出場し、強化指定選手にも選ばれました。高校ではオリンピアンである監督の指導の元で練習を積み、寮生活を通して人間性を磨くことを目標に親元を離れて県外の高校へ進学しました。苦労することも多くありましたが、充実した環境のおかげでインターハイ準優勝という結果を残すことができました。環境にこだわるという成功体験から大学進学時は、さらに競技に専念できる環境を求めて上京し、オリンピック選手や日本代表が在籍するチームへの加入を目指しました。監督に何度も思いを伝え、熱意を評価いただき加入を認めてもらうことができました。大学では教職課程も履修し、一般学生より多い単位数をこなしながら競技との両立に励みました。授業前の早朝練習、授業後の分割練習など工夫を重ね、どれだけ忙しくても練習を休まないことを徹底してきました。どんな日でも必ず練習を行い、この積み重ねが私の自己マネジメント力と強い忍耐力を育んでくれました。私には2つの大きな目標があります。1つ目は、世界の舞台で自分がどこまで通用するか試すため、ブリスベン2032大会に出場することです。現在はその実現に向け、世界ランキングの向上に力を注いでいます。2つ目は、スポーツを通じて人の心を動かせる選手になることです。これまで多くのアスリートから感動を受けてきたように、今度は私が届ける側になりたいと考えています。もしご縁をいただけましたら、これまで培ってきた行動力、自己マネジメント力、忍耐力を生かし、競技と仕事を両立するデュアルキャリアを実践します。そして自身の強みを起点に新たな挑戦を起こし、組織に変化と成長をもたらす存在を目指します」
■西亜利沙選手(ラグビー)
「パリ2024大会での結果は、過去最高順位の9位でした。世界との差は、ほんの数センチ、数秒の判断。そのわずかな差の重みを、私は肌で感じました。私は5歳の頃、父の影響でラグビーを始めました。仲間と力を合わせて前に進むこのスポーツに魅了され、ラグビーは次第に私の人生の軸となっていきました。日本一になるという目標を本気で追いかけるため、地元の大阪を離れ、神奈川県の高校へ進学しました。寮生活という厳しい環境の中でラグビー漬けの日々を送り、高校2年時には全国優勝を経験しました。現状に満足せず、自ら成長できる環境に身を置き続ける姿勢は、この頃に身についた私の原点です。大学ではさらなる成長を求め、男子選手と日常的に練習ができる立教大学へ進学しました。体格やスピードで勝る相手に挑む中で、限られたチャンスを逃さない判断力、そして対話によって組織を機能させる力を磨いてきました。こうした挑戦の積み重ねの先に、7人制ラグビー日本代表として最年少でパリ2024大会に出場しました。しかし、そこで得たのはメダルではなく、強い悔しさでした。この経験は、自分に何が足りないのかを明確にし、今も私を突き動かす原動力となっています。私の強みは、どんな状況でも準備をやめないことです。怪我による離脱や代表落選の時も努力することを止めず、膝の怪我の期間は自分をアップデートする時間と捉え、復帰後は以前よりも強い状態で戻ってきました。パリ2024大会後はすぐに再スタートを切り、ロサンゼルス2028大会でメダルを獲るため、より激しいコンタクトと緻密な戦術が求められる15人制ラグビーへの転向を決意しました。現在は東京山九フェニックスに所属し、大学4年生ながら副キャプテンとして連覇に貢献しています。ラグビーが大好きだという純粋な情熱を原点に、逆境の中でも即座に課題を見つけ、行動に移す姿勢を社会でも発揮し、組織の成長に貢献していきたいと考えています」
■清田堅心選手(スキー/スノーボード・スノーボードクロス)
「私がスノーボード競技に出会ったのは中学1年生の時です。周囲の選手より始める時期が遅く、最初はビリからのスタートでした。しかし、スノーポードが心から好きだった私は、その頃からどうすればもっと上手くなれるのかを常に考え、成長できる環境へ飛び込み、挑戦するステージを変えながら競技力を高めてきました。中学時代は毎週、学校が終わると千葉県から新潟県のスノーボードスクールまで1人で新幹線に乗って向かい、練習に励みました。高校では、多くのオリンピアンを輩出した開志国際高等学校へ進学。地元千葉県を離れて3年間寮生活を送りました。さらに、高校2年生で代表チームに入り、日本代表として海外遠征に参加するだけでなく、海外のブライベートチームにも所属し、世界に挑戦してきました。その結果、大学2年生でワールドカップや世界選手権の参加基準を突破。イタリア、中国でのワールドカップにも出場し、オリンピックへの挑戦の舞台に立つことができました。しかしながら、2025年2月の練習中に全治6か月の怪我を負い、目標としていたミラノ・コルティナ2026冬季大会への挑戦は叶いませんでした。同時に、自分の力不足と世界トップとの差を痛感し、今はさらに努力を積み重ねなければ夢は実現できないと強く感じています。私がここまで世界へ挑戦し続けてこられたのは、競技に対する気持ちや家族の支えだけではなく、多くの方々の応援とサポートがあったからこそと考えています。中学3年生では地元の企業様、高校1年生では隣町の企業様、高校3年生では隣の県の企業様と、応援してくださる方々とのご縁がどんどん広がっていきました。私は競技だけでなく、人としての素直さや正直さ、行動力、そして最後までやりきる姿勢を大切にしています。その姿勢が多くの方々からの応援につながり、いただいた温かい応援の言葉が、さらに私が努力を続ける原動力になっています。今後は、フランスアルプス2030冬季大会出場、そしてユタ2034冬季大会でメダル獲得という大きな目標に向かって挑戦を続けてまいります。そして、私がアスリート社員としてオリンピックという高い目標に挑戦する姿を通して、社員の皆さまへ勇気や活力を届け、一体感の酸成に貢献します」
■大坂谷明里選手(陸上競技・棒高跳)
「私の目標は3年後のロサンゼルス2028大会に出場し、日本人女性初の決勝進出を果たすことです。今まで、日本選手権で2年連続2位という結果を残しました。優勝を逃す悔しさもありましたが、それは私の負けず嫌いな性格を刺激し、成長の原動力となっています。またアジア選手権に出場し、海外での経験を積んだことも大きな財産となりました。さらに自己記録を更新し、自己タイ記録を4度跳ぶなど安定したパフォーマンスを発揮できるようになり、競技力の向上を実感しています。今シーズンの目標としては、アジア大会へ出場すること、そして国内の主要大会で優勝する回数を少しでも多くすることです。現在はナショナルトレーニングセンターで練習を積み、世界陸上に出場するトップ選手の背中を追いながら日々挑戦を重ねています。また、小学校を訪問し、子どもたちに走る楽しさを伝える活動も行っています。こうした取り組みを通じて、年齢や立場を問わず人と関わり合う力を培ってきました。これまでの競技生活の中で、大学卒業時には競技継続のため、ポール購入のクラウドファンディングを立ち上げました。初めての挑戦で苦戦もありましたが、発信方法の工夫や支援者への丁寧な対応を積み重ね、最終的に目標金額を達成することができました。支援者の方々への返礼として、高校生への技術指導や交流会を行い、人とのつながりを大切にする姿勢を改めて学ぶ貴重な経験となりました。もしご採用いただけましたら、競技で培った挑戦心や粘り強さに加え、クラウドファンディングや子どもたちへの指導活動を通じて身につけたコミュニケーション力を活かし、企業の一員として貢献したいと考えています。競技で成果を出すことはもちろんですが、人とのつながりを大切にしながら、社内外に良い影響を広げ、企業のイメージ向上につながるような活動にも積極的に取り組んでまいります」
■高木弥瑠選手(トライアスロン)
「私は5歳から競泳を始め、人生の大半を水泳と向き合ってきました。大学進学後、泳げる環境を確保したいという理由でトライアスロンを始めましたが、当初はどこかで自分の可能性に蓋をしていました。トップに行けるのは一握りの才能ある選手だけだと、無意識に限界を引いていたのです。その固定観念を根底から覆したのが、競泳時代の後輩の存在でした。決して天才型ではない彼が、圧倒的な努力でインターハイの表彰台に立つ姿を見て、上に行くのは才能ではなく、努力を正解にできる人間だと確信しました。この気づきが競技への姿勢を一変させ、自分の限界を試したいという本気のスイッチが入りました。しかし、本気で上を目指し始めた矢先の2024年8月、交通事故で大怪我を負い、3か月の練習中断を余儀なくされました。しかし正しい努力は結果につながると、既に自分自身が理解していたため心は折れませんでした。リハビリ期間中は、使えない部位を補うための動作分析を徹底し、野球など他競技の身体操作からも学びを得ました。その結果、復帰から3か月で自己ベストを40秒更新し、インカレのシード権を獲得しました。私の強みは、既存の枠に囚われない分析力と逆境でもやり切る遂行力です。正解のない課題に対しても構造を整理し、試行錯誤を重ねながら結果に結びつけてきました。自ら目標を設定し、試行錯誤を続けながら前進する自走能力は、周囲を巻き込み、組織に前向きな変化をもたらす力になると考えています。また、トライアスロンで培った時間管理と集中力も活かし、限られた時間の中で高い生産性を発揮し続けます。採用していただいた際には、競技で培った私の強みを組織にも還元し、ブリスベン2032大会出場という明確な目標とともに、企業価値を高め続ける存在になります」
■松田向日葵選手(ラグビー)
「ラグビーは3歳の頃に始め、それ以来、常に私の生活の中心にありました。しかしこれまでの競技人生は、決して順風満帆なものではありませんでした。高校時代にはユースの海外遠征メンバーから外れ、努力しても結果に結びつかない悔しさを味わいました。大学でも日本代表に選出されたものの、その後の遠征メンバーから外れ、自分の現在地の低さを突きつけられました。通用しないという現実から目を背けたくなることもありましたが、それでもラグビーをやめたいと思ったことは一度もありません。それは、自分自身の夢を叶えたいという思いと、これまで支えてくれた家族や応援してくださる方々に、結果で恩返しがしたいという強い気持ちがあったからです。その思いを原動力に、なぜ通用しなかったのか、自分には何が足りないのかと向き合い続けてきました。特に課題であったフィジカルやスピードに対しては、ただ闇雲に練習量を増やすのではなく、自身のプレーを振り返り、トレーニングの意図を明確にした上で取り組むことを心がけました。試合映像と真剣に向き合い、自分の弱さから目を逸らさず、一つひとつ改善を積み重ねる地道な努力を続ける中で、少しずつプレーに変化が表れ、再び代表としてプレーする機会を掴むことができました。この経験を通して、私は結果が出ない状況下でも考え続け、行動し続ける力を身につけました。また、チームで戦うラグビーだからこそ、仲間や支えてくれる人への感謝を忘れず、支え合いながら成果を出すことの難しさと価値も学びました。これまで約20年にわたり競技生活で培ってきた継続力と課題解決力は、環境が変わっても発揮できる私の強みです。今後はロサンゼルス2028大会で金メダルを獲得することを目標に、競技と仕事の両立に挑戦しながら、どのような環境でも自ら課題に向き合い、結果に徹底的にこだわり続けることで、信頼される人材として貢献していきたいと考えています」
■櫻井虹太選手(スキー/スノーボード・スノーボードクロス)
「私の競技人生最大の目標は、フランスアルプス2030冬季大会、ユタ2034冬季大会でメダルを獲得することです。私は、10歳の時にスノーボードクロス競技を始めました。冬の大自然を駆け抜ける疾走感やレース特有の駆け引きに魅了されました。ジュニア時代は順調に競技目標を達成し、世界ジュニア選手権7位、全日本選手権優勝という成績を収めました。しかし、19歳で初出場したワールドカップでは、自分らしい滑りをすることができず、世界との圧倒的な差を感じました。自分では十分だと思っていたトレーニング、食事管理などが世界の選手にとっては当たり前のことであり、自分の基準の低さを痛感しました。この経験をきっかけに、継続の中の質を学びました。単に練習量をこなすのではなく、食事、休養などを見直し、1日を無駄にしない生活を意識するようになりました。その結果、着実に成長し、昨年世界選手権に初出場することができました。これまで培ってきた継続の中の質を活かし、改善を重ね成果を出し続けていきます。また、アスリートとして挑戦を続ける姿を通じて、組織全体の士気向上にも貢献していきます。これまでの競技生活では、ただがむしゃらに楽しさを追い求めてきましたが、気がつけばスノーボードを始めた当初には想像もできなかったほど多くの人々に応援され、支えられています。私は結果で恩返しをしたい人がたくさんいます。私のことを自分のことのように喜び、悔しがってくれる人や私のことを誇らしげに語ってくれる人など、今では私の楽しいという気持ちに、またひとつ、大切な意味が加わったと感じています。これからも、たくさんの人に支えていただきながら、私はオリンピックという大きな舞台を目指して歩み続けます。私の夢を応援するのではなく、共に描く夢として歩んでいただけたら嬉しいです。これまでの経験を活かし、企業に貢献し続けられる人材へと成長していきたいと考えています」
■藤原陸登選手(陸上競技・走幅跳)
「私の自己ベストは8m06cmです。私は6歳で陸上を始めましたが、最初から幅跳び一本だったわけではありません。中学までは中長距離を専門としながら、様々な競技に触れてきました。その中で、いわば遊びとして挑戦した走り幅跳びに、言葉にできないほどの適性を感じたことが専門種目を選んだきっかけです。高校からは本格的に打ち込み、3年時には7m73cmを跳び、広島県高校記録および中国高校新記録を樹立することができました。しかし、大学進学後は一転して試練の連続でした。結果を求める焦りからオーバーワークに陥り、努力すればするほど記録が伸びないという深いスランプを経験しました。大学4年間での自己ベスト更新はわずか一度。全国大会出場という結果に留まり、世界の壁を痛感しました。ここで学んだのは、ただ盲目的に努力の量を増やすだけでは、突き抜けた成果を出すことはできないということです。社会人になり、私は競技への向き合い方を根本から見直しました。食事の栄養管理、睡眠の質の追求、そして休むべき時にしっかり休むという勇気ある判断。パフォーマンスを最大化するために自分を客観視する徹底した自己管理能力を身につけました。その結果、社会人2年目に8mの大台を突破。2025年シーズンには水戸招待陸上で初のグランプリ優勝を果たしたほか、日本選手権室内や全日本実業団での入賞など、安定して高い成果を出せるようになりました。現在は、ロサンゼルス2028大会出場を最大の目標に掲げ、1日1日のトレーニングに妥協なく向き合っています。また、私の強みは競技力だけではありません。大学卒業後の3年間、ジム運営に携わり、幼児から高齢者まで幅広い層にトレーニング指導を行ってまいりました。1人ひとりの目的やレベルに合わせた言葉を選び、並走する中で磨いた信頼関係の構築力は、ビジネスの現場においても組織の活性化や顧客対応に必ず活かせると確言しています。私は、競技引退後も長く社会や企業に貢献できる人材を目指しています。培ってきた自己管理力と継続力を武器に、仕事においても責任ある役割を担い、着実に成果を出し続ける覚悟です」
プレゼンテーション終了後、登壇した就職希望アスリートによる座談会を実施。柴JOCキャリアアカデミー事業ディレクターの進行のもと、周囲からの印象やハプニングの対処法などについて自らの考えを述べました。説明会終了後には、選手と企業関係者との名刺交換、情報交換会が行われ、企業と選手がそれぞれ交流を深めました。
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