パリ2024オリンピックの競泳・男子400m個人メドレーで銀メダルを獲得した松下知之選手が8月4日、記者会見を行い、競技終了から一夜明けての心境を語りました。
会見の冒頭、選手の前に置かれた輪島塗のタンブラーの紹介がありました。石川県輪島漆器商工業組合よりご協力いただき、今年1月1日の能登半島地震をパリで戦っているメダリストも忘れず、被災された方々も一緒に頑張ろうというメッセージが発信できたらという思いで用意されました。
■松下選手「チーム全体で日本競泳を盛り上げていきたい」
――メダルを獲得した率直な感想、周囲の反応はどうでしたか?
松下選手 メダルを獲得した率直な気持ちとしては、ずっと夢見たオリンピックの舞台で自分が今持っているパフォーマンスを最大限に出して銀メダルを獲得することができたので本当に嬉しいという気持ちと、やってきてよかったなと思いました。周囲の反応は、様々な人からお祝いのメッセージをいただき、家族も見に来ていたので、良いところを見せられて良かったなという気持ちです。
――ご家族もいらしていたとのことですが、終わった後にどのようなお話されましたか?
松下選手 直接会うことはできなかったのですが、電話で「いい旅行ができた」と言っていました。自分としては楽しんで見ていただければと思っていたので、やってよかったなと思っています。
――自己ベスト更新の要因、どのような取り組みをしてきたのか?
松下選手 4月の選考会が終わってからオリンピックのメダルを獲得することだけを考えて練習していたので、地道なきつい練習などもありましたが、苦しい練習も乗り越えて獲得できたメダルかなと思います。
――レース後に平井コーチとどのような会話をしましたか?
松下選手 今回自分のタイムは4分8秒だったのですが、自分たちの予想として4分7秒台がメダルラインかなと話していたので、「持っているな、勝ち切る力はあるな」というような話をしていました。
――(平井コーチと)今後に向けての話はありましたか?
松下選手 まずはまだまだタイムが狙えそうなので、しっかりタイムを上げて、レオン・マルシャン選手(フランス)が世界新記録を出しているので、4年後そこにどれだけ近づけるかというのを目標にしながら頑張っていきたい、というような話をしました。
――マルシャン選手との初対決、どのように感じましたか?
松下選手 初めてあんな速い選手と泳いだので、速すぎて見えないぐらい前に行ってしまい、正直どんな感じだったかというのを覚えていないですが、オーラがあって迫力のある選手だなというのを感じました。
――これからどのように競泳日本を引っ張っていくか?
松下選手 私以外にも非常に力がある選手が日本競泳にはいるので、そういう人たちとしっかりチーム全体で日本競泳を盛り上げていきたいなと思っています。
――今後タイムはどれくらいまで伸ばせそうか?
松下選手 レースが終わって1日オフを挟んで練習を少しずつ開始したのですが、レースが終わってからの方が調子がいいです。感覚としては46秒台を出せるような気がしていて、今回も前半はベストタイムより速く入れたのですが、バタフライのタイムはもう1秒ぐらい縮められるのかなと思っています。背泳ぎを今回のペースのままでいけたら、平泳ぎも1秒ぐらい上げてというようなイメージはできているので、そのあたりを上げていけるのであれば、より良いタイムが狙えるのかなと思っています。
――レースが終わり、選手村ではどのように過ごしていますか?
松下選手 レースが終わって気楽というか、周りの選手を良く見られるようになったと感じています。意外と落ち着いていたのですが、レースが始まるまでは緊張していたので周りが見えていなかったです。改めてレースが終わって選手村の様々な選手と関われるようになり、様々なところに行って写真を撮ったりしています。
――どんな選手に会ったか?どこに行ったか?
松下選手 メダル獲得してから日本の選手団の人が見ていてくれて声をかけてくださるので、他の競技の方と「いつ試合ですか?」というような会話ができるようなったので嬉しいです。
――驚くような選手から声かけられたりしましたか?
松下選手 (声をかけられた選手はいませんが)個人的に一番嬉しかったのは柔道の阿部一二三選手なのですが、ご飯のときに私から声をかけて、「おめでとうございます」というような話をしたときは嬉しかったです。
――8月1日が誕生日でしたが、何かお祝いしましたか?また、18歳の年を振り返ってどうでしたか?
松下選手 誕生日と言っても皆レースで集中していたので自分もあまりそこに水を差すわけにはいかず、「おめでとう」という言葉はもらいましたが、何かプレゼントをいただくということはなかったです。18歳を振り返ると人生で一番練習を頑張った1年ですね。東洋大学に進学したときもそうだったのですが、覚悟を決めてオリンピックに行きたいという気持ちでがむしゃらに頑張ったというか、タイムというか1つの目標に向けて必死に頑張った1年かなと思います。
――栃木県の方に伝えたい思いは?
松下選手 毎日支えてくれて応援してくれていたので、本当に真っ先に感謝の気持ちを伝えたいです。
――永松コーチ(永松康一さん)とやりとりはありましたか?
松下選手 永松コーチとはあのレース前から連絡を取っていて、「レースに向けて頑張っているのが分かるから、あとは結果がどうであれ試合を楽しむことが一番大切だと思う」というような会話をして、自分も本当にそうだと思いながら、会場で一つ一つのレースを楽しむという気持ちでレースすることができました。
――子供たちに向けて、金メダルを獲得するためにはどのようなことが必要か、メッセージをお願いします。
松下選手 自分はタイムよりも勝負することが好きだったので、純粋に勝負をする楽しさや好きなことに夢中になってくれれば自然と結果が出てくると思います。まずは水を楽しむ、一つのものにとらわれるのではなくて、広い目で取り組んでいただければいいのかなと思います。
――初のオリンピックでなぜ自己ベストが更新できたか?どのような学びがあったか?
松下選手 自分は周りにあまり左右されないというか、水に入ってさえしまえばどこのプールだろうがやることは変わらないという気持ちを持っていて、自分を崩さないということをずっと意識していました。
――味の素の「ビクトリープロジェクト®」のサポートでプラスになったことは?
松下選手 自分はシエラネバダ(スペイン)の前からずっとヨーロッパにいたのですが、体重の減少がすごく課題でした。その影響で練習に影響をきたしていたので、不安を抱えながらアミアン(フランス北部)に入りました。アミアンから味の素さんがサポートしてくださり、ゼリーや捕食を用意してくださったので、練習や調整をしていく中でしっかりエネルギーを蓄えることができました。おかげで不安がなくリズムを変えることができました。試合前になると食事の摂り方がいまいちわかってなかったのですが、松井さんという味の素の方に詳しく教えてもらい、自信を持って臨むことができたのですごくありがたかったと思っています。
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