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2024.11.05 キャリア支援

JOCの就職支援「アスナビ」:企業説明会を実施

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登壇してプレゼンを行った11選手(写真:フォート・キシモト)

 日本オリンピック委員会(JOC)は10月23日、味の素ナショナルトレーニングセンターウエストで、トップアスリートの就職支援ナビゲーション「アスナビ」の説明会を行いました。

 アスナビは、アスリートの生活環境を安定させ、競技活動に専念できる環境を整えるために、アスリートと企業をマッチングする無料職業紹介事業です。年間を通じて「説明会」を複数回実施し、企業に対してトップアスリートの就職支援を呼びかけています。2010年から各地域の経済団体、教育関係機関に向けて本活動の説明会を行い、これまで228社/団体405名(2024年10月23日時点)の採用が決まりました。今回の説明会ではJOC主催のもと、15社24名が参加しました。

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井上康生JOCハイパフォーマンスマネージャー(写真:フォート・キシモト)

 最初に主催者を代表して井上康生JOCハイパフォーマンスマネージャーがアスナビ説明会に参加した企業に対する感謝の言葉を述べました。続けて自身が副団長として帯同したパリ2024大会について「選手のパフォーマンスや多くの方々のサポート、そして歓声と、人々とスポーツの融合を感じられた素晴らしい大会でした」とコメントすると共に、「アスリートは多くの方々の応援、声援、後押しがあるからこそ良いパフォーマンスが発揮できると感じております。私自身、企業様の後押しがなくてはトップアスリートとして戦い続けることはできなかったと思いますし、感謝しております。今日はオリンピックを目指す若きアスリートが集まっていますので、この後のプレゼンを聞き、ぜひとも応援してくだされば幸いです」と参加企業にアスリート採用を呼びかけました。

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柴真樹JOCキャリアアカデミー事業ディレクター(写真:フォート・キシモト)

 続いて、柴真樹JOCキャリアアカデミー事業ディレクターがアスナビの概要を、スライド資料をもとに紹介。アスナビが無料職業紹介事業であることや登録するトップアスリートの概略のほか、就職実績、雇用条件、採用のポイント、アスリート活用のポイント、カスタマーサポートなどを説明しました。

 その後、就職希望アスリート11名がプレゼンテーションを実施。映像での競技紹介やスピーチで、自身をアピールしました。

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石川瀬那選手(写真:フォート・キシモト)

■石川瀬那選手(バレーボール/ビーチバレーボール)

「私は高校でビーチバレーボールの指導をしている父の影響で、幼少期からビーチバレーボールに親しんでいました。その中で高校生の全国大会で躍動している選手達を身近に感じており、私もビーチバレーボールで全国優勝したいという想いが芽生え、父が指導をしている高校へと進学をし、ビーチバレーボール競技を始めました。高校3年生になり、新型コロナウイルス感染拡大の影響で全国優勝という目標を達成できないまま引退を余儀なくされた私は、進学する大学を選ぶ際に、学業とビーチバレーボールどちらを優先するのかという壁に直面しました。その中で私は、一度きりの人生で後悔を残したくないという想いから、ビーチバレーボールを部活ではなくシニアのカテゴリーに一足先に足を踏み入れること、学業面ではずっと学びたかったイタリア語と歴史学を同時に学ぶことができる国際基督教大学への進学を決め、学業とビーチバレーボールの二刀流に挑戦しています。大学2年生となり、私と同じアマチュアプレーヤーである二宮大和選手に声をかけていただいてペアを結成し、日本最高峰の大会であるジャパンツアーを転戦し、経験を積んできました。そして今年は新たに立谷純太郎選手とペアを結成し、ペア結成後初のジャパンツアー平塚大会ではオリンピアンを下し準優勝、8月に行われた全日本選手権でも多くのプロ選手たちを下し準優勝、9月のジャパンツアー名古屋大会では日本代表ペアに勝利し3位入賞を果たすことができました。現在は11月に私の地元である横浜赤レンガ倉庫で行われるジャパンツアーでの優勝を目指し、日々課題解決に取り組みながら練習を続けています。私が競技人生や学生生活の中で身につけてきた物事を多角的に見る力を活かして、試合映像から自身や対戦相手のデータを可視化し、様々な角度から強みや弱みを理解し、私のもう一つの強みである努力を続け結果に繋げることができる能力を活かして、一つ一つ課題を解決しながら競技力を身につけ、日本そして世界で一番の選手になるべく努力を続けていきます。もし本日ご縁があり皆様の会社に入社することができましたら、社員の皆様にとって誇りとなる存在になれるように、また私が競技だけでなく業務を行う際には、社員の皆様から良い刺激を受け、相互に良い影響を与え合える、そのような素晴らしい関係を築いていけたらと思っております」

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佐野佑衣選手(写真:フォート・キシモト)

■佐野佑衣選手(フェンシング・サーブル)

「私の目標はロサンゼルス2028大会で金メダルを獲得することです。中学時代は陸上部に所属し中距離を専門としていましたが、中学の陸上部監督からの勧めで高校1年生からフェンシングを始めました。高校1年時に部員の前で一人ずつ目標を話す機会があり、誰にも負けたくなかった私は、その時初めてオリンピックで金メダルを獲るという目標を掲げました。周りの選手が小学生や中学生からフェンシング競技を始めている中で、不器用な私が同じ土俵で戦っていくため、さらに上を目指していくためには他の人の何倍もの努力が必要でした。私は普段右利きですが、監督からの勧めにより左でフェンシングを始めたこともさらなる苦難でした。私は母の教えである『1回でできないなら100回でも1000回でも諦めないでやり続けることが大事』という言葉を胸に、時間をかけながら練習に取り組んできました。サーブルは一瞬の駆け引きで勝負が決まる種目です。戦い方の幅を広げるために、コーチやチームメイトからの客観的なアドバイスが非常に大切なので、周囲と積極的にコミュニケーションを取るようにしています。また、普段練習していない相手に対して自らお願いをして練習することで、困難な状況に対する突破力を向上させてきました。その成果として、大学時代には全日本フェンシング選手権大会において個人3位、団体準優勝。大学卒業後は中国で開催されたワールドユニバーシティーゲームズの代表に選出され、今年は9月に行われた全日本フェンシング選手権大会において個人3位という結果を残すことができました。また、現在の所属先であるTeam SAGA SPORT PYIRAMIDは、佐賀県で開催された2024年国民スポーツ大会で優勝するため、私の実力を信じてメンバーに加えてくれました。結果として期待に応え優勝することができ、声をかけて下さった佐賀県に恩返しすることもできました。私は世界を舞台に様々な国際大会を転戦する中で、新たな自分になるためには自身の考えの幅を広げることが大切だと感じ、積極的に海外選手や他競技のトップアスリートとの交流を行ったことで、内面的に成長できていると実感しています。どのような場面でも新たな自分に挑戦し続ける心、そして目標に向かってひたむきに取り組む忍耐強さが、私の強みになっています。皆様の企業にご採用いただけましたら、自身の役割や責任を認識することで会社の一員であるという自覚を持ち、社会貢献ができる人間となれるよう、様々な挑戦と努力を続けて参ります。そして多くの人に応援され、感動を届けられる選手になれるよう取り組んで参ります」

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梅野倖子選手(写真:フォート・キシモト)

■梅野倖子選手(陸上競技・競歩)

「私の競技人生の目標は、2025年に東京で開催される世界陸上競技選手権大会で結果を残し、ロサンゼルス2028大会では確実にメダル獲得をすることです。私が陸上競技の競歩と出会ったのは高校1年生の時です。小学校と中学校の時はバスケットボールをしており、ただ体力に自信があるからという理由で高校から陸上競技を始めました。競歩は陸上競技の中でも地味なスポーツだと思われています。しかし競歩は地味なスポーツではなく、選手間の駆け引きや戦術など非常に魅力のある競技です。また1kmあたり4分30秒を切るような速さで20㎞を歩き続ける過酷なスポーツです。高校ではU-18日本記録を超えることを目標に様々な方の支えを受け、U-20日本選手権で優勝し、目標を達成することができました。大学生となりフィジカルとメンタルを鍛えるために、男子競歩部に入ることを決意しました。男子部の中で女子1人の練習環境で練習することで、フィジカルとメンタルにおいて大きく飛躍できたと感じております。がむしゃらに練習していた高校時とは異なり、科学的根拠のある練習メニューを自身で作成したり、練習や試合後の結果を客観的に分析したりするなど、自身の成長を自覚しています。これにより自身のスキルアップに必要な練習サイクルを見つけることができ、大いに成長したと感じております。指導者や多くの仲間の支えや自身の努力が報われたことで、多くの世界大会を経験することができました。現在、陸上競技部女子部の副主将を務めてります。関東学生陸上対校選手権大会、全日本学生陸上対校選手権大会総合優勝を目標とし、女子部員117名をまとめ、士気を上げる活動にも取り組んできました。普段練習の際にあまり関わることがない短距離などほかの種目の仲間や後輩たちに声をかけたり、対校戦に出場することができない選手に対しても、仲間の応援が励みになるから一緒に頑張ろうと、チームを盛り上げてきました。人を動かす説得力のある発言や行動力、決断力を身に着けることはなかなか難しかったですが、日々失敗を繰り返しながらも成長してまいりました。もしご採用いただけましたら、競技者としての競技レベルの向上だけでなく、人として社会に通用する知識や柔軟な思考力、新たな物事を創造する力を身に着けることができるよう努力します。そして、どのような業務も粘り強く遂行し、競技を通して培った計画性や責任感を持って、企業の一員として会社の発展に貢献したいと考えております」

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藤本世音選手(写真:フォート・キシモト)

■藤本世音選手(サーフィン)

「私は父の影響で9歳の頃からサーフィンを始め、約13年間取り組んできました。常に危険と隣り合わせの海の中で自然の波に自分のサーフィンを描く、そのようなところに魅せられアスリートとしての全てをサーフィンに注ぎ込んできました。先月行われた全日本サーフィン選手権では念願の優勝を果たすことができました。目標であった全国大会での優勝は本当に嬉しかったです。そして何よりも驚いたのは、現地で応援してくれていた方々が涙を流しながら私の優勝を喜んでくれていたことでした。自分のことのように私の成功を喜んでくれる人たちがいることに嬉しさを感じたと共に、スポーツが持つ可能性を改めて感じることができました。サーフィンは日本ではあまりメジャーなスポーツではありませんが、自然と一体化し様々な波に果敢に攻める姿勢は、多くの人を魅了し感動させる力があると信じています。これからもオリンピックに向けて、企業の皆様と共に高みを目指して一生懸命進んでいきたいと思っています。また、そのようなサーフィンから私は様々なことを学んできました。自身の強みである絶対に諦めない心や何事も楽しんで取り組む姿勢はサーフィンから学び得てきました。また、オーストラリアでのサーフィン留学の経験は自身の価値観や生き方を大きく変えてくれるきっかけとなりました。先ほども触れたように、サーフィンは自然と一体化しています。毎日海の水を肌で感じ変わりゆく海岸の様子を見ている中で、年々上昇している海水温や変わることのない海洋ごみなど、環境問題や気候変動は誰よりも身近で感じてきました。未来の海や地球のために、私たちサーファーはビーチクリーンなどの環境保護活動を積極的に行なっていますが、世の中にはこれらの問題が広く認識されていないのが現状です。私は社員アスリート、そしてサーファーという視点からこれまで以上にこれらの問題に取り組んでいきたいと考えています。もちろん、決して自分だけの力で解決できるとは思っていませんが、企業の皆様と共に取り組むことで大きな力になると信じています。アスリートとして高みを目指すと共に、次世代のためにもこれらの問題にこれまで以上に取り組んでいきたいです。皆さまの企業で働かせていただくことになりましたら、社員の皆さんに応援され士気を上げることができる、そのような社員アスリートを目指していきます。全力で会社に貢献できるよう精進してまいります。応援されるだけでなく、応援してくださる皆様をインスパイアできる存在を目指していきます」

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坂東巧望選手(写真:フォート・キシモト)

■坂東巧望選手(バレーボール/ビーチバレーボール)

「私は小学6年生のときに母親の影響でバレーボールを始めました。中学、高校ではバレーボール部に所属しましたが、目立った成績はありませんでした。高校2年生の頃にはビーチバレーボールに興味を持ち始め、日本代表選手やオリンピックの試合などを動画で沢山観ました。風や砂の状態によって左右されやすく、2人だけのプレーがアグレッシブに見えるビーチバレーは非常に面白くて格好良かったので、いつか転向したいと思うようになりました。大学1年のある日、大学バレーボール部の同期からビーチバレーボールの大会へ一緒に出ようと誘われたことをきっかけに、ビーチバレーボールに転向することを決めました。ビーチバレーを始めた最初は、頼れるのが6人からペアの相手と自分の2人に減ったことで、自分へのプレッシャーが増え、精神的な弱さが露呈してしまいました。そんな私を強くしてくれたのは社会人の先輩たちでした。一緒に練習することで、技術や戦術の知恵が身に付きました。競技のことだけでなく様々な相談事にも応対してくれ、精神的に強くなることができたのに加え、人としても大きく成長できたと自負しています。ひたむきに努力をし続けた結果、大会でも結果が残せるようになり、大学2年時にはお台場での公認大会で優勝することができました。また、4年次には全日本インカレで優勝し、初の学生チャンピオンになり、さらには全日本ビーチバレーボール男子選手権大会では4位に、ジャパンビーチバレーボールツアーの青森大会では3位に入賞することができました。私の目標はオリンピックで金メダルを獲得することです。この大きな目標を達成するため、私は人生の全てをビーチバレーボールに捧げる覚悟で取り組んでおります。たとえどんな困難や辛さがあっても決して諦めることはありません。世界一のビーチバレー選手になることが、私の覚悟と情熱を証明するために必要なことだと確信しているからです。私の挑戦は企業の皆様と共に歩むことでさらに強いものとなり、大きな一歩になると考えています。全身全霊で努力し、最高のパフォーマンスを発揮できるように励んでまいりますので、ご支援とご協力をいただけますと幸いです。皆様の企業にご採用いただけましたら、私の目標実現に向けて邁進する姿を通じて、企業の一体感醸成に貢献したいと考えています。また、競技生活で鍛え上げたメンタルの強さは業務遂行にも必ず活かせると確信しています。必ず、企業にとってプラスとなる人材に成長していきます」

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五十嵐晴冬選手(写真:フォート・キシモト)

■五十嵐晴冬選手(スキー/フリースタイル・エアリアル)

「私の目標はミラノ・コルティナダンペッツォ2026冬季大会出場、そしてソルトレークシティー・ユタ2034冬季大会で金メダルを獲得することです。エアリアルは国内ではあまり知られていない競技です。試合で使う3回転の技を練習するための環境が日本国内には無いため、私は1年のうちの半分以上を海外で過ごしています。今年も8月から9月にかけて、5週間ほどカナダのケベック州でホームステイをしながら練習を続けてきました。今回の遠征で3回転の技を習得することができ、オリンピック出場に一歩近づくことができたと感じています。12年間、エアリアルという1つの競技に真剣に向き合う中で、自律性と継続力を培い、目標に向かってどんな困難な状況にも挑み続ける強さを身につけることが出来ました。現状、日本ではエアリアルの男子選手が私しかおらず、ほとんど1人でトレーニングをしています。海外遠征では同年代の海外選手たちと一緒に練習することもあり、仲間と切磋琢磨することもあるのですが、日本人は私1人であるためどこか孤独を感じることもあります。しかし、この孤独な時間が目標に向かって集中する力を養ってくれました。自ら考え行動し、目標達成に向けて努力を続ける力を身につけることができた12年間でした。繰り返しになりますが、私の目標はソルトレークシティー・ユタ2034冬季大会で金メダルを獲得することです。それは長く険しい道になるかもしれません。しかし、困難を乗り越えて得た成長は何にも代え難い。この言葉を胸に楽しみながら成長を続けます。私が壁を乗り越えていく姿を通して、世界中の人々にスポーツの素晴らしさや壁を乗り越える楽しさを伝えていきたいと思っています。皆様の企業にご採用いただけましたら、競技者としての目標を叶えると共に、社員の皆様と協力し、職場に活気と一体感をもたらすことができるよう努めてまいります。私のオリンピックへの挑戦を通じて、自分も頑張ろうと感じていただけるような前向きな気持ちを届けられる存在になりたいです。競技を引退した後は、スキー競技以上に情熱と向上心を持って仕事に取り組んでいきたいと考えています」

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大谷友哉選手(写真:フォート・キシモト)

■大谷友哉選手(トライアスロン)

「私は小学校の頃から競泳と陸上競技を始めました。特に北島康介選手への憧れから競泳でオリンピックに出場することが夢でした。中学校3年時に県大会で2位という実績でしたが、全国大会出場は叶いませんでした。その頃、トライアスロンをしていた姉の影響で、私も本格的に競技を始めました。元々陸上競技の長距離を得意としていた私は、3種目で勝負することのできるトライアスロンでオリンピックに出場したいと考えるようになりました。私はトライアスロン競技を通じて、主体的な行動力と周りを巻き込むコミュニケーション力を培ってきました。日本体育大学に進学した理由も、学生の主体性を重んじる大学であったからです。多くの大学では監督が練習メニューを作成しますが、日本体育大学のトライアスロン部では選手が練習メニューを作成します。さらに広報活動、会計、プールの借用、遠征の手配に至るまで全てのことを自分たちで行っています。私は自らラン担当を希望し、週に3回ランニングの練習メニューを作成してきました。大学2年時の日本学生選手権で惨敗し、強化方法をチームで話し合いました。その結果、ランニングに課題があるという結論になりました。ラン担当の私は大きな責任を感じ、どうしたら皆が強くなれるのかと考え抜いて、練習方法を大きく変更しました。それまではチームの練習後、休憩時間を取ってからランの練習を行っていました。しかし、3種目続けて行うトライアスロンは、試合中に休憩時間などありません。スイム後の疲れた状態で次の種目でもパフォーマンスを発揮できるかが勝負となります。そのためには、練習でもインターバルをなくして連続して行う必要があると考え、スイムの練習後すぐにランの練習を行うメニューをチームに提案しました。最初は休憩時間を取りたいという意見もありました。そのときはみんなで競技特性を確認し、目標達成に向けて優先すべきことを話し合いました。そして周囲の賛同を得て、新メニューを実行することができ、部員の実力も向上していきました。その結果、大学3年時の日本学生選手権では個人優勝と団体準優勝の成績を収め、リベンジを果たすことができました。今後の目標は日本選手権優勝と世界での活躍、最終目標はオリンピックでのメダル獲得です。経験の浅いバイクへの苦手意識をなくし、スイムとランの一層のレベルアップを図り、オリンピックでのメダル獲得を目指します。皆様の企業にご採用いただきましたら、培ってきた主体的な行動力と、周りを巻き込むコミュニケーション力を発揮し、業務でも会社に貢献できるよう精一杯努力してまいります」

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菊地心和選手(写真:フォート・キシモト)

■菊地心和選手(フェンシング・サーブル)

「私は小学4年からテニス競技を始め、中学3年まで続けました。高校に入学し、新しいことに挑戦したいと言う気持ちが芽生え、高校1年からフェンシングを始めました。まず、私が競技活動を通して得た、目標に向かって忍耐強く努力し継続する力についてご紹介します。私の高校の部活の目標は日本一でした。競技開始当初は右も左もよくわからず、ただただ先輩たちに着いていく日々でした。慣れないことが多く、基本動作を覚えることも一苦労でしたが、同期には負けたくないと思ったことがきっかけで、強くなるためには何が必要かを考えるようになりました。基本動作の自主練習を続けることや、強い選手の動画分析を始めることで、次第に競技が好きになり、のめり込んでいきました。試行錯誤の結果、同期や先輩たちに少しずつ勝てる様になり、部の目標であった日本一は、私自身の目標に変わっていきました。高校3年時のインターハイではベスト16で敗退し、日本一という目標の達成はできませんでしたが、負けたことが悔しく、もっと強くなりたいという想いから、私の心に更に強い火がつきました。大学は強豪である日本大学に進学し、目標を達成するため自己研鑽に取り組み、反省と分析を繰り返してきました。その結果、大学2年時にはジュニアの日本ランキング1位、3年時に全日本学生選手権優勝と、目標であった日本一を達成することができました。私はこの目標達成の過程において、状況分析や改善策を見つけ出し修正を繰り返す中で、日々の努力を忍耐強く継続することの大切さを学びました。私は現在、日本代表として世界の舞台で戦っており、次の目標は全日本選手権で日本一になってロサンゼルス2028大会に出場して世界一になることです。皆様の企業にご採用いただけた際に、どの様に貢献したいかについてお話しさせていただきます。私の信念は『どんな時も前向きに生きていきたい』です。私はどのような状況でも前向きに頑張るポジティブマインドを持っていると自負しており、競技活動だけでなく社員の皆さまとの交流を通じて、社内を明るくし、社員の方々を元気づけることで、より楽しく働くことができる環境づくりに貢献していきます。競技を通じて得た経験を最大限に活かし、成長し続ける姿勢を持って貢献してまいります」

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藤原孝輝選手(写真:フォート・キシモト)

■藤原孝輝選手(陸上競技・走幅跳/110mハードル)

「私は小学2年の時に兄の影響で陸上競技を始め、今年で14年目になります。走幅跳と110mハードルの2種目に取り組んでおり、陸上競技では珍しいトラック種目とフィールド種目の二刀流となります。私の目標は、来年東京で行われる世界陸上競技選手権大会に2種目で出場すること、そしてロサンゼルス2028大会において2種目で入賞することです。そのために現在、2種目とも力を発揮できる身体の改造と基礎となるスプリント力の向上に取り組んでいます。私はご覧の通り身長が高く190cmあります。これを最大の武器として戦っているものの、数ヶ月にわたる怪我で悔しい経験を幾度もしてきました。一昨年から昨年には右足舟状骨の骨折とその手術により約1年間大会出場が叶わず、ジョグすらできない期間が長く続きました。怪我で競技を離れている期間は苦しく、何度も挫折しそうにもなりましたが、今振り返ると人生の中でも大事な経験となり、精神的にもタフになったと前向きに捉えています。怪我で長期離脱をせざるを得ない中でもできることを模索し、特に2つの学びを得ました。1つ目は多角的な視点です。故障期間を私は自分自身を見つめ直す時間としてリハビリに当ててきました。関節のゆがみや筋肉の動かし方など、普段怪我なく走れている時には注目しない点を見直しました。自分自身の考えている動きと実際の身体の動きのズレをレーナーさんと共に修正し、また、その際に発見した新たな課題と既にある課題を整理することで優先的に解決すべき課題を明確にし、問題解決の順番や計画を立てることに成功しました。2つ目は継続の大切さです。2年前から右足がX脚のように内側に膝が入ってしまう癖を改善するためのトレーニングを行っています。現在もなお改善中ですが、最近コーチからその癖が無くなっていると言われることが増えました。この課題の改善には膨大な時間がかかり変化が微々たるものであるため、自分自身でその変化に気づくことが出来ませんでした。しかし、実際には成果が出ていたことがわかり、継続なしには成果が出ないことを身をもって学ぶことが出来ました。これら2つの学びを問題解決アプローチのサイクルに落とし込みました。課題の分析・解決方法の模索には多角的な視点を活かし、解決のアプローチを継続することで普段の練習や生活など、あらゆることに活用できるようになりました。皆様の企業にご採用していただいた際には陸上競技に取り組む姿勢で社内を盛り上げるきっかけになりたいと思っています。業務においては視野を広く持ち、粘り強く、強みを活かしてどんなことも全力で全うします。社会人として競技、業務共に成長し続けられるように精進いたします」

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富田昂馬選手(写真:フォート・キシモト)

■富田昂馬選手(バレーボール/ビーチバレーボール)

「私がバレーボールを始めたのは小学校に入る前でした。それは家族全員がバレーボールをしていたからです。両親がVリーグの選手だったこともあり、家の中ではバレーボールの会話をすることは日常茶飯事で、気づけば私も自然とその輪に入っていました。幼い頃から、チームプレーの大切さやスポーツの楽しさを家族と一緒に学び、そこで培った経験が私を作ってくれたと感じています。しかし、家族が本格的にバレーボールに取り組んでいたため、時に大きなプレッシャーにもなりました。特に、5歳上の兄は優れた選手であり、兄と比べられることが多くありました。自分自身が認められていないのではないかと感じることもあり、何度も挫折を経験しました。その挫折にも屈しなかったからこそ、自分は自分という姿勢を強く持つことができました。そして私は、高校2年生のとき、バレーボール部の顧問からの推薦でナショナルチームの合宿に参加したときにビーチバレーボールに出会いました。それまでやってきたバレーボールとは全く異なる環境で、最初は戸惑いましたが次第にその魅力に引き込まれていきました。ビーチバレーボールは、2人で全てこなす必要があります。コートが広く感じ、砂の上での動きは思うようにいきませんが、毎回必ずボールに触れて自分らしさが表現できることが嬉しく思いました。この出会いから本格的にビーチバレーボールを始めようと思いました。私の強みは、リーダーシップと問題解決力、そしてコミュニケーション能力です。リーダーシップについては、大学でキャプテンを務め、チームを牽引した経験から身に付きました。コーチが居ないため練習メニューも自分で考え、メンバー全員の意見を尊重しながら、目標達成に向けて努力しました。問題解決力とコミュニケーション力は、メンバーの相談事に真摯に対応し、解決していくことで身に付きました。また、試合の中でも瞬時に状況を判断し、ペアと意思疎通を図り答えを出すということを繰り返すことで、さらに磨くことができました。ビーチバレーボールはペアとの信頼関係が試合の結果を左右します。そこで私のコミュニケーション能力も大きく役立ちました。皆様の企業にご採用いただけましたら、私の3つ強みであるリーダーシップ、問題解決力、コミュニケーション力を発揮し、能動的に業務に取り組み、社員の皆さまとの交流を通じて、企業の一体感醸成にも寄与していきたいと考えております」

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荻原大地選手(写真:フォート・キシモト)

■荻原大地選手(水泳/水球)

「私は小学校から水球を始め、その頃から負けず嫌いだった私は誰にも負けたくないという一心で水球に没頭していき、高校ではインターハイ優勝、国体2連覇を達成することができました。主将として迎えた高校3年生ではインターハイ2連覇と、地元開催であったかごしま国体で3連覇という目標を掲げました。しかし、新型コロナウイルスが流行し、学校に行けない日々が続きました。非常に悔しく辛い思いをしましたが、このままでは駄目だと思い、自分自身と向き合い、水球への想いを強くすることができました。日本体育大学に入学し、夢への強い気持ちと素晴らしい環境の中で着実に実力をつけていくことができ、昨年のU-20世界選手権では主将として出場し得点王になることができました。また、杭州アジア大会に日本代表として出場し、決勝では2ゴールを挙げ、53年ぶりの優勝に貢献することができました。そして今年4月にパリ2024大会メンバーに選出されることができました。パリ2024大会では日本史上初めてオーストラリアに勝つことができましたが、今回金メダルを獲得したセルビアに1点差で敗れてしまい、私にとって夢の舞台であったオリンピックは予選敗退という結果になりました。非常に辛く悔しい結果になりましたが、日本を背負いオリンピックという夢の舞台で戦えたことを誇りに思っています。この悔しさを忘れず、次のロサンゼルス2028大会では必ずメダルを獲得したいと考えています。私は小学校、中学校、高校、U-20世界選手権、そして現在大学でも主将を務めています。後輩に対しても誰に対しても自ら進んで挨拶をすることや、部員の練習での成功や失敗に気づき声をかけていくことによって部員1人1人全員とコミュニケーションを取れるようにしています。今年の日本体育大学の強みや弱点を考え、戦術や練習メニューを考えてきました。そして日本で一番攻撃力のあるチームを作ることができました。また、練習でうまくいかなかった部分を自分でまず振り返り、毎日ミーティングで指揮を取ってきました。その結果、先月行われた第100回日本学生選手権では、歴代最多得点となる107得点をチームで挙げることができ、27連覇を達成することができました。競技力だけではなく人間力を高めていくことで、チームの指針となりチームを引っ張っていけるようにしています。皆様の企業にご採用いただけましたら、これまで主将として培ってきた主体性とリーダーシップ、また毎日自分のプレーやチームのプレーを分析したことで培ってきた課題解決力や想像力を活かし、どんな仕事にも真摯に取り組み、自身の競技の活躍によって社内を明るく元気づけたいと考えています」

 説明会終了後には、選手と企業関係者との名刺交換、情報交換会が行われ、企業と選手がそれぞれ交流を深めました。

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