日本オリンピック委員会(JOC)は7月19日、味の素ナショナルトレーニングセンターウエストで、トップアスリートの就職支援ナビゲーション「アスナビ」の説明会を行いました。
アスナビは、アスリートの生活環境を安定させ、競技活動に専念できる環境を整えるために、アスリートと企業をマッチングする無料職業紹介事業です。年間を通じて「説明会」を複数回実施し、企業に対してトップアスリートの就職支援を呼びかけています。2010年から各地域の経済団体、教育関係機関に向けて本活動の説明会を行い、これまで227社/団体394名(2024年7月19日時点)の採用が決まりました。今回の説明会ではJOC主催のもと、13社13名が参加しました。
最初に主催者を代表して服部道子JOC理事がアスナビ説明会に参加した企業に対する感謝の言葉を述べました。続けて、「私の競技経験上、多くの応援はくじけそうになったときに自分の力を奮い立たせてくれるものでした。そうした意味では、皆様のサポートは日本のトップアスリートの未来を作っていくものと考えております。本日お集まりの皆様にはぜひ、オリンピックをともに目指すTEAM JAPANの一員となっていただきたいと思います」と、参加企業にアスリート採用を呼びかけました。
続いて、柴真樹JOCキャリアアカデミー事業ディレクターがアスナビの概要を、スライド資料をもとに紹介。アスナビが無料職業紹介事業であることや登録するトップアスリートの概略のほか、就職実績、雇用条件、採用のポイント、アスリート活用のポイント、カスタマーサポートなどを説明しました。
その後、就職希望アスリート8名がプレゼンテーションを実施。映像での競技紹介やスピーチで、自身をアピールしました。
■高橋栄利佳選手(フェンシング・エペ)
「私は埼玉県スポーツタレント発掘事業であるプラチナキッズを通してフェンシングに出会いました。小学6年生からこのナショナルトレーニングセンターで世界で活躍する選手たちと練習するうちに、オリンピックで金メダルを獲得することを強く意識するようになりました。私の1つ目の強みは誰とでも明るくコミュニケーションをとれることです。高校時代、フェンシングと勉強との両立が難しく辛かったときに、高校の友人がいつでも私に明るく接してくれたことで、辛いことを忘れ毎日楽しく過ごすことができました。このことをきっかけに、私も誰とでも明るくコミュニケーションをとることを心がけるようになりました。結果、周りの笑顔が増えると同時に、私自身もポジティブに物事を進めていけることができるようになりました。競技において、大学では仲間たちとコミュニケーションをとり、同じ目標に向かって互いを高め合うことにより、全日本学生フェンシング選手権大会の団体戦で2連覇することができました。協力して1つの目標に向かって努力する重要性も学びました。2つ目の強みは、興味を持った者に対して追求し続け自分のものにしていけることです。2022年の12月に肩を脱臼してしまい3ヶ月近くフェンシングができなくなってしまいました。一時は残念な気持ちもありましたが、競技力を違った面から伸ばす良い機会だと前向きに捉え、フェンシングの審判の勉強を始めました。勉強を続けていくうちに、フェンシングの細かいルールまで学べることを面白く感じ、昨年、日本フェンシング協会公認審判員の試験を受け、初年度最高レベルのB級を取得しました。また、海外選手の動画を細かく分析することにより、相手の引き出し方や構えの位置など、今までとは違った観点からプレーできるようになっただけでなく、後輩の指導の際にうまく伝えきれなかった部分も具体的に言語化できるようになりました。困難な状況でも何事も全力にポジティブに取り組むことができるのは、ロサンゼルス2028大会で金メダルを獲りたいという目標があるからです。目標達成に向けて課題を1つ1つクリアし、邁進していきます。皆様の企業にご採用いただきましたら、社員の皆様と積極的にコミュニケーションをとり、目標に向けて全力で努力する姿を見ていただくことで、社員の皆様の士気高揚に寄与してまいります。また、フェンシングを通じて培った私の強みをビジネスの場で、会社の一員として貢献できることを心から楽しみにしております」
■高木葵選手(射撃/ライフル射撃)
「私は小学6年生のときに、地元である岐阜県岐阜市の自宅近くにライフル射撃の練習場があったことをきっかけに競技を始めました。中学、高校ではコーチの指導を受け熱心に練習した成果が発揮され、ともに全国優勝を果たし、順調な競技生活を送ってまいりました。高校3年間は親元を離れて日本最高峰のアスリート育成機関であるJOCエリートアカデミーに所属して競技生活を過ごした後、中央大学に進学し、現在まで多くの方々に支えていただきながら競技を継続してまいりました。しかし、大学進学後、練習環境の変化により、練習計画や目標の設定、それに対するフィードバックを全て自分自身で行う必要が生じました。この変化への適応に苦戦し、学生の関東大会でも入賞を逃すなど、成績不振に陥りました。非常に辛い日々が続きましたが、技術指導を求めて自主的に個人合宿を実施したり、目標設定や練習計画の方向性を大きく見直したりして、不調からの脱却を図りました。特に目標設定については、それまで設定していたような大会での優勝や入賞といった相対的な目標目標よりも、自己ベストを更新していくといった絶対的な目標の方が自分のパフォーマンスに集中しやすく、当時の自分に合っているのではないかと考え直しました。そこで自己ベストの更新を新たな目標として2022年度の全日本選手権に臨んだところ5位となり、初入賞を果たすことができました。さらに翌年の2023年度の全日本選手権では3位に入賞し、そのスコアにより世界ジュニア選手権への出場権を獲ることができました。そこでは4年ぶりに日本代表として国際大会に出場できたことへの安堵を感じると同時に、同年代の海外選手がよりハイレベルな活躍をしている姿を目の当たりにしたことで、私自身もオリンピックをはじめとした世界の舞台で活躍する選手になりたいという思いが改めて固まりました。私は競技を通したこのような経験から、柔軟に物事を捉え問題を解決する能力が身に付いたと感じています。射座を離れて同じ所属の仲間と行動を共にする際にもそれぞれの価値観や能力の違いを受け入れる姿勢が評価され、エリートアカデミーでは女子キャプテンを務めました。また、大学の部活動では副将として、各部員やコーチの意見に折り合いをつけながらスムーズな運営ができるようサポートしてまいりました。社会人になった際には、この強みを活かし、マニュアルに沿って業務を進めること以外にも、各関係先の特性やニーズに合わせた柔軟な対応や提案をすることで業務を円滑に遂行したり、困難に遭遇した際には周囲からのアドバイスにより多方面から問題解決にアプローチしたりすることで、生産性の向上に寄与できると考えています。一社員としてもアスリートとしても成長し続け、仕事とスポーツで社会に貢献することができれば幸いです」
■前田秀隆選手(テコンドー)
「テコンドー競技はシドニー2000大会からオリンピックの正式種目となっており、1試合2分3ラウンドと短い限られた時間の中で多彩な蹴りが飛び交い、非常に展開が速く迫力のある競技です。私は3人の兄とともに空手を3歳から始め、そのうち2人がテコンドーに転向したことをきっかけに、小学1年生からテコンドーを始めました。空手でも足技が得意だった経験を活かし、小学1・2年生の全日本ジュニア選手権で優勝することができました。そのときからオリンピックでのメダル獲得を目標に掲げ、これまで日々練習を積み重ねてきました。しかし成績伸びず、苦しむ時期もありました。小学校高学年から中学・高校にかけては結果が出ず、大学入学後は減量に対して心身苦しむことがありました。そのようなとき、2つの言葉に出会いました。自身の道場の先輩でもあり現在はジュニアの日本代表コーチを務める方の『諦めない気持ち』と、元サッカー日本代表の本田圭佑選手の『どうせ人はいつか死ぬ。だからやりたいようにやってみろ』という2つの言葉です。この2つの言葉に背中を押されたことで『今やるしかないんだ』と思い立ち、ここまで途切れることなく夢に向かって走り続け、今の自分が存在しています。その結果、2019年ギリシャ国際オープン大会で優勝、2022年のオーストリアの国際オープン大会で2位、国内では全日本選手権大会で2度優勝、全日本学生選手権大会では3度優勝、そしてパリ2024大会のアジア大陸予選日本代表選考会で優勝することができました。アジア大陸予選では結果を残すことができずパリ2024大会へ道は途絶えてしまいましたが、この悔しさを絶対に忘れず、2026年の愛知・名古屋アジア大会でメダルの獲得、そしてロサンゼルス2028大会で日本男子初のメダル獲得を実現するために、1日1日自分に打ち勝って成長していきます。競技活動以外では2023年の11月から埼玉県東松山市で観光大使を務めており、地域の魅力や地元の名物、たくさんの祭典など、人と人との繋がりを大切にして街の素晴らしさを発信しています。皆様の企業にご採用いただけましたら、これまでの経験を活かして礼儀礼節を忘れずに能動的に行動すること、1つ1つの仕事に敬意を持って取り組み、当たり前のことを当たり前にできる社会人として企業に貢献していきます」
■内藤未唯選手(陸上競技・競歩)
「皆さんは競歩をご存知でしょうか。競歩は単に速く歩いてタイムを競うだけでなく、正確な歩行フォームや緻密な戦術を必要とする非常に過酷で難しい競技であり、今も美しく速く歩くための研究を重ねながらトレーニングに励んでいます。そのような奥深い競歩の魅力と出会ってから約6年が経ちます。高校生のときに陸上部に入部して3ヶ月でマネージャーから競歩選手に転向し、この競技をやると決めてからは途中で諦めようと思ったことは一度もありません。競歩専門の指導者がいない環境の中で、自分で強くなる方法を模索し、試行錯誤を繰り返しながらトレーニングに励んできました。自分で決めた目標から逆算して計画を立てて主体的にトレーニングに取り組み、そうした日々の成果が実を結んで、6年間で5000m競歩のタイムを11分以上縮めることができました。また、昨年はアジア選手権といった大きな舞台にも出場させていただきました。パリ2024大会選考のレースを兼ねた今年2月の日本選手権20km競歩では、歩形違反で2分間ペナルティゾーンに入ってしまい、タイムロスで代表争いから外れるといった屈辱を味わいました。その試合をきっかけに、タイムだけでなくフォームにも目を向けて、補強やドリルなどで筋力強化に力を入れてきました。その結果、5月の関東学生選手権では3連覇を果たし、6月の学生個人選手権では優勝を勝ち取りました。また、昨年の10月に開催された全日本35km競歩高畠大会では優勝、そして2時間50分35秒という日本歴代3位の記録を残せました。現在は2025年に東京で開催される世界陸上に向けて取り組んでいます。世界陸上の選考レースを兼ねた今年10月に行われる全日本35km競歩高畠大会では、参加標準である2時間48分を切ることを第1の目標として、パリ2024大会に出場できなかった悔しさを晴らしたいと思っています。昨年のレースでは26km以降にペースを落としてしまったため、今年の夏は20km以上の練習や、フォームにも重きを置いた練習をしていきたいと考えております。私が競技を通じて培ってきた一度決めたことは最後まで貫くという力は、仕事において難しい局面や壁にぶつかったときにも活きると思います。また、学生時代に競技だけでなく、学業やアルバイト、家事との両立に努めてきた経験を活かして、仕事で業務においても地道にコツコツと粘り強くやり抜き、仕事と競技の両立に努めていきたいと思います。最後に、私が競歩を一生懸命に取り組み、たくさん活躍することで、社内に明るい話題を提供できる存在になりたいと強く思います」
■浅海聖哉選手(フェンシング・エペ)
「私は埼玉県でフェンシングクラブのコーチをしている父の影響で、2歳上の兄と一緒に6歳からフェンシングを始めました。幼い頃から常に、新たな技術の習得と質の向上に努め、実際に試合で発揮することで結果を残してきました。小学6年生のときに初めての海外遠征を経験し、その大会で優勝することができました。国際大会の大舞台で表彰台に登れたことが非常に嬉しく、またこの一番の表彰台に登りたいと思ったことをきっかけに、世界の舞台で活躍する選手になりたいという目標を持ちました。私の強みは2つあります。1つ目はプレッシャーに打ち勝つ精神力があることです。私は元々プレッシャーに強い選手ではなかったのですが、プレッシャーに打ち勝つためには何よりも自分に自信がなければいけないと考えました。その自信を持つために、相手の剣をかわして攻める技を身につけました。その結果、2023年に行われた全日本選手権大会の準々決勝では、東京2020大会で金メダルを獲得したチームのエースである加納虹輝選手と対戦し、14対15と惜しくも負けてしまいましたが最後の一本勝負まで善戦することができました。2つ目の強みは責任感の強さです。大学ではエペ種目のリーダーとなっていたため、ナショナルトレーニングセンターでの日本代表の練習だけでなく、大学での練習にも注力しました。団体戦での優勝を目標に掲げ、練習内容を自ら考え、チームのメンバーとのコミュニケーションを積極的に行いながら、チームのレベルアップに取り組みました。その結果、大学3年時の全日本学生フェンシング選手権大会と全日本選手権大会の団体戦において、優勝することができました。私は目標であるロサンゼルス2028大会でのメダル獲得に向けて、まずは取り組む姿勢から見直しています。練習であっても試合を想定して、1ポイント1ポイント考えて、戦術の駆け引きに取り組んでいます。また海外選手に体力的に負けないためにフィジカルトレーニングも増やしています。私のプレーや競技に対する姿勢で、多くの人の活力になれるような存在を目指し、日々精進することをお約束いたします。皆様の企業にご採用いただきましたら、フェンシング競技で培ったプレッシャーに打ち勝つ精神力と、責任感の強さを発揮して、新しいことに進んでチャレンジしてまいります。また、チームをまとめる能力を生かし、社員の皆様の一体感醸成にも寄与してまいります」
■佐藤琳選手(射撃/ライフル射撃)
「私が射撃に出会ったのは小学生の頃でした。山形の地域スポーツタレント発掘事業に参加したとき、初めてその魅力に触れました。最初は単純に、格好良さや珍しさといった理由で始めました。しかし、その魅力は単なる好奇心を超えて、今では精神が研ぎ澄まされた瞬間のひりつく感覚や、高い再現性を追い求めていく競技性に強く惹かれるようになりました。中学3年生のときにJOCエリートアカデミーに入校しました。親元を離れて最高峰の環境の中で、トップコーチの指導のもと射撃に集中していました。アカデミーでの生活は決して楽なものではありませんでした。寮生活も厳しかったですし、ずっと射撃のことばかり考えていましたが、それでもやはり最高の環境でした。そのような環境の中でたくさん練習することによって、エアピストルとデジタルピストルの日本記録を樹立することができました。大学に進学後は自分で主体的に考え行動しなくてはならない環境でした。そのような中で、新しい種目への挑戦や自主的な学び、国際経験を通して成長することができました。1つ目の新しい種目への挑戦としては、大学からスポーツピストルを始めました。新しい種目に挑戦することによって自己の限界を押し広げることができました。2つ目の自主的な学びについては、専属コーチがいない中で他の射撃の競技団体との合同練習を計画し、積極的に情報交換を行ったことで、自ら学び、自ら行動する力を見つけました。3つ目の国際経験では、アルバイトでお金を貯めてフランスへ行ってきました。フランスでは、地域スポーツクラブの現地調査を行ったり、射撃競技の競技団体について学んだり、全仏選手権にオープン参加させていただきました。異文化に触れることでさらに視野が広がりました。これまでの競技経験を通じて、私は適応能力とポジティブ思考という強みを磨きました。適応能力については、最高峰の環境と自分で環境を作っていかなければならないという双方を経験したことによって、どのような環境でも最善の選択をすることができます。また、失敗を恐れず挑戦し続ける姿勢と、チームの士気を高めることができる明るい気質を持っています。これらは企業に入っても貢献できると考えております。以上のことから、どのような環境でも適用し積極的に行動することで、企業でのキャリアはもちろんのこと、競技生活も高みを目指して頑張っていきたいと思います」
■佐藤聖悟選手(スノーボード・スノーボードクロス)
「私は元プロスノーボーダーの父親の影響で6歳の頃からスノーボードを始めました。12歳のときに競技を始め、負けず嫌いだった性格もあり、競技を続けていく中で優勝への強いこだわりが生まれてきました。15歳のときに選考レースで優勝して、ナショナルチーム入りを果たしました。そのときに、もっと世界の大会で勝ちたい、トップの大会に出場したいという想いが強くなり、オリンピックでメダルを獲得するという大きな目標ができました。私は本当にスノーボードが大好きで、現在でも滑っている時間が一番楽しいのです。しかし16歳から4年間は全く優勝できない期間が続きました。この4年間は非常に辛かったです。そこで自分で計画を組んで海外遠征に行ったり、もっと自分に合ったトレーニングはないかと考えて、トレーナーに直接お願いしてサポートしていただくなど、自分の練習環境をより良いものへと変えていきました。真剣に競技に取り組む中で、スキー連盟のコーチに『聖悟の真剣な思いは、周りの人を巻き込む力がある』と言われたことがあります。周りの方々が期待してくれる、その期待に絶対に応えたいという強い気持ちが、私の成長に繋がってきたと感じています。優勝できなかった4年間ではありますが、毎日全力で練習して、国内外のトップ選手との差を少しずつ縮めていき、20歳のときには全日本選手権で優勝することができました。本当に辛い4年間でしたが、自分自身を本当に強くしてくれたと思っています。また、私の競技人生で大切にしていることがあります。それは子供たちへの指導です。私が所属しているスノーボードスクールには世界を目指す子供たちがたくさんいます。その子供たちにスノーボードを教えることで、スノーボードへの理解も深まり、自分の練習にも繋がっています。国内大会に出場したときにはその子供たちが応援してくれ、自分のちからになっています。中には、今年から国内指定選手に選ばれた子供たちもおり、そういった次世代のエネルギーが、私の力になっています。そんな子供たちのためにも、また応援してくださる周囲の方々のためにも、私は絶対にオリンピックに行き、世界の舞台で活躍して、皆さんに勇気を与えられる存在になりたいと考えています。企業様にご採用いただきましたら、競技で培ってきた精神力、忍耐力をいかんなく発揮し、毎日の仕事にも全力で取り組み、良い結果が出せるように精進してまいります。また、私の活躍や毎日頑張る姿を通して、スポーツで日本を元気にし、会社のイメージアップにも貢献したいと考えております」
■富沢くるみ選手(カヌー/スラローム)
「私の夢はロサンゼルス2028大会での金メダル獲得です。私の強みは、高い目標を掲げ、その目標に向かって挑戦していく精神力です。私がカヌーに出会ったのは大学生になってからです。子供の頃から自然が大好きで、自然の中で体を動かすことができるカヌーに出会い、その魅力に取りつかれました。大学卒業後は就職し、フルタイムで働きながらカヌーを続けていましたが、もっと本格的に取り組んでみたいという想いに駆られ、カヌーに全てを懸けることを決意しました。これからアスリートとして結果を出していけるのかという不安もありましたが、挑戦したいという情熱が私を駆り立てました。021年から競技に本格的に取り組み、国体で10位程度だった成績も2022年の栃木国体では準優勝になるまでに競技力を伸ばすことができました。そして次の目標は世界一です。前職では電気自動車の電池パック内のワイヤーハーネスの経路設計を行っていました。限られたスペースでの配線配置は、衝撃と熱の影響を防がなければなりません。シミュレーションテストを通じて、経路の最適化や絶縁材の導入などにより、安定性と耐久性を向上させることができました。この経験はカヌースラローム競技の競技力向上にも役立っています。ある大会での特定のゲートでタイムロスが発生してしまうという課題に対してビデオ解析と技術改善を行い、最適な通過方法を導き出し、タイムロスの改善を図ることができました。このように前職での経験は無駄ではなく、日々の成長に役立っています。昨年の日本代表選考会では4位となり、初めて日本代表チームに入ることができました。今年の代表選考会では、3位となり順位を上げることができましたが、代表が1名に絞られてしまいました。しかし、昨年からの成長は確実に実績と自信となっています。来年は必ず日本代表に復帰し、そして2026年ワールドカップでのメダル獲得、2027年世界選手権でのメダル獲得をステップ目標として、ロサンゼルス2028大会での金メダル獲得を目指して、より一層努力し挑戦し続けてまいります。このように、私は高い目標を掲げ、それに向かって果敢に挑戦しています。企業の皆様にご採用いただけましたら、高い目標を掲げどのような仕事でも全力で取り組んでまいります。また、社員の皆様に活力を届けられるように、結果を出すだけではなく、発信活動など様々なことに挑戦し、人間力も一層磨いてまいりたいと思います」
プレゼンテーション終了後には就職希望アスリート8名が再度登壇し、インタビューを実施。柴ディレクターの質問に答える形で、8選手が自身のことや、取り組んでいる競技の魅力について説明しました。
続いて、同説明会を通じて玉﨑稜也選手(トライアスロン)、相原史郎選手(スキー/アルペン)、吉越奏詞選手(パラ馬術)の3名のアスリートを採用した株式会社小泉の人財企画部の洞水裕次長と戸髙絵里子課長補佐が登壇しました。まず洞水氏が同社の概要と、同社における3名のアスリートの業務内容について説明し、続けて戸髙氏が具体的な勤務形態や労務管理について説明を行いました。住宅設備の商社である同社は職種別の採用を行っており、アスリートのうち2名が店舗で働く販売職、1名が本部勤務をしています。勤務形態は通常社員と同じ週休2日のシフト制ですが、練習日、試合日、移動日については1日就労とみなしているとのことです。また各選手の活動報告書や予算・経費処理などについても具体的に紹介しました。最後に広報活動としてSNS関連の施策の紹介を行った戸髙氏は「トライアスロンを応援するだけでなく、実際にトライアスロンに参加するような社員も出てきており、アスリート採用の影響で社内も盛り上がりつつあります」と語りました。
また、説明会終了後には、選手と企業関係者との名刺交換、情報交換会が行われ、企業と選手がそれぞれ交流を深めました。
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