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2024.10.03 キャリア支援

JOCの就職支援「アスナビ」:9月19日企業説明会を実施

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登壇してプレゼンを行った7選手(写真:フォート・キシモト)

 日本オリンピック委員会(JOC)は9月19日、味の素ナショナルトレーニングセンターウエストで、トップアスリートの就職支援ナビゲーション「アスナビ」の説明会を行いました。

 アスナビは、アスリートの生活環境を安定させ、競技活動に専念できる環境を整えるために、アスリートと企業をマッチングする無料職業紹介事業です。年間を通じて「説明会」を複数回実施し、企業に対してトップアスリートの就職支援を呼びかけています。2010年から各地域の経済団体、教育関係機関に向けて本活動の説明会を行い、これまで227社/団体395名(2024年9月19日時点)の採用が決まりました。今回の説明会ではJOC主催のもと、13社14名が参加しました。

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水鳥寿思JOC理事(写真:フォート・キシモト)

 最初に主催者を代表して水鳥寿思JOC理事がアスナビ説明会に参加した企業に対する感謝の言葉を述べました。続けて、「本日参加しているアスリートも、企業様のサポートを受けることによって自分自身の競技としての目標を達成したい、そしてそのことを通して社員の皆様や国民の皆様に感動や勇気を与えたい、一歩踏み出す勇気を伝えたいという想いを持ってくれています。いかに企業様に還元できるかという視点は当然持ちつつも、まずは選手として結果を出すということに集中するためには、どうしても皆様の支援というのは欠かせないと考えております。ぜひこの人を応援してみたいという選手がいましたら、ぜひ積極的にお声掛けいただければ幸いです」と、参加企業にアスリート採用を呼びかけました。

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柴真樹JOCキャリアアカデミー事業ディレクター(写真:フォート・キシモト)

 続いて、柴真樹JOCキャリアアカデミー事業ディレクターがアスナビの概要を、スライド資料をもとに紹介。アスナビが無料職業紹介事業であることや登録するトップアスリートの概略のほか、就職実績、雇用条件、採用のポイント、アスリート活用のポイント、カスタマーサポートなどを説明しました。

 その後、就職希望アスリート7名がプレゼンテーションを実施。映像での競技紹介やスピーチで、自身をアピールしました。

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齋藤華南選手(写真:フォート・キシモト)

■齋藤華南選手(フェンシング・エペ)

「私の夢はオリンピックでメダルを獲得することです。私がフェンシングに出会ったのは小学2年生のときです。母に連れられて、クラブチームの練習を見に行ったのがきっかけでした。負けず嫌いの私は勝つことが嬉しくて、どんどんのめり込んでいきました。フェンシングを始めて2年が経った2012年、ロンドンオリンピックで男子フルーレ団体が金メダルを獲得する姿をテレビで観ました。小学生ながら家族で感動したのを今でも覚えています。当時、ただただ勝負することが楽しくてやっていたフェンシングがこうやって人に感動を届けることができるものなのだと思い、オリンピックは私にとって憧れの舞台になりました。しかしその頃はまだあくまでも憧れの舞台で、夢の舞台ではありませんでした。夢の舞台に切り替わったのは高校1年生のときです。初めて出場したワールドカップで世界ランキング上位の選手を間近で見て、私も上位選手と肩を並べて戦えるようになりたいと思いました。しかしその後、U-20の世界選手権やワールドカップに何度か出場する中で世界の壁の高さを知り、オリンピックに出場するためには、国内だけでなく世界でも安定して勝てる選手にならなければいけないと考えるようになりました。そのために私が今大切にしていることは、考えうる最良の選択をすることです。その日1日の目標と計画をクリアして、もう無理だと思ってからあともうひと踏ん張りと限界を超える日々を積み重ねてきました。それが実を結び、昨年初めてアジア選手権や世界選手権、ユニバーシティゲームズに出場し、アジア大会では団体で銅メダルを獲得できました。このような国際大会での経験は、まだまだやれる、自分には可能性があるという大きな自信に繋がりました。そして私は、常に自己成長し続けようとする姿勢を身につけました。上達に限界はありません。よく考えてがむしゃらに挑戦し、失敗したらなぜ失敗したのかを考えもう一度挑戦する。この考える力と失敗しても挑戦し続ける力が、14年間の競技生活で培った私の強みです。皆様の企業にご採用いただきましたら、企業というチームの一員として社員の皆様の活力となるような選手を目指します。また、社員の皆様と積極的に交流し、フェンシングの魅力を伝えていきたいと考えています。業務におきましても、私の強みである考える力と失敗しても挑戦し続ける力を生かし、粘り強く遂行します。先日行われたパリオリンピックでフェンシング競技は過去最多のメダルを獲得しました。これは私にとって非常に大きな刺激になりました。2028年のロサンゼルスオリンピックを目指し、アスリートとしても社会人としても企業や社会に貢献し、自分の可能性を信じて自己成長し続けます」

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大谷友哉選手(写真:フォート・キシモト)

■大谷友哉選手(トライアスロン)

「私は小学校の頃から競泳と陸上競技を始め、特に北島康介選手への憧れから競泳でオリンピックに出場することが夢でした。中学校3年時に県大会で2位、東海大会で入賞の実績でしたが、全国大会出場は叶いませんでした。競泳でのオリンピック出場を厳しいと感じ始めている頃、姉の影響でトライアスロンに出会いました。元々陸上競技の長距離を得意としていた私は、次第にトライアスロンに魅了され、オリンピックに出場したいと考えるようになりました。私はトライアスロン競技を通じて、主体的な行動力と周りを巻き込むコミュニケーション力を培ってきました。日本体育大学に進学した理由も、学生の主体性を重んじる大学であったからです。多くの大学では監督が練習メニューを作成しますが、日本体育大学のトライアスロン部では選手が練習メニューを作成します。さらに広報活動、会計、プールの借用、遠征の手配に至るまで全てのことを自分たちで行っています。私は自らラン担当を希望し、週に3回ランのメニューを作成してきました。大学2年時の日本学生選手権で惨敗し、チームで強化方法を話し合いました。その結果、ランに課題があるという結論になりました。ラン担当の私は大きな責任を感じ、どうしたら強くなれるのかと考え抜いて、練習方法を大きく変更しました。それまではチームの練習後、休憩時間を取ってからランの練習を行っていました。しかし、3種目続けて行うトライアスロンは、試合中に休憩時間などありません。スイム後の疲れた状態で次の種目でもパフォーマンスを発揮できるかが勝負です。そのためには、練習でもインターバルをなくして連続して行う必要があると考え、チームの練習後すぐにランの練習を行うメニューをチームに提案しました。最初は休憩時間を取りたいという意見もありました。そのときはみんなで競技特性を確認し、目標達成に向けて優先すべきことを話し合いました。そして周囲の賛同を得て、新メニューを実行することができ、部員の実力も向上していきました。その結果、大学3年時の日本学生選手権では個人優勝と団体準優勝の成績を収め、リベンジを果たすことができました。今後の目標は日本選手権優勝と世界での活躍、最終目標はオリンピックでのメダル獲得です。経験の浅いバイクへの苦手意識をなくし、スイムとランの一層のレベルアップを図り、オリンピックでのメダル獲得を目指します。皆様の企業にご採用いただきましたら、培ってきた主体的な行動力と、周りを巻き込むコミュニケーション力を発揮し、業務でも会社に貢献できるよう精一杯努力してまいります」

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佐藤聖悟選手(写真:フォート・キシモト)

■佐藤聖悟選手(スノーボード・スノーボードクロス)

「私は6歳の頃に、元プロスノーボーダーの父親の影響でスノーボードを始めました。今まで競技で培ってきた力が2つあります。1つ目はやり抜く力、そして2つ目は仲間を作り周りを巻き込む力です。1つ目のやり抜く力についてですが、私は15歳のときにナショナルチームに入り、そのことをきっかけにオリンピックでメダルを獲得するという大きな目標ができました。しかし翌年から大会で優勝できなかったり、コロナ禍で大会すらも開催されないという期間が4年間も続きました。本当に苦しく、諦めたくなるときや逃げ出したくなるときもありました。しかし毎日死ぬ気で努力を続け、少しの可能性を信じ、自らフィジカルトレーナーに自分に合った練習がないか相談したり、海外遠征も自分で組んで行ったりなど、練習環境を良いものに変えていきました。その結果、20歳のときには全日本選手権で優勝することができました。私にとって本当に辛い4年間でしたが、自分を強くしてくれたと思っています。このやり抜くことで培ってきた精神力、忍耐力、行動力そして何よりもこの熱意があれば、お仕事のどのような場面に遭遇したとしても、必ず乗り越えていけると思っております。そして2つ目の仲間を作り周りを巻き込む力についてです。私は競技以外にスクールで子供たちにスノーボードを教える活動もしています。スクールには世界を目指す子供たちがたくさんいます。その子供たちにスノーボードを教えることで、年齢や言語にとらわれず、誰とでも打ち解ける能力を身につけました。海外遠征では色々な国の選手とコミュニケーションを積極的にとり、少しずつ仲を深め、今ではとても良きライバルとなっています。また、スクールの子供たちやチームの後輩たちには、自分の経験を熱意を持って伝え、チーム全体で強くなれるように頑張ってきました。私のコミュニケーション能力や協調性、率先してチームが強くなれるように目標に向かって進む力。これらは社会人になってからも成長していく上で非常に重要なスキルなのではないかと考えております。私は幼い頃からスノーボードが大好きで、今まで素直で誠実な気持ちで頑張ってまいりました。就職後も社会人アスリートとしてオリンピックを目指し全力で頑張っていきたいと思っております。また、私がオリンピックや国際大会で活躍する姿や頑張る姿で、会社のイメージアップにも貢献し、また会社の先輩方や仲間たちに勇気や夢を共有させていただけたらと思っております。ぜひ私の夢のオリンピック出場、メダル獲得という目標を、皆様の企業と一緒に実現させてください」

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齋藤真希選手(写真:フォート・キシモト)

■齋藤真希選手(陸上競技・円盤投)

「私は小学4年生の頃、兄弟が陸上競技を行っていた影響で競技を始めました。先に投擲種目に取り組みインターハイや国体で活躍している姉の姿を見ながら育ち、私も姉のように活躍したい、日本一になりたいと強く思うようになりました。そして私の現在の目標は、ロサンゼルス2028大会とブリスベン2032大会の決勝の舞台でメダル争いをすることです。私が円盤投げと出会ったのは中学1年のときです。初めて投げた円盤が想像以上に遠くに飛び、先生や姉が驚いてくれました。中学から少しずつ技術を学び、毎日夢中で投げ続けた結果、中学では全国大会優勝及び中学記録の樹立、高校では戦後初の日本選手権優勝及び高校記録を樹立することができましたが、その結果に満足することなく、私は次のカテゴリーでも世界で戦える選手になりたい、オリンピック選手になりたいと思うようになりました。大学に進学し、U-20世界選手権やワールドユニバーシティゲームズを経験し、身長とパワーにおいて世界との差を感じました。しかし、この国際大会の経験は、自分には強い選手と対等に戦える可能性があると強く感じることができました。そして大学院に進学し、男子選手と同じトレーニングメニューを行うことで、新しい環境に慣れるのも大変でしたが、諦めず一つ一つの課題をクリアしていた結果、昨年度女子円盤投げでは最年少で世界陸上競技選手権に出場することができました。この円盤投げのメダル争いは、平均年齢が30歳を超えるほど技術力の高い勝負です。この世界陸上競技選手権に最年少で出場できたことで、自分にはまだまだ可能性がある、伸びしろがあるということを確認することができました。またこの世界陸上選手権には、やり投げで金メダルを獲得した北口榛花選手と共に、やり投げ以外の種目へ唯一参加することができました。最後になりますが、私は今までどんなに辛いときや諦めたい時期でも練習を休んだことはありません。また、海外遠征の際は食事や文化、言葉などは違いますが、それをプラスに捉えどのようなことも経験しよう、違いを楽しもうとプラスに捉える気持ちを忘れずに心がけてきました。これは社会人としても大いに生かしていけると思っています。もしご採用いただけましたら、私が競技している姿を社員の皆さんに届け、それを活力にしていただきたいです。また、私の強みである継続力と柔軟に考える力を生かし、競技も業務も精一杯頑張ります」

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林祥蓮選手(写真:フォート・キシモト)

■林祥蓮選手(フェンシング・フルーレ)

「私は4歳のときに幼稚園の先生から勧められて剣道を始め、小学3年のときには地元の鹿児島県大会で優勝したことがあります。そんな私が小学5年生からフェンシングを始めたきっかけは、ロンドン2012大会でフルーレ団体が銀メダルを獲得した試合を観たからです。スピード感や激しい攻防に魅力や憧れを感じ、フェンシングを始めました。このとき、オリンピックの舞台に立ち、メダルを獲得したいという夢を抱きました。中学生になりジュニア教室でのコーチとの練習で力をつけ、県大会や九州大会で表彰台に立つことができるレベルになり、そのコーチのいる高校へと進学しました。普段の練習に加え、コーチとの1対1の技術練習を毎日続けることによって、技のレパートリー増加や精度向上に努めました。その成果が表れたのは高校1年生の夏で、U-17の全国大会で2位になり、冬のJOCジュニアオリンピックカップでは優勝することができました。そしてU-17の日本代表に選出され、世界選手権にも出場しました。初めての国際大会で経験がなかったこともあり、自分のプレーができず、相手のペースとなり、結果を残すことはできませんでしたが、海外選手のレベルの高さや、体格差を肌に実感することができました。この体格差を克服するためにフィジカルトレーニングに励み、技術面では技のレパートリーをさらに増やし、外国人選手を想定した練習に取り組みました。大学生になると、国際大会にも慣れてきて技が決まるようになり、ワールドカップでは決勝トーナメントに残ることができました。今後は4年後のロサンゼルス2028大会でのメダル獲得に向けて、フィジカル面でも技術面でも成長し、日々邁進していきます。また、先月行われたパリ2024大会でフェンシングは5つのメダルを獲得し、私の種目であるフルーレでは団体で金メダルを獲得しました。普段同じ場所で練習しているチームメイトが活躍したことによって、嬉しい気持ちと同時に、私も目指していた舞台だけに悔しい気持ちも込み上げてきました。そしてロサンゼルス2028大会では自分が金メダルを獲得するという強い決意を持ちました。そして、私がロンドン2012大会を見てフェンシングを始めたように、私を見た子供たちがオリンピックに出たいと思えるような、憧れを持ってもらえる選手を目指します。皆様の企業にご採用いただけましたら、私が競技で活躍することによって、社員の皆様に活気をもたらし、社内の一体感醸成に貢献してまいります。業務では、新しいことに臆せず挑戦し、自己研鑽に励んで参ります」

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富沢くるみ選手(写真:フォート・キシモト)

■富沢くるみ選手(カヌー/スラローム)

「私の夢はロサンゼルス2028大会での金メダル獲得です。私の強みは、高い目標を掲げ、その目標に向かって挑戦していく精神力です。私がカヌーに出会ったのは大学生になってからです。子供の頃から自然が大好きで、自然の中で体を動かすことができるカヌーに出会い、その魅力に取りつかれました。大学卒業後は就職し、フルタイムで働きながらカヌーを続けていましたが、もっと本格的に取り組んでみたいという想いが強くなり、カヌーに全てを懸けることを決意しました。これからアスリートとして結果を出していけるのかという不安もありましたが、挑戦したいという想いが強く、一歩踏み出すことができました。2021年から競技に本格的に取り組み、国体で10位程度だった成績も2022年の栃木国体では準優勝するまでに競技力を伸ばすことができました。そして次の目標は世界一です。前職では電気自動車の電池パック内のワイヤーハーネスの経路設計を行っていました。限られたスペースでの配線配置は、熱や振動の影響を考慮する必要があります。シミュレーションテストを通じて、最適な経路設計や絶縁材の導入などにより、安定性と耐久性を向上させることができました。この経験はカヌースラローム競技の競技力向上にも役立っています。ある大会での特定のゲートでタイムロスが発生してしまうという課題に対して動画分析と技術改善を行い、タイムの改善を図ることができました。このように前職での経験は、日々の成長に役立っています。昨年の日本代表選考会では4位となり、今年は3位となり順位を上げることができました。来年はさらにパフォーマンスを上げて、順位を上げていきます。そして2026年ワールドカップでのメダル獲得、2027年世界選手権でのメダル獲得をステップ目標として、ロサンゼルス2028大会での金メダル獲得を目指して、より一層努力し挑戦し続けてまいります。このように、私は高い目標を掲げ、挑戦しています。企業の皆様にご採用いただけましたら、高い目標を掲げどのような仕事でも全力で取り組んでまいります。また、社員の皆様に活力を届けられるように、結果を出すだけではなく、発信活動など様々なことに挑戦し、人間力も一層磨いてまいりたいと思います」

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荻原大地選手(写真:フォート・キシモト)

■荻原大地選手(水泳/水球)

「私は小学校から水球を始め、その頃から負けず嫌いだった私は誰にも負けたくないという一心で水球に没頭していき、高校ではインターハイ優勝、国体2連覇を達成することができました。主将として迎えた高校3年生ではインターハイ2連覇と、地元開催であったかごしま国体で3連覇という目標を掲げ、練習に励んでいました。しかし、新型コロナウイルスが流行し、プールに入れないどころか学校にすら行けない日々が続きました。絶対に叶えたい目標だった国体やインターハイの連覇の夢が中止という形で幕を閉じ、当時非常に落ち込んだのを覚えています。しかし、家の中にずっといる生活が続く中で、自分自身と向き合う時間を増やすことができ、そこで漠然とした憧れであったオリンピックという考え方から、オリンピックという最高の舞台で一番輝きたいという具体的な夢に変わり、決心を固めることができました。大学に入学して、夢への強い気持ちと素晴らしい環境の中で着実に実力をつけていくことができ、昨年はU-20世界選手権に主将として出場し得点王になることができました。また、昨年9月には杭州アジア大会に日本代表として出場し、決勝の中国戦では2ゴールを挙げ、53年ぶりの優勝に貢献することができました。そして今年4月についに私の夢であったパリ2024大会メンバーに選出されることができました。これまで水球に対しては誰よりも向き合ってきたので、ものすごく嬉しく涙が出たのを覚えています。パリ2024大会では日本史上初めてオーストラリアに勝つことができましたが、今回オリンピックで3連覇を達成したセルビアに1点差で敗れてしまい、私にとって夢の舞台であったオリンピックは予選敗退という形で終わってしまいました。しかし、目標を達成することはできませんでしたが、今の日本代表は世界と戦っていける、メダルを獲得していけると証明できる試合だったのではないかと思います。この悔しさを忘れず、ひたむきに努力を重ね、次のロサンゼルス2028大会では私が日本代表を引っ張っていく存在となり、必ずメダルを獲りたいと考えています。私は小学校、中学校、高校、U-20世界選手権、そして現在大学でも主将を務めています。後輩に対しても誰に対しても自ら進んで挨拶をすることや、部員の練習での成功や悩みに対して声をかける。そのようなことによって部員1人1人全員とコミュニケーションを取れるようにしています。競技力だけではなく人間力を高めていくことで、チームの指針となりチームを引っ張っていける存在に常になれるようにしています。皆様の企業にご採用いただけましたら、これまで培ってきた継続力とリーダーシップ能力でどんな仕事にも真摯に取り組み、また私自身の競技の活躍と持ち前のある明るさを生かして、社内の士気高揚に努めてまいりたいと考えています」

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東明有美氏(写真:フォート・キシモト)

 続いてオリンピアン応援メッセージとして、アトランタ1996大会に出場した東明有美氏(サッカー)が登壇し、自身の体験談やアスリート採用に対する想いを話しました。
 アスリート採用はダイヤモンドの原石を手に入れるチャンスであると語った東明氏は、採用のメリットとして「アスリートは強力なマーケティングツールであること」「アスリートはチームビルディングプロモーターであること」「多様性実現のためのトライアルケースとなること」という3点を挙げました。
 また「コミットメントを取り付けること」「目標を定めてあげること」の2点を、アスリートが持つ力を引き出す手法として紹介しました。
 最後に東明氏は「ダイヤモンドを輝かせられるかどうかは、もちろんダイヤモンド(アスリート)側の努力もありますが、企業側がどこまで磨いてあげられるか、どこまでその仕組みを提供してあげられるかということにもよります。良いご縁があってアスリートを採用したいと思う企業様がいらっしゃいましたら、ぜひ雇用を検討していただけたら幸いです」と参加企業に向けてメッセージを送りました。

 その後、就職希望アスリート7名が再度登壇し、インタビューを実施。柴ディレクターの質問に答える形で、7選手が自身のことや、取り組んでいる競技の魅力について説明しました。

 また、説明会終了後には、選手と企業関係者との名刺交換、情報交換会が行われ、企業と選手がそれぞれ交流を深めました。

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