パリ2024オリンピックのスケートボード・男子ストリートで金メダルを獲得した堀米雄斗選手が7月30日、記者会見を行い、競技終了から一夜明けての心境を語りました。
会見の冒頭、選手の前に置かれた輪島塗のタンブラーの紹介がありました。石川県輪島漆器商工業組合よりご協力いただき、今年1月1日の能登半島地震をパリで戦っているメダリストも忘れず、被災された方々も一緒に頑張ろうというメッセージが発信できたらという思いで用意されました。
■堀米選手「可能性を最後まで信じることができた」
――一夜明けた感想をお願いします。
堀米選手 本当にすごく嬉しいですし、今でも信じられなくて夢なのかなと思うぐらい自分でもびっくりしています。
――東京2020オリンピックの金メダルとパリ2024オリンピックでの金メダル、なにか違いはありますか?
堀米選手 東京2020オリンピックで金メダルを獲得したときよりこのパリ2024オリンピックの金メダルをとても重く感じています。その理由は東京2020オリンピックが終わってから自分を見失うことや、何をしていけばよいか分からなくなった時期など本当に様々なことがあり、楽しいことももちろんありましたが、考えさせられることの方が多かった3年間でした。それらのことをいろいろ考えると、このオリンピックで金メダルを獲得したときはすごく嬉しかったですし、本当に自分1人ではここまで来られなかったと思っているので、最後まで自分を信じて滑り切れたのは家族や仲間、ファンなどのサポートしてくれている皆のおかげで、それは本当に不可欠な存在でした。そのおかげで最後まで滑れて、本当に良かったです。
――パリ2024オリンピックの代表選考から大逆転があり、昨日の決勝でも大逆転がありました。ご自身ではどのように感じますか?
堀米選手 自分ではもちろん(大逆転を)狙っている訳ではなく、本当にギリギリの中で精神状態もメンタルも結構やられていましたし、一度は諦めたときもありました。中国での大会の後、もうポイントの計算なども自分ではあまりしていなかったため完全に諦めていたのですが、コーチたちが次の大会で1位を取ればまだ可能性があると教えてくれ、可能性が1%でもあるのであればやろうと思っていました。その可能性を最後まで信じてこられたのが非常に良かったです。
――最後に逆転できる要因はなんだと思いますか?
堀米選手 様々な大会に参加していますし、活躍をさせてもらうことができましたが、オリンピックはまた他の大会と違うというか、TEAM JAPANを背負っている部分もありますし、応援してくれている方々の気持ちもすごく乗っています。そのような応援してくれる方やサポートしてくれている方々の気持ちが、最後の逆転に繋がったのではと思っています。
――最後のトリックの時にイヤホンを外していましたが、今回の大会では初めてのことでした。今まではどうだったのでしょうか?
堀米選手 スケート中に音楽を聴くようになったのはブダペストの大会ぐらいからですね。全てを閉ざして滑りたい気持ちも結構あったので、それまではあまり聴いていませんでした。できる限り(競技を)楽しみたいと思っていましたし、それを自分なりにどう見つけていくかというのを試行錯誤していたのですが、やはり音楽もすごく好きなので、音楽で少しでも楽しめる雰囲気が作れたらいいなと思って聴き始めました。ベストトリックのときは携帯を置いていたため音楽も止まっていることが多かったので、音楽は聴いていないけれどイヤホンをしているというような状況でした。
――音楽はあえて止めたわけではない?
堀米選手 最後は止めて無になっていました。
――なぜそうしようと思ったのでしょうか?
堀米選手 特に理由は無いのですが、何か止めたかったという感じです。
――2連覇をしてまた王者として向かっていきますが、どのような姿を見せていきたいですか?
堀米選手 東京2020オリンピックが終わってから自分の中ですごく達成感もあったのですが、それでも様々な大会等で勝利しても終わりがないということを、ここ何年かで大きく気づかされました。これからもっときつい道になっていくと思いますが、体が動く限り、そしてサポートしてくれている人がいる限りは、自分のベストを尽くしたいと思っています。
――選手村に戻ってからどのように過ごしましたか?
堀米選手 友達も観に来てくれていましたし、家族も今回初めてチームで呼んで観に来てくれたので会いに行きたかったのですが、体も結構きつく、大会が終わってからもやることもあったので、家族や友達にも会えませんでした。ですので夜は早川さん(早川大輔コーチ)と選手村の食堂で2人でご飯を食べました。
――ストリートと並行してビデオパートもやられてきましたが、両立する中で得られたもの、今回のメダルに繋がったものはありますか?
堀米選手 スケートボード自体はカルチャーの部分が非常に深いので、オリンピックでスケートボードを観てくださったという人たちには若干伝わりづらい部分が多いかもしれません。しかし、そのようなカルチャーや、滑っているときや飛んでいるときの感覚など、全てを含めて好きだということがスケートボードを始めた理由であり、さらにスケートボードをしていた父から格好良いスケーターのストリートの映像を見せもらったことで、自分もいつかこうなりたいという思いが常にありました。自分がスケートボードを好きになったのはそのような部分もとても大きいので、これからもストリートは自分のためにやっていきたいと思いますし、もちろんいい作品もまだまだ作れると思うので、次のオリンピックもありきつい状況ではありますが、今後の4年間でやっていきたいです。
――早川コーチの存在はどういったものなのか?
堀米選手 早川さんには小さい頃からずっと面倒を見てもらっていて、ストリートの楽しさを教えてくれた人でもあります。小さい頃から一緒に東京のストリートを周ったり、様々なことを教えてくれました。そのような大切な存在の人がこのようなパリ2024オリンピックでもずっと支えてくれたことは、非常に力になりました。
――次の4年間(ロサンゼルス2028オリンピック)に向けて考えていること、思うことはありますか?
堀米選手 東京2020オリンピックが終わったときは単純に嬉しいという気持ちでいっぱいだったのですが、そこからここに至るまで難しかったということを非常に感じているので、今回のパリ2024オリンピックが終わって非常に嬉しいという気持ちはもちろんありますが、それと同時にもっときつい長い道のりが始まるのかなとも思っています。
――4年後への気持ちは?
堀米選手 アメリカは自分にとって大きな憧れの場所というか、小さい頃からスケートボードを始めて、アメリカ・ロサンゼルスでいつかプロになりたいという夢を持ってずっとスケートボードをしてきました。その夢を支えてくれたのが早川さんや立本さん、そして家族です。その舞台が4年後にあるので、何としてもまずは出場権を確実に獲得し、悔いのないように最後まで滑りたいです。
――自分が考える理想のスケーターとは?また、足りないとしたらどのような部分か?
堀米選手 考えても考えてもそれは見えてこないというか、やはりどれだけ結果を残してもまた次が見えてくるので、先はもう見えないという感じです。それが楽しいと感じられればいいなと思っています。
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