日本オリンピック委員会(JOC)は6月27日、味の素ナショナルトレーニングセンターウエストで、トップアスリートの就職支援ナビゲーション「アスナビ」の説明会を行いました。
アスナビは、アスリートの生活環境を安定させ、競技活動に専念できる環境を整えるために、アスリートと企業をマッチングする無料職業紹介事業です。年間を通じて「説明会」を複数回実施し、企業に対してトップアスリートの就職支援を呼びかけています。2010年から各地域の経済団体、教育関係機関に向けて本活動の説明会を行い、これまで227社/団体399名(2024年6月27日時点)の採用が決まりました。今回の説明会ではJOC主催のもと、14社25名が参加しました。
最初に主催者を代表して水鳥寿思JOC理事がアスナビ説明会に参加した企業に対する感謝の言葉を述べました。続けて、「これから登場する若いアスリートたちを我々JOCや企業の皆様がサポートしていくことを通して、日本を盛り上げていけたらと感じております。アスリートたちがこれまで培ってきたもの、今日のために準備してきたものをお聞きいただいて、ご支援いただくことを検討いただけましたら幸いです」と、参加企業にアスリート採用を呼びかけました。
続いて、柴真樹JOCキャリアアカデミー事業ディレクターがアスナビの概要を、スライド資料をもとに紹介。アスナビが無料職業紹介事業であることや登録するトップアスリートの概略のほか、就職実績、雇用条件、採用のポイント、アスリート活用のポイント、カスタマーサポートなどを説明しました。
次に、パーソルイノベーション株式会社代表取締役社長の大浦征也氏が講演を行いました。講演は主に「AI時代の企業経営に求められるもの」「アスリートの社会的価値」という2つのテーマが中心で、大浦氏は「社会の消費行動も時代とともに変化する中で、現代は商品やサービスのストーリー性に重点が置かれる『イミ消費』時代になっている」と語りました。
続けて、アスリートの武器として非認知能力やポータブルスキルなどを挙げつつ、「これからの『イミ消費』時代の企業経営において唯一無二の物語を作っていく必要がある中で、『希少性』がアスリートに求めるものになります」と述べました。
最後に参加企業の方々に向けて「アスリートの採用を『コスト』ではなく『投資』と考えていただいた上でこの後のプレゼンテーションを聞いていただくと、これまでとは違う新たな発見があるのではないかと思います」とメッセージを送りました。
その後、就職希望アスリート8名がプレゼンテーションを実施。映像での競技紹介やスピーチで、自身をアピールしました。
■森本哲平選手(水泳/競泳)
「私は幼少期の頃から水泳をしており、現在で17年目になります。小学校、中学校、高校と全国大会を経験しましたが、優勝経験はほとんどありませんでした。周りの選手がどんどん速くなっていく中で自分だけが取り残されている感覚があったので、私は水中トレーニングが終わった後に、自分で考えた陸上トレーニングに毎日取り組むようにしました。そのおかげもあり、高校最後の試合では100mバタフライと200mバタフライで短水路の日本高校新記録を樹立することができました。大学1年生時には、インターナショナルスイミングリーグという水泳の国際リーグに、ドラフト選抜を通してイギリスのチームとして出場することができました。1人でオランダとイタリアに行かなければならず、国際大会の経験がなかった私は非常に不安だったのですが、海外のチームに所属するということや1人で海外に行くということが今後の自分の人生において素晴らしい経験になるのではないかと感じ、思い切ってチャレンジしてみました。チームにはオリンピックのメダリストもいて、つい先日までテレビで観ていた人たちと同じチームに所属しているということが不思議でありつつ非常に興奮するものでした。インターナショナルスイミングリーグのレースでは、試合会場にDJがいて会場を盛り上げたり、日本にはないポイントを競い合うレースがあったりと、非常に新鮮でした。私は、英語を話すことはあまり得意ではありませんが、チームの皆さんがとても仲良くしてくれて、一緒にゲームをしたり、世界遺産に一緒にみんなで行ったり、休日には船を出して海で遊んだりと、非常に充実した2ヶ月間の遠征になりました。また、この遠征を機に、スポーツは国境を越えて人と人を繋げてくれるものだということを学びました。そして、私は世界の速い人たちともっと戦いたい、自分自身が日本代表になってチームメイトとまた国際大会で再会したいという新しい目標ができました。次年度、私は初めて日本代表になり、チームメイトと再会することができました。そのときの喜びや達成感は今でもはっきりと覚えています。2023年の世界水泳では200mバタフライに出場しましたが、準決勝で10位と決勝に残ることができず、世界との差を痛感しました。今年オリンピックに出場することは叶いませんでしたが、現在は来年、再来年、そしてロサンゼルスオリンピックに向けて準備をしています。このように、何度壁にぶつかっても立ち直り、目標を見失わず、新しいことに挑戦ができる私は、企業様に採用していただいた暁には、持ち前の明るいキャラクターと競技の成績によって社内を活気づけていきたいと考えております。また、今後の競泳界にインターナショナルスイミングリーグのようなエンターテイメントが必要だと感じているので、これから私達の世代が日本の競泳界をもっと盛り上げていきたい、そして皆様にもっと日本の競泳を応援していただきたいと考えております」
■齋藤華南選手(フェンシング/エペ)
「私の夢はオリンピックでメダルを獲得することです。私がフェンシングに出会ったのは小学2年生のときです。母に連れられて、クラブチームの練習を見に行ったのがきっかけでした。負けず嫌いの私は勝つことが嬉しくて、どんどんのめり込んでいきました。フェンシングを始めて2年が経った2012年、ロンドンオリンピックで男子フルーレ団体が金メダルを獲得する姿をテレビで観ました。小学生ながら家族で感動したのを今でも覚えています。当時、ただただ勝負することが楽しくてやっていたフェンシングがこうやって人に感動を届けることができるものなのだと思い、オリンピックは私にとって憧れの舞台になりました。そして憧れの舞台から夢の舞台に切り替わったのは高校1年生のときです。初めて出場したワールドカップで世界ランキング上位の選手を間近で見て、私も上位選手と肩を並べて戦えるようになりたいと思いました。しかしその後、U-20の世界選手権やワールドカップに何度か出場する中で世界の壁の高さを知り、オリンピックに出場するためには、国内だけでなく世界でも安定して勝てる選手にならなければいけないと考えるようになりました。そのために私が今大切にしていることは、考えうる最良の選択をすることです。日々の行動は自分自身の選択によって決まります。その日1日の目標と計画をクリアして、もう無理だと思ってからあともうひと踏ん張りと限界を超える日々を積み重ねてきました。それが実を結び、昨年初めてアジア選手権や世界選手権、ユニバーシティゲームズに出場し、アジア大会では団体で銅メダルを獲得できました。このような国際大会での経験は、まだまだやれる、自分には可能性があるという大きな自信に繋がりました。そして私は、常に自己成長し続けようとする姿勢を身につけました。上達に限界はありません。よく考えてがむしゃらに挑戦し、失敗したらなぜ失敗したのかを考え突き止める。この考える力と失敗しても挑戦し続ける力が、14年間の競技生活で培った私の強みです。皆様の企業にご採用いただきましたら、企業というチームの一員として社員の皆様の活力となるような選手を目指します。また、社員の皆様と積極的に交流し、フェンシングの魅力を伝えていきたいと考えています。業務におきましても、私の強みである考える力と失敗しても調整し続ける力を生かし、粘り強く遂行します。ロサンゼルスオリンピックを目指し、アスリートとしても社会人としても企業や社会に貢献し、自分の可能性を信じて自己成長し続けます」
■金澤野愛選手(スキー/スノーボード)
「私は5歳のときにスノーボードを始めました。高校1年から本格的に競技を始め、オリンピック出場に向けて日々努力しています。競技を始めて1年目の全日本選手権で3位となり、高校2年生から全日本スキー連盟強化指定選手として活動しています。しかし、高校3年生から大学2年生までは、コロナウイルス感染症や暖冬の影響により、思うように海外遠征に行けなかったり、予定されていた大会が全て中止になってしまうこともありました。このような状況の中でも、モチベーションを下げることなく、国内での練習に工夫して取り組みました。目の前のことに全力で取り組んだ結果、2021年から全日本選手権3連覇を達成しました。どのような状況であっても諦めずに、継続して努力し続けたことが結果に現れた瞬間でした。しかし、全日本選手権で入賞しても特に優遇されることはなく、獲得ポイントのみを基準としてワールドカップに出場する選手が決まります。私はレベルの高いヨーロッパで練習や大会に参戦することで、自分のレベルにも繋げたいと思い取り組んでいましたが、ポイント獲得に約2年間苦しみました。ヨーロッパのレベルの高い選手たちや慣れない海外の雰囲気や環境に戸惑い、悔しい思いをたくさんしました。しかしこの冬、チェコで行われた大会と、カナダで行われた大会で好成績を残すことができ、ようやくワールドカップに出場することができました。結果としては23位と、出場1年目としては良い結果を得ることができましたが、ワールドカップという大きな舞台も肌で感じる中で、勝つためにはワールドカップでのレース経験を増やし、難しいコースや雰囲気に慣れ、速い選手に揉まれることが何よりも重要であるということを感じました。苦しい2年間を過ごしたヨーロッパでの経験や努力を無駄にしないためにも、できるだけ多くのワールドカップに出場し、早く結果を残せるように全力で努力していきます。皆様の企業にご採用いただいたら、企業の一員として、全てのことに手を抜かず世界へ挑戦する姿をお届けすることで、社員の皆様の一体感醸成に寄与できればと考えております。また、競技におきましては、サポートしていただいている全ての皆様への感謝の気持ちを忘れずに、多くの方々にとって憧れの存在となれるよう努力してまいります」
■松田健太郎選手(射撃/ライフル射撃)
「射撃競技はあまり馴染みのない競技かもしれませんが、世界的な競技人口は500万人を超え、オリンピック種目においても陸上競技に次いで参加国の多い競技となっています。この競技は固定された的を60回撃ち、その合計点を競います。長時間の集中力を必要とし、常に冷静でいる必要があることから、究極のメンタルスポーツとも呼ばれています。私は中学時代、アクション映画の魅力に魅入られ、高校入学を機に射撃ができる環境を探しました。そして、強豪校である高校に進学しました。進学後は学校が県外ということもあり、往復5時間という過酷な環境ではありましたが、競技がうまくなりたい一心で乗り越えることができました。また、在学中から現在に至るまで、金銭面を中心に、両親や多くの方々にサポートいただき、結果として全国大会2連覇や、ユース日本代表として活躍することができました。この競技を通して多くの良き友人に出会い、また人間力の向上や柔軟な考え方を得ることができました。以来、この競技は私の人生を豊かにしてくれる存在だという気持ちで取り組んでいます。特にコミュニケーション力と諦めない力を養ってきました。コミュニケーション力に関しては、競技の知識を深めていく上で、年代問わず多くの方々と関わり、適切な言葉遣いを学ぶことができ、相手を理解し、自身を表現することが得意になりました。諦めない力については、目標とする試合から逆算し、適切なトレーニング計画を立てることや、追い込まれた状況からでも次の一手を導くことに繋がっています。私は社会人になってからも、自身の強みを生かしていきたいと考えています。コミュニケーション力は関係構築に役立ちます。既存のお客様との良好な関係を築くことはもちろん、私は初対面の方とのコミュニケーションを得意としているので、新規のお客様獲得に繋げていきたいです。また、諦めない力は、成果に繋がります。仕事をしていく上で、上手くいかないことも多々あるかと思いますが、そのような状況でも諦めず、最善策を考え、お客様の獲得や会社の利益に結び付けていきたいです。私を採用していただいた暁には、自身の強みを生かすことはもちろん、競技で培った柔軟な考え方を生かし、今までになかった新しい視点を取り入れ、企業の発展に貢献します。また、選手としても常に高みを目指し、オリンピックでのメダル獲得を目標に日々精進します。こうした姿を見ていただくことによって、社員の皆様に勇気を与えていきたいと考えています」
■竹澤志緒里選手(フェンシング/フルーレ)
「私がフェンシングを始めたきっかけは、小学3年時に京都府タレント発掘事業である京都きっずに選ばれたことです。小学4年から中学3年までの6年間、オリンピアンであるコーチから、戦術やアスリートに必要な心構えなど、多くのことを学びました。京都きっずではフィジカルプログラムやコンディショニングプログラム、海外の人とコミュニケーションの取り方を学ぶ国際プログラムなど、競技以外のことも学びました。中学3年時に、ジャパン・ライジング・スター・プロジェクトのフォーラムに登壇しました。そこには金メダリストである鈴木大地前スポーツ庁長官がいらっしゃり、お話を聞くうちに私も世界と戦いたい、オリンピックでメダルを獲りたいという思いが沸き立ちました。高校2年時には初めてシニア国際大会に参戦しました。しかし会場や選手の雰囲気に圧倒され、予選敗退という結果で悔しい思いをしました。しかし、その直後のコロナ禍でも諦めることなく、自宅待機中もトレーニングを続け、インターハイ代替試合で3位入賞することができました。また、ジュニア世界選手権のメンバーに選出されるまでになりました。大学進学後はナショナルチームの一員として、ナショナルトレーニングセンターで練習を行い、ワールドカップに参戦しています。私の目標は4年後のロサンゼルスオリンピックと8年後のブリスベンオリンピックに出場し、メダルを獲得することです。目標達成のために常に心がけていることが2つあります。1つ目は失敗を恐れないことです。世界ランキングのトップ選手と対戦するとき、以前なら気持ちで負けてしまい手も足も出ないことがありましたが、コーチからの『チャレンジしないと何事も成長しない』という助言によって、今ではどんな対戦相手にも『できることを全力で』という強い気持ちで挑めています。2つ目は、相手の意見を尊重することです。相手の言葉に耳を傾け、それについて深く考えるようにしています。どんな意見にも得るものが多いと気づきました。このように行動したことで、大学チーム内に、お互いに対する信頼が生まれて強いチームワークを築くことができ、全日本フェンシング選手権大会で団体2連覇を達成することができました。私が競技を通して培ってきた精神は企業でも必ず発揮できると考えています。チャレンジする精神と相手の意見を尊重する思いを活かし、企業の一員としてどのような仕事にも積極的に取り組む覚悟があります。また、私が国内外で活躍する姿を、社員の皆様にお届けすることで、社員の方々の意識や団結力を高めることができると思います」
■古賀結那選手(スキー/フリースタイル)
「私は小学校2年生のときにスキーと出会い、14年間変わらずオリンピック出場を目指して精進しています。しかしこれまでの競技人生は順風満帆ではありませんでした。私は中学2年生、3年生、高校1年生と3度前十字靱帯を損傷し、約3年間競技をすることができませんでした。手術やリハビリテーションはとてもつらく、何度か競技を引退しようか迷う時期もありましたが、世界で活躍している選手を見て、オリンピックの舞台に立ち世界で活躍している選手と戦いたいと強く思い、怪我を乗り切ることができました。怪我の期間にトレーニング方法を見直し、下半身に特化した筋力トレーニングや全身の筋力トレーニングを取り入れたことで、2019年にアメリカで開催された大会で優勝。2020年のローザンヌユースオリンピックでも、スロープスタイル種目で決勝に進むことができました。トレーニングの成果もありその後は大きな怪我はなく、2022-23シーズンにはユニバーシティゲームズのスロープスタイルとビッグエアの2種目で優勝。初めて出場した世界選手権とフランスのティーニュで開催されたワールドカップでは決勝に進むことができました。現在のワールドカップランキングではスロープスタイル13位、ビッグエア18位となっています。私は怪我を経験し乗り切れたことで、どんな状況でも目標に向かって忍耐強く、諦めない力を手に入れることができました。2つ目の強みは行動力です。私は高校3年生の冬に、2ヶ月間単独でアメリカ遠征を行いました。日本では技術トレーニングを行う十分な練習環境が少ないため、海外で練習することを決め現地のチームに参加しました。自身でホストファミリーを探し、航空券を手配し、現地のチームに参加しました。2ヶ月間現地のチームメイトと共に過ごしたことで、競技スキルはもちろん、コミュニケーション能力だけでなく、自身で意見を伝える重要性を体得することができました。アメリカ人のコーチは練習したい技や教えてもらいたいことをはっきりと伝えなければ教えてくれませんでした。そして失敗を恐れず何度でも挑戦し続けることを意識づけられました。私はこの遠征での経験を経て、普段の練習から練習内容や時間をはっきりと決めてコーチに伝えるようにし、今は効率の良いトレーニングを行うことができています。私は長年の夢であるオリンピックに出場し、多くの方に競技の魅力や夢を諦めないことの素晴らしさを伝えていきたいと考えております。皆様の企業にご採用いただいた際には、粘り強く諦めない力と行動力を生かし、全力で仕事にも取り組み貢献したいと考えております。そして、選手として社会人として、成長できるよう尽力してまいります」
■稲山友梨選手(フェンシング/エペ)
「私は小学4年生のときに埼玉県ジュニアアスリート発掘育成事業であるプラチナキッズに合格し、様々な競技を体験する中でフェンシングに出会いました。小学5年生のとき、日本代表選手の模擬試合を目の前にし、素早いアタック動作や繊細な剣さばき、一瞬で勝負が決まる世界観に興味を抱き、剣道からフェンシングに競技転向し、今年で競技歴11年目になります。大学に入学した2021年、新型コロナウイルスの影響もあり、思うように練習ができなかったり大会がなくなったりと、モチベーションが揺さぶられる時期でしたが、限られた時間を無駄にせず、質の高い練習を心がけると同時に、フェンシングを楽しむことを忘れず、日々の練習に取り組みました。その結果、大学1年時の全日本学生フェンシング大会で個人優勝し、U-20のカテゴリーの2大会で準優勝をすることができ、U-20の日本代表として初めて国際大会の大きな舞台に立つことができました。世界で戦えるチャンスを得た私は、今できることを全力でやろうと心に決め、試合に挑みました。結果は22位でしたが、身長が低くても、世界の選手と戦えると勇気を持つきっかけになりました。私の強みは、周りを巻き込む力です。私は大学1年時から大学のエースとして、団体戦に出場してきました。団体戦は個人戦と異なり、チームの雰囲気やコミュニケーションが勝敗に関係してきます。そのような中で、私は自分から率先して発言することで意見を言いやすい環境を作ることや、練習以外のコミュニケーションを積極的に行い、切磋琢磨できるチーム作りを行いました。その結果、大学2年時の全日本選手権大会団体戦では優勝をすることができました。私の今の目標は、世界で戦える選手になることです。まずは国内で結果を残しランキング上位ベスト4に入ること、そして海外試合の経験を積みオリンピック出場とメダル獲得ができる選手にまで上り詰めたいです。目標達成のために、現在課題としているより繊細な剣操作の習得と、フィジカルの強化を図り、国内外問わず格上の選手にも負けないプレースタイルを構築していきます。皆様の企業にご採用いただけましたら、フェンシングを楽しむ心を忘れず、自身の強みである周りを巻き込む力を通じて、社員の皆様に元気や勇気を届けられる選手になります。また、新しいことにも果敢にチャレンジし、業務でも貢献できる人材になります。支えてくださる皆様に応援してよかったと言っていただけるような選手に必ずなります」
■宮田将吾選手(スケート/ショートトラック)
「私は6歳のときにスケートの体験教室でショートトラック競技と出会いました。競技を始めたときから、同じスケートリンクでは日本代表の選手が滑っていて、長野オリンピックで金メダルを輩出した監督に指導していただける環境であり、自分もいつかオリンピックで金メダルを獲得したいと思いました。高校1年生のときに世界ジュニア代表に選出され、1500mで4位入賞。このときに世界の舞台で戦う楽しさと、あと一歩でメダルに届かなかった悔しさを感じました。高校2年生ではワールドカップデビューやユースオリンピックで金メダル獲得を達成。そして大学1年生時にはショートトラック日本代表の最年少として、北京2022冬季オリンピックに出場しました。オリンピック本番では自分の力を発揮することができず、出場した個人種目では全て予選敗退という結果で、レースまでの準備や調整方法、全てにおいて未熟さを感じました。北京2022冬季オリンピックでのメダル獲得という目標を達成することはできませんでしたが、オリンピックでの悔しさをバネにトレーニングに励み、全日本距離別選手権の500m、1000mでは3年連続優勝。2023年のワールドユニバーシティゲームズの500mでは、ショートトラックとしては22年ぶりの金メダルを獲得することができました。ショートトラックはタイムではなく着順勝負で争われます。先行で逃げ切る、後方から追い上げるなど、選手によって様々な戦法があり、最後の最後まで駆け引きが行われます。常に変化する氷の状況や相手選手に対応するため、私は競技を通して冷静に対応する力と正確な判断力を身につけることができました。日本のショートトラックは長野1998冬季オリンピック以来メダルが獲得できておらず、なかなかスポットライトが当たることがありません。私はそのような日本のショートトラックの歴史を変えたいと思っています。私は日本代表チームの中では若手の存在ですが、チームを良い雰囲気に変え 、勢いづける力を持っています。日本のショートトラックを引っ張っていく存在として、ミラノ・コルティナダンペッツォ2026オリンピックに出場し、金メダル獲得を目指します。これから困難な壁が待ち受けていると思いますが、金メダル獲得という目標を達成するには、自分1人の力だけでなくサポートしてくださる方々の力が必要です。皆様の企業にご採用いただいた際には、競技で培った冷静に対応する力と正確な判断力を生かし、企業人としての責任を全うすることはもちろん、私の挑戦し続ける姿や活躍する姿を見ていただき、社員の皆様の一体感を高めるきっかけとなり、企業発展に貢献できるよう活動していきたいです」
説明会終了後には、選手と企業関係者との名刺交換、情報交換会が行われ、企業と選手がそれぞれ交流を深めました。
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