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2024.04.16 キャリア支援

JOCの就職支援「アスナビ」:経済同友会と説明会を共同開催

登壇してプレゼンを行った6選手(写真:フォート・キシモト)
登壇してプレゼンを行った6選手(写真:フォート・キシモト)

 日本オリンピック委員会(JOC)は3月21日、日本工業倶楽部で、トップアスリートの就職支援ナビゲーション「アスナビ」の説明会を行いました。

 アスナビは、アスリートの生活環境を安定させ、競技活動に専念できる環境を整えるために、アスリートと企業をマッチングする無料職業紹介事業です。年間を通じて「説明会」を複数回実施し、企業に対してトップアスリートの就職支援を呼びかけています。2010年から各地域の経済団体、教育関係機関に向けて本活動の説明会を行い、これまで226社/団体393名(2024年3月21日時点)の採用が決まりました。今回の説明会は公益社団法人経済同友会との共催で行われ、40社60名が参加しました。

水鳥寿思JOC理事(写真:フォート・キシモト)
水鳥寿思JOC理事(写真:フォート・キシモト)

 最初に主催者を代表して水鳥寿思JOC理事がアスナビ説明会に参加した企業に対する感謝の言葉を述べました。続けて、「我々JOCとしては、競技活動を中心としながら社会で活躍できる人材、社会の憧れとなる人材の育成を支援しております。経済や文化的な側面からも、皆様と一緒に日本を盛り上げていきたいと考えておりますので、この活動にぜひご賛同いただき、アスリートをご支援いただけましたら幸いです」と、参加企業にアスリート採用を呼びかけました。

経済同友会スポーツとアートによる社会の再生委員会委員長 の山口栄一氏(写真:フォート・キシモト)
経済同友会スポーツとアートによる社会の再生委員会委員長 の山口栄一氏(写真:フォート・キシモト)

 続いて、共催者を代表して経済同友会スポーツとアートによる社会の再生委員会委員長 の山口栄一氏が「アスリートやアーティストが学校を卒業し、社会に出てからも競技や活動を継続していくということにおいては、日本は世界に比べると遅れている部分が多く見られます。本日これから登壇していただく学生アスリートの想いに耳を傾けていただき、経済界として何ができるのかということを考える機会となれば幸いです」と、期待の言葉を送りました。

柴真樹JOCキャリアアカデミー事業ディレクター(写真:フォート・キシモト)
柴真樹JOCキャリアアカデミー事業ディレクター(写真:フォート・キシモト)

 次に柴真樹JOCキャリアアカデミー事業ディレクターがアスナビの概要を、スライド資料をもとに紹介。アスナビが無料職業紹介事業であることや登録するトップアスリートの概略のほか、就職実績、雇用条件、採用のポイント、アスリート活用のポイント、カスタマーサポートなどを説明しました。

 その後、就職希望アスリート6名がプレゼンテーションを実施。映像での競技紹介やスピーチで、自身をアピールしました。

西口泰嵩選手(写真:フォート・キシモト)
西口泰嵩選手(写真:フォート・キシモト)

■西口泰嵩選手(フェンシング)
「私は日本代表選手としてロサンゼルス2028オリンピックでのメダル獲得に向けて日々練習に励んでいます。私は小学4年生のときにフェンシングを始めましたが、そのきっかけは両親がフェンシング/フルーレの元日本代表選手だったことで、母はシドニー2000オリンピックにも出場しました。小学5年生のときに、ロンドン2012オリンピックで日本チームが銀メダルを獲得したシーンが非常に印象に残り、フェンシングにのめり込みました。日本の選手の他国にはない絆の強さや、格上の相手を倒す姿を見て、オリンピックで金メダルを獲得するという明確な目標が生まれました。私にはフェンシングを続けていく上で信条としていることが2つあります。1つ目は楽しむこと。困難な場面でもポジティブに捉え行動しています。2つ目は諦めないこと。どのようなときでも私は諦めません。しかし、自分の意見に固執しすぎることなく、他競技の人の情報など先入観なく取り入れた上で取捨選択できる柔軟性もあります。私は『努力した者が全て報われるとは限らない。 しかし、成功した者は皆すべからく努力している』という言葉を大切にしています。努力を努力と思わず、何事にも挑戦する探究心を持ち、最後まで諦めない忍耐力を、私は人一倍持っていると思っています。諦めない私は敗れた試合を振り返り、改善策を見出してきました。その取組が結果として表れたのは、大学1年生のときに行われた、U-20の日本代表を決定する最終戦であるOCジュニアオリンピック・カップ・フェンング大会でした。自分の模索してきたことを信じて覚悟を持って挑んだ結果準優勝となり、日本代表に選出され、世界で戦うことができました。今後もオリンピックでのメダル獲得を目指し、どんな困難にも立ち向かいながら、さらなる挑戦を続けていきたいです。競技生活で培った柔軟で前向きな姿勢で業務に取り組み、粘り強く遂行することで、企業のさらなる発展に大いに貢献できると思います。採用して良かったと思っていただけるよう努力しますので、ぜひよろしくお願いします」

渡邉麻央選手(写真:フォート・キシモト)
渡邉麻央選手(写真:フォート・キシモト)

■渡邉麻央選手(アーチェリー)
「私がアーチェリーを始めたきっかけは、ロンドン2012オリンピックでの女子団体の銅メダル獲得を見て、かっこいいと思ったことでした。矢が的に当たるのが楽しく、成果が点数として表れることにも魅力を感じ、気がつけば射場に毎日足を運んでいました。私のアーチェリー人生を大きく変えたのは、中学3年生でJOCエリートアカデミーに入校したことです。アーチェリーをもっと上手になりたい、挑戦したいという想いが強かったので、親元を離れ寮生活を送ることにも不安はなく、目標があるなら納得するまで頑張ってほしいと家族も送り出してくれました。そのときから私は世界を目指すことを目標としてきました。JOCの理念は『人間力なくして競技力向上なし』です。JOCエリートアカデミーでは信頼できるコーチや互いに高め合える仲間と出会い、仲間たちとの共同生活を通して生活力や人間関係についての大切さを学ぶことができ、競技面の成長も実感することができました。しかし、高校2年生のときに出場した世界ユース選手権では、世界で活躍することの難しさを実感しました。そこからは世界で活躍する選手になるために、常に自己分析を行い、何が必要かを追求し続けました。試合で勝つためには技術だけでなくメンタルの強さも必要です。大事な場面で普段通りの射ち方ができるかどうかで、1点、2点が変わります。私は勝負どころで決めきるために、メンタル面の強化にも取り組みました。そして、2年後の世界ユース選手権では団体で金メダルを獲得することができました。この3月にパリ2024オリンピックの代表選考会があり、最終日まで残ることができましたが、あと一歩のところで代表3名に入ることができませんでした。今は悔しい気持ちでいっぱいですが、この悔しさをバネに技術面の新たな課題を克服し、ロサンゼルス2028オリンピックでのメダル獲得に挑戦していきます。皆様の企業にご採用いただけましたら、この挑戦する気持ちを忘れずに何事にも取り組み、やり抜く力とコミュニケーション力を業務遂行にも活かしていきたいと思います。また社員の方々とも積極的に交流し、企業の活力になれるよう貢献していきたいと思います。自分自身の可能性を広げるためにも、様々なことに挑戦させていただきたいです」

百合草碧皇選手(写真:フォート・キシモト)
百合草碧皇選手(写真:フォート・キシモト)

■百合草碧皇選手(スポーツクライミング)
「私は小学5年生の冬にスポーツクライミングに出会いました。小さい頃から体を動かすことが好きで、自宅近くのジムに遊びに行ったのがクライミングを始めたきっかけです。高校2年生のときに国際大会初参戦となった世界ユース選手権で2種目優勝し、2022年のリードワールドカップシーズンでは初戦で銀メダル、最終戦では金メダルを獲得することができました。今後の目標はリードワールドカップでの年間総合優勝、世界選手権優勝、オリンピックでの金メダル獲得です。私の強みは2つあります。1つ目は継続力です。一度決めた目標を達成するために、根気強く挑戦する努力を継続できます。大学で学んだスポーツに関連する幅広い知識が、挑戦を継続するための大きな力となっています。昨年トレーニングのために単身でチェコ共和国に滞在した際には、多くの現地の方とのコミュニケーションを通して、自身のこれからの人生や競技についても深く考え、人として成長することもできました。このように、向上心や柔軟な発想によって10年以上スポーツクライミングを継続し、5年連続で日本代表に選出され、より強いクライマーになるために試行錯誤を繰り返しています。2つ目の強みは判断力です。リードクライミングは高さ15mの壁を命綱をかけながら身体ひとつで登る非常に危険な競技です。また、一度落下してしまうと競技が終了してしまうので、技術だけでなく高い集中力と判断力が求められます。あらゆる危険や可能性を予測して戦略を立てることが必要不可欠で、不測の事態での応用力や決断力も求められます。研究や人からのアドバイスで知識を増やして自分の考えをしっかり持つことで、素早い現場での判断力でパフォーマンスがより良くなる努力をしています。現在は大学と競技を中心に活動していますが、大学卒業後はアスリート社員としてオリンピックでのメダル獲得という夢に向かって全力で頑張りながら、自分ができる仕事も頑張っていきたいと思っています。またスポーツ選手として活動できるのは限られた期間なので、現役引退後は競技活動で培った継続力、判断力、国内外での経験を仕事に活かして最大限頑張っていきたいと思っています」

内藤未唯選手(写真:フォート・キシモト)
内藤未唯選手(写真:フォート・キシモト)

■内藤未唯選手(陸上競技)
「皆さんは競歩をご存知でしょうか。競歩は単に速く歩いてタイムを競うだけでなく、正確な歩行フォームや緻密な戦術を必要とする非常に過酷で難しい競技であり、今も美しく速く歩くための研究を重ねながらトレーニングに励んでいます。そのような奥深い魅力のある競歩と出会ってから6年が経ちます。私の強みは、一度決めたことは最後まで貫き通すことです。高校生のときに陸上部に入部して3ヶ月でマネージャーから選手に転向し、競歩をやると決めてからは途中で諦めようと思ったことは一度もなく、それは今でも主体的にトレーニングを継続できていることの原動力だと思っています。大学では、競技、学業、アルバイト、家事の両立に力を入れてきました。栄養のことを考えた食生活や睡眠を徹底し、大学の授業のレポート課題は計画的に取り組んできたため提出し忘れたことはなく、自らが興味を持った授業を履修したこともあり、大会などの予定がない限りは授業に全て出席してきました。現在も継続している大学のスポーツジムの受付のアルバイトでは、デスクワークのため身体に負担をかけずに業務を行えていたり、練習との兼ね合いを考えながらシフトを組み立てるなど、競技との両立ができるように努めてきました。また、コーチと相談の上、定めた目標から逆算して計画的に練習に取り組むなど、自ら強くなる方法を模索し、試行錯誤を繰り返しながらトレーニングに励んできました。そのような成果が実を結び、アジア選手権などの大きな舞台への出場や、5000m競歩のタイムを6年間で11分以上縮めたといったような競技力の向上に繋がったのだと思います。また、昨年の10月に開催された全日本35km競歩高畠大会では優勝、そして2時間50分35秒という日本歴代3位の記録を残すことができ、2025年に東京で開催される世界陸上に向けて取り組んでいます。競技を通して培ってきた、一度決めたことは最後まで貫き通すという力は、仕事において難しい局面や壁にぶつかったときにも活かせるのではないかと考えています。また、業務を粘り強くコツコツとやり抜き、逆算して物事に計画的に取り組むことで企業に貢献していきたいです」

藤本世音選手(写真:フォート・キシモト)
藤本世音選手(写真:フォート・キシモト)

■藤本世音選手(サーフィン)
「私は父の影響で9歳の頃からサーフィンを始め、約13年間取り組んできました。自然という危険と隣り合わせの海の中で変化する波に挑む、そのようなところに惹かれ、アスリートとしての全てをサーフィンに注ぎ込んできました。14歳のとき、世界チャンピオンになるという夢を叶えるため、サーフィンの本場であるオーストラリアへの留学を決意しました。留学先では、世界のトップレベルを肌で感じることができ、サーフィンだけでなく自分自身を成長させてくれるきっかけとなりました。日本への帰国後は、オーストラリアで培った経験を活かし活躍してやると意気込んでいましたが、現実はそう甘くはなく、活躍するどころか全く思うような結果を出すことはできませんでした。次第にオーストラリアへ留学をしていたにも関わらず活躍できない自分が惨めに思えてきて、不満を抱くようにもなりました。これまでの努力がまるで意味もなかったように感じてしまった私は、2022年の初戦を最後に、サーフィンを競技として続けることをやめようと考えていました。しかしそんなときに、幼い頃からお世話になっていたコーチが私に向かって『世音なら絶対に大丈夫、誰よりも上手いから』という言葉をかけてくれました。コーチにとっては私を鼓舞するための些細な一言だったかもしれません。しかし、自信を無くし前が見えなくなっていた私にとっては、光を与えてくれた救いの言葉でした。自分の実力や努力を認め応援してくれる人がいる、そう思えることで不思議と自信が湧いてきました。そのような人たちのためにも、自分を信じ努力し続けると、私が決心した瞬間でもありました。応援の力を胸に、昨日よりも今日、今日よりも明日、常に前進するという想いで今日まで突き進んできました。そして、その応援の力によって昨年初めて、日本サーフィン連盟グランドチャンピオンを獲得することができました。これから先も、目標である世界ツアーでのタイトル獲得、そしてオリンピックでの金メダル獲得を目指して突き進んでいきます。また、私は学業に関してもサーフィンと同じように情熱を持っており、文武両道を体現してきました。これからは勉学から仕事へと変化しますが、中途半端ではなく最後までやりきるという思いを胸に、全力で励んでいきたいと思います。皆様の企業で働かせていただけることとなりましたら、社員の皆さんから応援され、士気を上げることができる、そんな社員を目指していきます。当時の私がコーチの言葉に救われたように、これからは私自身が企業アスリートとして、応援してくださっている皆様や次世代のサーファーにインスパイアできる、そのような人を目指していきたいです」

小林姫公選手(写真:フォート・キシモト)
小林姫公選手(写真:フォート・キシモト)

■小林姫公選手(アイスホッケー)
「私の目標は、ミラノ・コルティナダンペッツォ2026冬季オリンピック、2030年の冬季オリンピックに出場し、メダルを獲得することです。この目標に向け、私が一番大切にしている想いは、礼節を忘れず、忍耐強く、そして誠実であることです。この想いはアイスホッケーでトップレベルを目指すと決めた中学生のときから大切に持っています。出身地の長野県軽井沢はウィンタースポーツが非常に盛んで、5歳の頃からアイスホッケーを始めました。私がトップレベルを目指すきっかけとなったのは、中学1年生のときに出場したイタリアでの国際大会でした。初めての国際試合では海外選手とのプレーの差を痛感しましたが、アイスホッケーを全力で楽しみ、誠実にプレーをする海外選手の姿がとても印象に残り、私のアイスホッケーに対する気持ちはそこから変わりました。そして高校1年生のときに上京し、多くのオリンピアンが所属するシニアチームに入団しました。新天地での高校入学や強豪チームへの入団など、生活環境の変化から何度か苦しい経験をしました。しかし、柔軟に対応することで、高校時代はU-16、U-18の日本代表にも選出され、海外での経験を多く積むことができました。私はこのような環境の変化と苦難を乗り越えることで、忍耐力を培ってきました。また、大学時代は日本代表として世界選手権に出場、またワルドユニバーシティゲムズで過去最高順位の2位という結果を残すことができました。2週間前に行われた全日本選手権でチームが6年ぶりに優勝し、女子日本アイスホッケーリーグと合わせて二冠を達成しました。私は自身が設定した目標に向けて粘り強く取り組んできたからこそ、今の自分が着々と成していっていることを実感しています。トップレベルを目指す上では、もちろん楽しいことだけではなく、そ過程の中で想像以上の大きな挫折など、苦しい場面がたくさんあると思います。しかし、アイスホッケーで培った礼節、忍耐、誠実によって、これからも苦難を乗り越えさらに上を目指していきます。私を皆様の企業にご採用いただきましたら、今までサポートしてくださった方々への感謝を忘れず、競技を通しての企業の発展や社内の活性化に新たな人材として貢献できるよう、全力で取り組んでいきます」

株式会社オリエントコーポレーション 人事・総務グループ キャリアデザイン推進部部長の栢野勇一郎氏(写真:フォート・キシモト)
株式会社オリエントコーポレーション 人事・総務グループ キャリアデザイン推進部部長の栢野勇一郎氏(写真:フォート・キシモト)

続いて、過去に3名の陸上競技選手を採用したほか、2024年度にも5年ぶりとなる3名のアスリート採用を行った、株式会社オリエントコーポレーション 人事・総務グループ キャリアデザイン推進部部長の栢野勇一郎氏が登壇し、アスリート採用の体験談を紹介しました。同社におけるアスリート採用の経緯や目的、実際にアスリートが主体となって取り組んでいる業務の内容などを紹介した栢野氏は最後に、「アスリート社員の活躍による企業認知度や企業価値、企業イメージの向上に加え、社員一丸となってアスリート社員を応援することによる一体感の醸成を期待したい」とアスリート採用における今後の目指すべき姿について語りました。

座談会を行う就職希望アスリート6名と経済同友会スポーツとアートによる社会の再生委員会副委員長の竹内由紀子氏、柴真樹JOCキャリアアカデミー事業ディレクター(写真:フォート・キシモト)
座談会を行う就職希望アスリート6名と経済同友会スポーツとアートによる社会の再生委員会副委員長の竹内由紀子氏、柴真樹JOCキャリアアカデミー事業ディレクター(写真:フォート・キシモト)

 体験談の終了後には、登壇した就職希望アスリート6名による座談会を実施。経済同友会スポーツとアートによる社会の再生委員会副委員長の竹内由紀子氏と柴JOCキャリアアカデミー事業ディレクターの質問に答える形で、6選手が自らの考えを述べました。説明会終了後には、選手と企業関係者との名刺交換、情報交換会が行われ、企業と選手がそれぞれ交流を深めました。

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