JOCが年1回発行している広報誌「OLYMPIAN」では、北京2022冬季オリンピックでメダルを獲得した各アスリートにインタビューを実施しました。ここでは誌面に掲載しきれなかったアスリートの思いを詳しくお伝えします。
髙木 美帆(スケート/スピードスケート)
女子1,000m 金メダル
女子500m 銀メダル
女子1,500m 銀メダル
女子チームパシュート 銀メダル
■メダルに詰まったドラマ
――金1個、銀3個、今大会合計4個のメダルを獲得。これで、2018年平昌オリンピックと合わせて合計7個のメダル獲得ということになりました。本当におめでとうございます。日本オリンピック史においてもすでに伝説的な存在となりつつありますが、率直な感想をお願いします。
ありがとうございます(笑)。そう言っていただけるのはうれしいことなのですが、メダルの数については競技特性も影響すると思っています。大会ごとに1種目しか出場できない競技もありますし、私たちのように複数種目に出られる競技もあります。メダル数の重みを比較することはなかなかできないので、私自身はメダルの数にあまりこだわりはありません。メダル一個一個にたくさんのドラマが詰まっているので、それを大事にしたいと思っています。
――そう伺うと、たしかに同じ銀メダルですが、1,500mでは悔しさ、500mでは喜び、チームパシュートでは切なさ……とそれぞれ複雑な心境や感情が込められているように感じますね。
はい。今まさにおっしゃっていただいたように、同じ色のメダルでも、これほど感情が変わるものなのだと強く感じたオリンピックでした。自分でもすごく不思議な感覚ではありました。
私自身、1,500mに懸ける気持ちは大きかったのですが、だからこそ、走り終えた後に悔しさがにじみ出る感覚が強かったです。プレッシャーから来る緊張は、平昌オリンピックの時ほどは感じていなかったつもりなのですが、自分なりに守りたいもの、とりたいものが強くあって、レースが終わってみてはじめて背負っていたものの重みを実感しました。ただ、悔いのようなものは全くないですし自分自身を誇らしく思えました。
一方で500mに関しては、チャレンジすることが私自身すごく好きで、だからこそ楽しいと実感できました。あらためて、スピードスケートをする理由を考えた時に、挑戦したい気持ちが原動力になっていると感じることができたのがこのレースだったと思います。
――そのような中で、1,000mでは見事に金メダル獲得となりました。ご自身、ワールドカップで初めて表彰台に上がったのも1,000mだったとおっしゃっていましたが、金メダルだと決まった瞬間はどういうお気持ちでしたか。
メダルの色が金だと分かった時は、長かったオリンピックの特に前半のことを思い出しながら、いろいろな感情がこみ上げて来てそれをかみしめるような気持ちでした。一人ではここまで走り切れなかったと強く感じましたし、私自身の最終種目でしたが、チームのみんなでとれた金メダルだったと思っています。
――その最終種目で疲労もピークだったと思うのですが、その中で、オリンピックレコードという滑りでした。
ゴール直後は、ただ「やった!」という気持ちでした。なにか深いことを考えるわけでもなく、達成感と爽快感に包まれていました。
■重責を担う立場になって
――初出場の2010年バンクーバーオリンピック、出場できなかった14年ソチオリンピック、金・銀・銅メダルを獲得した平昌オリンピック、そして今回北京2022冬季オリンピックでは、TEAM JAPAN北京2022の主将としての重責も担いました。あらためて、髙木選手にとってオリンピックとはどんなものなのでしょうか。
北京2022冬季オリンピックで強く感じたのは、オリンピックは「本気を味わえる場所」だということです。本気で悔しいと思ったり、本気で悲しいと思ったリ、本気でやるせないと思ったり、本気でうれしいと感じたり。「やった!」と思う気持ちも、全てみんなが本気の気持ちで挑みに来る舞台だからこそ味わえるのだと強く感じています。私にとっても本気になれる場所なのかなと思います。
――JOC(日本オリンピック委員会)のシンボルアスリートという立場でもあります。注目される立場になっていることはどのように受け止めていますか。
周囲から注目されることについては、平昌オリンピックが終わってから経験できたことでもありました。責任ある行動をとらなくてはいけないということに関しては、たしかにしっかりしなくてはと思う場面も多々あるのですが、自分の中で特別に変えなくてはいけないことではないとも思っていました。
TEAM JAPAN北京2022の主将を引き受けると決めた時も、皆さんを引っ張っていくことはできないだろうと思っていましたし、逆に、皆さんに助けられながら一つのチームになっていきたいと考えていました。主将だから結果を残さないといけないとは全く考えていなくて、どんな立場でも結果を残したいと思っていたからこそ、チャレンジをしても良いかなと思い主将を引き受けたのです。責任感やプレッシャーをあまり感じなかったように、精神的な面で成長できたことも大きいと感じています。
――ライバルであり先輩でもある小平奈緒選手に対しては、髙木選手はどのような思いを持っていらっしゃいますか。
小平選手は、一緒にレースをするのが楽しいなと思える選手の一人です。そう思える人はなかなかいないのですごくありがたいですし、そういう選手と同じ時代に滑れて良かったなと強く感じています。小平選手の姿勢など、学んだこともたくさんあります。12年前、バンクーバーオリンピックで一番身近で最初に見たメダルも、小平選手たちが出場されたチームパシュートの銀メダルでした。私がスケートに目覚めて、成長して、速くなってこられたのは、小平選手の存在も大きかったと思っています。
――お疲れのところ、本当にありがとうございました。スピードスケート界のリーダーとして、今後のご活躍を祈念いたします。
ありがとうございました。
■プロフィール
髙木 美帆(たかぎ・みほ)
1994年5月22日生まれ。北海道出身。
5歳でスケートを始める。小学2年でサッカーを始め、中学時代は北海道選抜メンバーとしても活躍。2010年バンクーバーオリンピックでは、日本スピードスケート史上最年少となる15歳で日本代表選手団に選出された。18年平昌オリンピックでは女子1,500m で銀、女子1,000mで銅、女子チームパシュートで金メダルを獲得。19年には女子1,500m世界記録も樹立。北京2022冬季オリンピックでは女子1,000mで金メダル、女子1,500m、女子500m、女子チームパシュートで銀メダルと4個のメダルを獲得した。日本体育大学所属。
(取材日:2022年2月18日)
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