JOCが年1回発行している広報誌「OLYMPIAN」では、北京2022冬季オリンピックでメダルを獲得した各アスリートにインタビューを実施しました。ここでは誌面に掲載しきれなかったアスリートの思いを詳しくお伝えします。
山本 涼太(スキー/ノルディック複合)
渡部 善斗(スキー/ノルディック複合)
永井 秀昭(スキー/ノルディック複合)
ラージヒル団体 銅メダル
■28年ぶりにかなえた悲願
――ノルディック複合団体のTEAM JAPANとしては、1994年リレハンメルオリンピック以来、実に28年ぶりのメダル獲得となりました。久しぶりの団体銅メダルを手にした感想を教えてください。
永井 28年、本当に長い期間がかかりました。ただ、こうやってリレハンメルオリンピック以来となるメダル獲得を達成し、コンバインド(複合)の歴史に自分たちの名前を刻めたことは、TEAM JAPANにとっても、ノルディックコンバインドチームにとっても、今後に向けていいきっかけになったと思います。
渡部善斗 まずは、こういう面白い試合を皆さんに見ていただけたことが良かったと思います。強化が実を結んだ結果だと思うので、永井(秀昭)さんも話した通り、これをきっかけにまた今後もっと良くなっていく転換点となればいいですね。
山本 僕は今24歳です。前にメダルをとったのは僕が生まれる前ということになります。これだけ長い期間を経てのメダル獲得について、正直なところ、私が何か語れるようなことではありません。ただ、メダルを獲得したTEAM JAPANの一員として、最後にアンカーとしてゴールできたことは自信につながりました。日本コンバインドチームの強化戦略が成果として少しずつ出始めたのかなと思います。
――皆さんそれぞれのパフォーマンスを振り返っていただきたいと思います。ジャンプを終えた段階で4位、そして、(渡部)善斗選手がトップランナーということになりました。トップまで12秒差の4位というこの位置については、どのように感じていらっしゃったのでしょうか。
渡部善斗 普段ワールドカップで戦っている感覚では、僕らTEAM JAPANが後ろから追いかけて捕まえ追い越し表彰台に上がるのは難しいことだと感じていました。4位と出遅れたのは少し厳しいスタートになったと思ったものの、幸いにも秒差はそれほどなかったので、しっかり僕が詰めておけば試合展開次第ではチャンスもあると思いました。
――「こういう作戦でいこう」というような具体的な話は何かあったのでしょうか。
渡部善斗 ジャンプを飛び終わり、他国との秒差を見ながら、ランのオーダーを決めます。他国の選手との力関係も分かっているのですが、僕らのオーダー(走順)がどういう影響を及ぼすかも相手国のオーダーとの関係で決まってきます。本当にやってみないと分からないいんですよね。僕たちTEAM JAPANは、通常の場合、大体(渡部)暁斗がアンカーを務めていたのですが、今回コーチ陣が思い切って山本(涼太)をアンカーに指名しました。そして他チームも、想像以上に奇をてらってきたというか……、組み合わせを見た時に、僕らにとってかなり有利なオーダーになっていると感じました。加えて、スキーの滑りや試合展開が重なり、良い流れがきて僕ら向きのレースになったと思います。
――続いて、永井選手にバトンが渡りました。善斗選手がトップとほぼ並ぶような形で戻ってきましたが、どのような気持ちで走り出したのでしょうか。
永井 絶対にこの集団から離れず、(渡部)暁斗にバトンをタッチすることだけを考えてスタートしました。
――レースを見ていると、先頭に立たされて目標にされたり風よけに使われたりするのはつらいので、前の選手の直後で追いかける形で体力を温存するのが理想的な展開かと思うのですが、やはり、前に出ないように気をつけながら滑っていく感じなのでしょうか。
永井 ええ、そうですね。クロスカントリーの力関係でいうと、強豪国である3カ国(ノルウェー、ドイツ、オーストリア)と比べて、どうしても私たちの方が劣るので、団体戦に関しては現状の力関係を考えても前に出るのは得策ではなかったのです。前の選手たちから離されないようにしっかりと後ろについて暁斗にバトンタッチするのが、日本の第2走者を担当する僕の役割でした。
――永井選手は38歳という年齢で迎えた今大会が最後のオリンピックだとおっしゃっていました。3大会連続の出場となった北京2022冬季オリンピックについて、これまでと何か違いを感じましたか。
永井 過去2大会経験してきたことが、今回少なからず役立ちました。行動に制限がかかるオリンピック特有の不自由さなどもそうですし、気持ちの面もそうですし、通常のワールドカップとは生活スタイルが異なります。それでも、過去2大会の経験があったからこそストレスなく臨めましたし、それが良い方向に影響したと思います。
――そして、山本選手はアンカーの大役を任されました。チームメートにとってもサプライズといえる奇策だったという話もありましたが、ご自身、大役を聞かされた時はどう思いましたか。
山本 ジャンプを4番手で飛び終えて控室に戻ってきたタイミングで4走だと聞きました。まずまず飛距離を出すことができてホッとしたのですが、それもつかの間、ランも4番手だと聞かされて……気持ち的にはすごくきつかったです(笑)。
――レースでは、首位のノルウェーチームが独走となり、日本、ドイツ、オーストリアの3チームによる銀メダル・銅メダル争いとなりました。混戦状態で(渡部)暁斗選手からバトンが回ってきて、山本選手はどのようなことを考えながら走っていたのでしょうか。
山本 オリンピック期間中、クロスカントリーであまりいい滑りができていなかったので、まずは自分の力を出せるようにしようと考えていました。今年、リレハンメルで行われたワールドカップの団体戦で表彰台に立った時も、同じオーストリアのマルティン・フリッツ選手と競っていたので、彼がどこでスパートをかけるかも想像しながらレース展開を思い描くことができていました。ドイツの(ビンツェンツ・)ガイガー選手は追いついてくるだろう、オーストリアのフリッツ選手はこういう感じで動くだろうというのが全て想像通りの展開になり、すごく戦いやすかったです。
――経験がものをいいましたね。勝負は最後の直線までもつれ込んで、皆さん本当にハラハラしながら応援されていたのではないかと思うのですが、山本選手ご自身はどのような気持ちでしたか。
山本 最後の最後でドイツチームにスプリントを仕掛けられて、それについていくという展開になりました。後ろとの差が全く分からない状態で直線に入ったので、どこにオーストリアチームがいるのかも把握できず不安でしたが、とにかく最後まで出し切ろうと思ってがむしゃらに走っていました。TEAM JAPANのメンバーが両手を挙げながら迎え入れてくれるまで、全く安心できなかったです。
――本当に興奮しましたし、感動しました。ありがとうございます。
■チーム全員でつかんだ銅メダル
――TEAM JAPANが下り坂を滑っているところは、他チームと比較してかなり余裕のある滑りに見えました。板が非常に滑りやすい状態になっていたように感じましたが、実際に滑っている皆さんの手応えはいかがだったのでしょうか。
永井 おっしゃる通りで、TEAM JAPANのスキーはかなり滑っていました。ワックスマンには感謝しかありません。ワックスマンの力がなければ、メダル獲得には及ばなかったと思います。
――もちろん、皆さんが良い滑りをしたということが大前提ですが、ワックスマンも含めて一つのチームということですね。
永井 はい、そうです。ジャンプが始まる前頃から雪がちらつき始めました。人工雪の上に天然雪が降り積もったわけです。クロスカントリーがスタートする約4時間前から、雪が積もった場所でのテストを重ねてくれたと思うのですが、そのわずかな時間で見事にアジャストさせてくれました。いろいろとテストを重ねて導き出したワックスを塗ったのだと思いますが、それが見事にはまりました。良いスキーを仕上げてくれたワックスマンの腕の高さに感謝の気持ちでいっぱいです。ワックスマンも含めて、チーム全員で勝ちとったメダルですね。
――善斗選手は兄弟メダリストということになりました。今大会、さまざまな兄弟姉妹選手の活躍が目立つ大会ですが、渡部兄弟でメダリストになった気持ちを教えていただけますか。
渡部善斗 もちろん、両親や地元の方々は兄弟揃ってメダルをとったことを喜んでくれるので、その報告を二人でできるのは一つうれしいことではあります。ただ、ずっと長く一緒にやってきて兄弟という感覚はもうお互いにないんですよね。
年の半分以上……4分の3ぐらいをメンバー、スタッフ、コーチなど、チームとして一緒にいるので、兄弟というならチームのみんなが兄弟という感覚です。(渡部)暁斗と一緒にというよりも、チーム全員でとれたメダルということが僕の中では大きいですね。
――山本選手は初めてのオリンピックとなりましたが、他の大会との違いを感じたことはありましたか。
山本 移動するにしても何をするにも一手間かかり、そういった部分で不便さを感じたので、「いつも通り」というのが非常に難しいと感じました。自分の実力を出すことの難しさもオリンピック期間で学ぶことができたので、どんな状況でもいいパフォーマンスをするのが、今後の課題になりそうです。
■ノルディック複合の未来を見据えて
――皆さん、オリンピックメダリストになり、反響も大きいと思います。今回の経験を通じてどんなメッセージを発信していきたいですか。
永井 メダルをとった反響は大きくて、携帯電話にもお祝いのメッセージがたくさん届きました。これが良いきっかけとなって、コンバインドという競技が注目され、競技の面白さをいろいろな人たちに知っていただき、競技環境が整っていくことを望んでいます。僕自身も微力ながら何らかの形で普及、発展に貢献したいと思っています。
渡部善斗 さすがオリンピックという反響で、普段は経験できないほど注目していただきました。皆さんに面白いと感じてもらえる試合ができてうれしかったですし、これを機に競技に興味を持っていただき、コンバインドを始める子どもたちが増えると良いですね。
一方で、少し引いた目線で考えれば、今回は銅メダルでした。この先に銀メダルと金メダルがあるので、もっと良い色を目指さないといけません。今後は、永井(秀昭)さんと(渡部)暁斗が抜けた状態で戦っていく転換点にもなります。TEAM JAPANとしては、ここからまたチャレンジャーとして切り替えて、あらためて勝負をしていかなければいけないと思っています。
山本 これまで僕自身の成績があまり振るわず、自分を見てもらう機会があまりありませんでした。しかしながら、オリンピックに出場してみて、個人・団体を含めて、その反響の大きさを痛感しました。皆さんに恩返しをしたいという気持ちで今回オリンピックに臨んだのですが、メダルを獲得して感謝を伝える表現が一つできたのは、すごくうれしい出来事でした。
今回の団体戦では、年上の3人と年齢が離れていましたが、今後、若い世代の活躍が期待されると思います。今後も自分のやるべきことは変わらないと思うのですが、自分の目標に向かって進んでいくだけでなく、私もチームの一員として何か貢献したいと思います。まずは自分が良い成績を収めて、チームに還元していきたいです。
――あまり質問されないけど伝えておきたい、といったことなどありますか。
渡部善斗 私たちの活躍を見てコンバインドを始めてくれる子どもがいることはうれしく思います。一方で、渡部暁斗というロールモデルの存在感が大きすぎる気もしています。もちろん、人間性やレース展開を含めて世に影響を与える選手だと思っていますが、彼のような人間性を目指さなくてはいけないとか、暁斗のレース展開が理想だというメディアの書き方が多すぎるという気もします。前を引っ張るのが美学だとか、後ろにつくのが悪いという言い方もされてしまうこともあるのですが、さまざまな戦略や個性も含めてコンバインドの魅力。暁斗はもちろん完成された素晴らしい選手であることは間違いないですが、それを美化して全員がそこを目指す必要もない。暁斗の戦い方もすごくカッコいいですし、理想の選手として目指すべきところとしては間違ってはいないのですが、そうではない選手がいるのも面白いと思うんですね。誰かが言わなくてはいけないというのは常々思っていたのですが、今、暁斗がいないので言っておきます(笑)。
――それだけ暁斗選手が素晴らしい選手であると教えていただきました。そしてまた同時に、すごく大切な視点だと思います。永井選手はいかがですか。
永井 これをきっかけに、このコンバインドという競技に興味を持ってくれる人が一人でも多くなるといいですね。
――山本選手はいかがでしょう。
山本 うーん……。
渡部善斗 遠慮なく言いなよ(笑)。
山本 そうですね(笑)。今回の試合に関して言うと、僕がメダルをとったようになっていますが、3人の方がつないでくださったからこそとれたメダルだと思っています。あの順位で、あの順番でなければ……。
永井 そんなヨイショしても何も出ないぞ(笑)。
渡部善斗 本音を言いなよ(笑)。
山本 自分の人生がうまくいき過ぎている気がしていて。先輩3人をもう少し立ててほしいなというのが、正直なところありまして……(笑)。
渡部善斗 いいんだよ、アンカーはそういうものだから。乗れる時に、乗っておかないと(笑)。
山本 今回の銅メダルは団体戦の面白みが出たと思うので、それがしっかりと伝わるといいですね。
――あらためて、4人のチームワーク、「家族らしさ」を感じることができました。おめでとうございます。そして、本当にありがとうございました。
一同 ありがとうございました。
■プロフィール
山本 涼太(やまもと・りょうた)
1997年5月13日生まれ。長野県出身。
父の影響で小学3年生の時にジャンプ競技を始める。2019-20シーズンでワールドカップに本格的に参戦し、20-21年シーズンでは個人戦で初めて3位に入り表彰台に上がった。北京2022冬季オリンピックではラージヒル団体で銅メダル獲得に貢献。同種目では7大会28年ぶりのメダル獲得となった。長野日野自動車SC所属。
渡部 善斗(わたべ・よしと)
1991年10月4日生まれ。長野県出身。
小学3年生の時に兄・暁斗の影響でジャンプを、中学から複合を始める。2010年に早稲田大学に進学し、本格的にワールドカップに参戦。13年世界選手権ではラージヒル団体4位入賞。同年ワールドカップオスロ大会ではラージヒル個人で3位に入り、初めて表彰台に上がる。17年世界選手権では、暁斗と出場した複合団体スプリントで3位。14年ソチオリンピックではラージヒル団体5位入賞。18年平昌大会ではラージヒル団体4位入賞を果たす。北京2022冬季オリンピックではラージヒル団体で念願の銅メダル獲得に貢献。北野建設SC所属。
永井 秀昭(ながい・ひであき)
1983年9月5日生まれ。岩手県出身。
小学生でクロスカントリーを始める。中学に入り、サッカーの体力作りを目的に複合を選択。中学1年の時にジュニアオリンピックに出場し、最下位を経験したことから本格的に競技に打ち込む。大学卒業後も家族の支援を受けながらスキー競技を続け、2007年世界選手権に初出場。13年世界選手権ラージヒル個人で5位入賞、翌年のソチオリンピックでは、ラージヒル団体で5位入賞。18年平昌オリンピックではラージヒル団体4位入賞。北京2022冬季オリンピックではラージヒル団体で悲願の銅メダルを獲得した。岐阜日野自動車SC所属。
(取材日:2022年2月18日)
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