JOCが年1回発行している広報誌「OLYMPIAN」では、東京2020オリンピックでメダルを獲得した各アスリートにインタビューを実施しました。ここでは誌面に掲載しきれなかったアスリートの思いを詳しくお伝えします。
張本 智和(卓球)
男子団体 銅メダル
■団体戦では全勝でチームに貢献
――初めてのオリンピックで銅メダル獲得、おめでとうございます。まず率直な今の感想をお聞かせください。
団体戦では個人としては全勝できたので、大会後半はずっと楽しく試合をできたと思います。
――おっしゃるように団体戦では、張本選手は初戦のオーストラリア戦、準々決勝のスウェーデン戦、準決勝のドイツ戦、3位決定戦の韓国戦と、全て勝って終えられました。エースとしてどのような気持ちで挑みましたか。
ポジションとしてはエースポジションだったんですが、水谷(隼)さんも、丹羽(孝希)さんもベンチにいてくれるだけで気持ちは楽にプレーができたので、エースとして貢献したというよりは本当に二人に助けてもらって全勝できたのかなと思います。
――準決勝のドイツ戦では惜しくも敗れ、韓国と3位決定戦で戦うことになりました。その時はどのようなお気持ちで試合に臨まれたのでしょうか。
自分が勝ってもチームが負けてしまっては意味がないので、やはり試合以外の部分で自分にできることがもっとあったはずだと、そういう反省がありました。韓国戦では自分の1点をとることと、自分が出ない3番、4番の試合の時に気持ちを入れて応援しようと考えていました。その気持ちが最後に水谷さんに届いたのかなと思います。
――スウェーデン戦では丹羽選手とのダブルスで戦うという場面がありました。何か違ったプレッシャーを感じましたか。
オーストラリア戦まで僕の状態が全く良くなくて、水谷さんの状態が一番良かったんです。ですから、水谷さんを2点起用するのがベストだと監督が判断しましたし、自分もそう思いました。そして僕自身は、タブルスに出ることによってエースのプレッシャーというのがちょっと減った気がします。その次のドイツ戦ではエースのポジションに戻りましたが、そこからはあまりプレッシャーを感じることなくプレーできました。
――シングルスから団体戦へと変わり、どのような対策や戦略を考えたのでしょうか。
正直なところ、団体が始まってもオーストラリア戦まではあまり気持ちを切り替えることはできませんでした。それくらいシングルスの敗戦はショックで、なかなか立ち直れなかったんです。ただ、団体戦は自分一人で戦うわけではないですし、ベンチの二人を信じて頑張りました。
――シングルス、団体戦と数多く試合をされましたけれど、張本選手のなかで最も印象に残っている試合はどの試合ですか。
ドイツ戦の4番で0対2から逆転勝ちした試合です。人生で初めてラケットを投げてしまったのですが、それくらい勝ちたい気持ちが強くて、逆転勝ちして5番につなげられたっていうのがこのオリンピックで一番頑張った試合だと思います。
■チームを支えた水谷選手の存在
――団体戦の表彰式では、張本選手から水谷選手にメダルをかけていました。あの時はどのような気持ちで水谷選手にメダルをかけたんですか。
ここまでチームを引っ張ってくださったのは水谷さんですし、水谷さんがいたから丹羽さんと僕がのびのびプレーできました。プレゼンターではないですが、順番的にも自分が水谷さんにかける順番でしたし、「ありがとうございます」という気持ちで首にかけました。
――試合中も、水谷選手の眼鏡を毎回拭いていましたよね。あれはどのような思いでされていたのですか。
水谷さんが自分で拭くのが一番良いとは思ったのですが、タイムアウトが1分間しかないなかで水も飲まないといけませんし、監督のアドバイスも聞かないといけません。拭き方はよく分からないですが、とりあえず表も裏も拭いて、眼鏡のことをベンチにいる時は忘れてもらおうという気持ちで、自分や丹羽さんが拭くことで、チームみんなで助け合いながらという雰囲気になっていました。
―ー張本選手は2歳から卓球を始められて、今回18歳でオリンピック初出場ということになりました。今まで数々経験してきた大会とオリンピックではどのようなところが違いましたか。
言葉には表すことができない緊張感の違いですね。今までもたくさん緊張する試合はあったのですが、やはり4年に1回の重みからくる緊張感というのは初めて感じました。相手の選手もいつもとは違う目つきをしていましたし、卓球選手にとっては一番大事な大会。この大会に懸ける思いが違うことをあらためて感じました。
――どのような目つきだったのでしょうか。
いつもですとリードされた時にちょっと諦めた目になったり、態度も悪くなっていったりするんですが、今回は例え10対0だったとしても、誰も諦めていないですし、少しでも気を緩めれば直ぐに逆転されてしまうという難しさを感じました。
■覚悟が問われるオリンピックの戦い
――今回、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で1年延期になりました。1年延びたことで今大会に向けてどのような対策をされてきましたか。
去年より今年の方が自分自身の状態は良かったのですが、その一番の要因はメンタル面だと思います。オリンピックを迎える覚悟がこの1年間で芽生えたと思います。もちろんその覚悟はもともとできていたつもりだったのですが、シングルスでは悔しい負けになってしまいました。ただ、ある程度覚悟ができていたからこそ、団体戦での立て直しもギリギリ間に合ったのかなと思っています。ですから、これが今自分が残せるベストな結果だったのかなと思います。
――水谷選手から今後は若手に託していくという話がありましたが、張本選手にはますます期待がかかると思います。とくに卓球界ではシングルスや男子団体での金メダルが期待されています。張本選手はこれからどのようにオリンピックの金メダルに向かって取り組んでいこうと思っていますか。
今大会、金メダルには2歩も3歩も及びませんでした。もちろん金メダルは目標ですが、まず次はシングルスのメダルを現実的に目指したいです。まずはメダル圏内に入ること、そこから勢いで金メダルまでいけるかどうかはその時次第だと思うので、現実的な目標はシングルスでのメダル獲得です。そして団体では決勝進出を目指したいです。一歩一歩クリアしていくことが大事だということを思い知らされた大会でした。
――オリンピックに出てみて、自分に欠けているのはどのような点に感じましたか。
シングルスと団体に入ってからのオーストラリア戦までは、やはり覚悟が足りなかったと思います。「楽に勝ちたいな」とか「できるだけ接戦になりたくないな」という気持ちが強かったです。それがもちろんベストではあるのですが、やっぱり相手も練習して本気で挑んできていますので、自分も練習して必死に勝ちに行くことが大事だと思います。常にフルゲーム、3対3を想定する。ドイツ戦や韓国戦はそれを想定できていたからこそ、いいプレーができました。やはり自分自身の甘さをなくしていきたいですね。
――オリンピックメダリストとして、卓球の良さやスポーツの良さを今後どのような形で伝えていきたいと思っていますか。
このメダルを子どもたちや卓球が好きな人たちにお見せしたい。そして、次は自分と一緒に戦う選手になるかもしれませんが、ここを目指してもらいたいと思います。そうやってお見せできる機会を得られたというのはうれしいこと。このメダルを意味のあるものにしていくためにももっと努力していきたいと思います。
――ありがとうございます。今後の目標を教えてください。
今年は11月に世界選手権があります。男子シングルスでは、水谷さんもメダルをとっていないので、シングルスでのメダル獲得を目指したいと思います。
(取材日:2021年8月7日)
■プロフィール
張本 智和(はりもと・ともかず)
2003年6月27日生まれ。宮城県出身。中国出身で卓球選手の両親の下、2歳から競技を始めた。全日本選手権では小学生以下の部で男子では史上初となる6連覇を達成。17年には世界選手権に出場し、史上最年少となる13歳でベスト8に進出した。18年の全日本選手権では、史上最年少の14歳で初優勝するなど、数々の史上最年少記録を更新。初出場となった21年東京2020オリンピックでは、卓球男子団体で銅メダル獲得。男子シングルスではベスト16。(株)木下グループ所属。
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