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2021.10.25 オリンピック

【東京2020オリンピックメダリストインタビュー】清水希容:日本武道館でのオリンピックという貴重な経験ができたことは自分の財産

 JOCが年1回発行している広報誌「OLYMPIAN」では、東京2020オリンピックでメダルを獲得した各アスリートにインタビューを実施しました。ここでは誌面に掲載しきれなかったアスリートの思いを詳しくお伝えします。

清水 希容(空手)
女子形 銀メダル

【東京2020オリンピックメダリストインタビュー】清水希容:日本武道館でのオリンピックという貴重な経験ができたことは自分の財産
空手女子形で銀メダルを獲得した清水希容選手(写真:アフロスポーツ)

■最後まで気持ちを切らさずに

――あらためまして、おめでとうございます。おめでとうございますと言われるのはあんまりうれしくないですか。

 やはりちょっと複雑ですね(笑)。

――メダルを獲得し、昨晩はどのくらい寝られましたか。

 2時間寝たか寝なかったか、というくらいです。なかなか寝つけなかったのもあります。

――悔しいとおっしゃっていましたが、それもあるのでしょうか。

 そうですね……。一人になって、またメダルの色を見て、たくさんの人からのメッセージを見ているうちに、悔しい気持ちが湧いてきました。金メダルではなかったことが何よりも悔しいなと。自分が目指すことができるオリンピックはこれが最後なので、やはり金メダルで終わりたかったなというのが率直な気持ちです。

――ご自身の演技も、サンドラ・サンチェス選手(スペイン)の演技もご覧になっていないとのことでしたが、私どもからすると本当に清水選手の演技が素晴らしくて。判定の難しさについては、空手の形という競技ならではともいえますよね。

 はい。今回はサンドラ選手に負けたという感覚は自分の中ではなくて、お互いがいいものを出し切れたのかなと思っています。ただ、自分自身、前半部分にもうちょっと思い切ってできたら良かったなという部分がありました。これまでのことを考えても、かなり自分としては気持ちを強く出した演武ができたのですが、やっぱりそこが少し心残りでした。そこさえできていたら、勝っても負けても自分の演武を全部出しきれたと言えたと思うのですが……。だからこそ、自分の感覚的には悔しいというか、自分に勝てなかったという思いが強いです。

――前半部分というのは具体的にどのあたりなのでしょうか。

 前半の入りの部分で緊張してうまく技が走らないことがあるのですが、そこは落ち着いてできたんです。どちらかというと呼吸の感覚が、ウォーミングアップの時から少し技が乗ってしまいすぎたところがありました。それが、オリンピックの決勝の舞台ということなのだとあらためて思いました。気持ちがすごく乗っている分、走ってしまったという感じでした。いつもよりも落ち着いて打てない部分があったというのは自分自身の課題であり、弱かった部分なのだと思います。ただそれでも、最後まで気持ちを切らすことなく演武できたのは良かったと思っています。

■画面を通して皆さんとつながる

――2年前に『OLYMPIAN』でお話を伺った際、最高の演武は、会場と一体になり創り上げていくイメージだと清水選手がおっしゃっていました。無観客であったことは清水選手にとっては残念だったのではないかと想像するのですが、いかがでしょうか。

 そうですね。自分が思っていたより清水希容の世界観は会場で創れたんじゃないかと思います。何よりも画面越しでたくさんの人たちが見てくれて応援してくれているという気持ちが大きかったので、自然と自分の中では皆さんとつながっている気がしていました。会場に観客の方々がいなかったのは残念な気持ちもありましたが、画面を通して、会場にいる人数よりかなり多くの人たちが見て応援してくださっていたと思います。そういう皆さんとつながることができたことが良かったと思います。

――テレビの前の人たちのほか、インターネットで見ていた人もいたと思いますが、そういう人たちとつながっている感覚があったのでしょうか。

 演武をしていて、自分のいい演武を見てほしいという思いと、テレビやインターネットの向こうにみんながいるという思いがあって、それが自分にとって支えになりましたし、最後の後押しをしてもらえたと思います。

――海外で開催される国際試合と、日本で開催した東京2020オリンピックの違いはありましたか。

 今回は相手や点数のことをあまり気にせずに、自分が今納得できる演武を意識して、初戦から決勝の気持ちで打ち、感謝しながら心を込めた演武ができました。一番良い色のメダルがとりたかった悔しさはありますが、武道の聖地・日本武道館でのオリンピックという貴重な経験ができたことは本当に自分の財産になりました。

――インタビューのなかでは、「本当にしんどかった」という言葉もありましたが、涙を流す姿も美しく、道を極めてきたすごみをひしひしと感じました。

 正直なところ、空手がオリンピック競技に採用されることが決まるまでは、自分自身、国際試合でも7年間負けませんでした。オリンピック競技への採用が決まってからは、世界のレベルも上がり、自分もついていくのに必死でした。世界の舞台に初めて立たせていただいた高校生の時から、日本の発祥の武道だからこそ負けられないという思いで日の丸を背負って演武してきました。オリンピックが近づくにつれて、その責任感や重圧はすごく大きくなってしんどく感じるようになりました。結果を残したいけど勝てなくなり、今まで勝てていた自分はどこにいってしまっただろうというように、自分を見失ってしまいました。「自分自身は何なんだろう」とか「自分の形は何なのかな」などと考えるようになり、形を打っていてもつらくて押しつぶされそうな気持ちで、いつも不安や怖さと常に隣り合わせで試合をしてきました。なかなか結果も出ず、不安な気持ちでこの数年を過ごしてきました。
昨日の舞台はそうしたものも全てひっくるめて、頑張ってきた自分に対するご褒美だと思って、演武することに感謝しながら気持ちを込めて打つことができました。それが一番自分にとっては良かったと思います。

――では、そのしんどかったことも日本武道館という聖地でオリンピックという舞台に立てて、報われたという面もあったのでしょうか。

 そうですね。今まで海外試合は多くても年間で3試合程度でしたが、オリンピックを前にして、月に2回試合が行われるようになり、ほとんど日本にいない状況で遠征しながら、世界中の選手がオリンピック代表の10人に入るために死に物狂いでやってきました。その舞台に立てたメンバーは他の人の気持ちも背負っているので、本当に特別な思いだったと思います。

――相手選手と戦うというよりも、清水選手がおっしゃるように日々自分との戦いをされているのですね。

 はい。ただ、ここ数年は相手との間で勝ち負けを考えすぎて、それこそ自分を見失って、自分らしい演武ができない感じでした。決勝はサンドラ選手ということもあって相手を気にする面がありましたが、今回は自分だけに集中してできたと思います。

【東京2020オリンピックメダリストインタビュー】清水希容:日本武道館でのオリンピックという貴重な経験ができたことは自分の財産
オリンピックの舞台に立ったことで「初心に戻れた」と清水選手は明かした(写真:アフロスポーツ)

■初心に戻れたオリンピックの舞台

――以前お話を伺った際には、朝起きてから体のケアに行く以外はほぼ空手一筋という日々を過ごしていらっしゃいました。かなりストイックで大変な印象を受けたのですが、オリンピックが1年延期になり、代表に入るための争いをしていくなかで、どのようにご自身を保っていたのでしょうか。

 私自身、試合が1年半ぶりぐらいでしたし、全日本選手権から半年以上空いて試合があったのですが、それまで大会続きで練習に打ち込めなかった分、1年延びたこともあってしっかり稽古ができると思っていました。ただ、これも続けていくのは大変で、体調を崩して、精神的にも滅入ってしまった時期もありました。
 オリンピックが近づいてくるにつれて、「やっと立てる」「もうちょっとで立てる」という思いで練習をしてこられたのですが、気持ちを切らさずに続けてこられたことは良かったです。

――アスリートに限らず、ギリギリのところで精神的に押しつぶされそうになってしまう経験をされている方は少なくないと思います。ただ、どのようなきっかけで、そこからうまく立ち直り、自分を切り替えられたのでしょうか。

 自分は全日本でも負けてしまって、本当にどん底まで落ちて、何もかもが失われたような喪失感でいっぱいなこともありました。でもそういう時にも、周りの人が応援してくれました。孤独を感じて、勝てているから応援してくれている人がいるのだと感じてしまっていた時期もありました。でも、全日本で負けた時も、声をかけてくれる方々がいました。負けた時に声をかけてくれる方は本当に私のことを思ってくれている人たちなんだとすごくうれしくて……。ここでつぶれている場合じゃないと思いました。オリンピックまで半年ちょっととなり、その舞台でいい演武をして恩返しをしたいなと思えるようになったことが、自分にとって本当に良かったと思います。去年の夏からは、無理に頑張ろうとせず、素直に自分の弱い部分は周りに頼るようにしていたら、だいぶ心が落ち着いてきて楽になりました。

――今までにはなかった自分を発見したり、何かご自身の中で得たりできたものはあるのでしょうか。

 オリンピックの舞台に立って一番思ったのは、自分はこういう大舞台が好きなんだなということ。心がそう言っている感じがしました。今までは大会に出るのが嫌で、「もう立ちたくない」「人前で演武したくない」というところまで追い込まれていたこともあったのですが、でもやっぱりこういう舞台が好きで、人にこうやって見てもらうことがすごくうれしいことだなと、初心に戻れました。そして、その状態が自分にとって一番強い状態の時なのだと思いましたし、世界大会でもそういう状態で臨めるようにしていきたいと思います。

――オリンピックの会場は、通常の国際大会などと異なるデザインとなっています。オリンピックの特別感などはありましたか。

 ここに来るまでにかなりイメージトレーニングをしてきたので、正直選手村に入ってからの方が、オリンピックに圧倒される感じはなかったです。大会に来る前にたくさんの日本人選手たちが優勝しているのを見て、すごいな、オリンピックだなという感じがしていたのですが、実際に会場に入ってからは自分のホーム、自分の母国、自分の大好きなこの舞台、日本武道館で演武できるということで、オリンピックに飲まれずに演武ができて良かったと思います。

――選手村の中に、空手以外の競技の選手がいるのもオリンピックの独特なところですよね。

 はい。普段テレビで見る選手が目の前にいるといった感じでした(笑)。棟にはメダリストの名前が書かれるようになっていたので、私もそこに名前を載せたいなとか、そうした良い刺激をもらえました。この経験をするとしないとでは、全然違うなと思いました。

――この舞台に立ち、メダルを獲得したことは、清水選手の未来に向けて財産になったのではないかと思います。また、清水選手のメッセージがこの先の空手界にとってもますます重要になると感じます。空手を始めたいと思っている子どもたちにメッセージをお願いします。

 子どもの頃、本当に空手が楽しかったです。どんなスポーツもそうだと思いますが、勝たないといけないという思いだけでずっとやっていると、気持ちが切れてしまうこともあると思うんです。まずは競技の魅力、その素晴らしさ、楽しさを味わってほしいです。楽しかった時期があったからこそ、私は今も競技を続けてこられていると思います。子どもの頃はとにかく体を動かすのが楽しいとか、空手のここが楽しいというその瞬間をいっぱい見つけてほしいと思います。

――ありがとうございます。あらためて、おめでとうございます。そしてこれからもますます頑張ってください。

 ありがとうございました。

(取材日:2021年8月6日)

■プロフィール
清水希容(しみず・きよう)
1993年12月7日生まれ。大阪府出身。小学3年の頃に空手を始める。高校3年の時にインターハイで優勝。関西大学に進学し、伝統ある空手部に入部。大学2年の時に出場した全日本選手権では史上最年少の20歳で優勝を果たす。以来2019年まで、同大会7連覇。14年、16年と世界選手権で金メダルを獲得。18年世界選手権では2位。21年東京2020オリンピックの空手女子形では、銀メダルを獲得した。三起商行(株)所属。

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