JOCが年1回発行している広報誌「OLYMPIAN」では、東京2020オリンピックでメダルを獲得した各アスリートにインタビューを実施しました。ここでは誌面に掲載しきれなかったアスリートの思いを詳しくお伝えします。
梶原 悠未(自転車/トラック)
女子オムニアム 銀メダル
■憧れの舞台でつかんだ念願のメダル
――あらためてオリンピックメダリストになって、うれしい反面大変なところもあると思いますが、いかがお感じでしょうか。
たくさんのメッセージをいただいたり、こうやってメディア対応させていただいたりして、徐々に実感が湧いてきています。
――レース直後は悔しさをにじませていましたが、これだけたくさん祝福されて、あらためていかがですか。
自転車競技、とくにオムニアムという種目をたくさんの方が初めて見てくださって「すごく面白かった」と言ってくれました。その影響力というのはオリンピックならではだと思いました。
――夢がかなったとか、あの人に会えたとか、普段テレビで見てきた人を直接見たとか、特別な体験はできましたか。
そうですね。まだこれからいっぱい会いたい人もいるのですが……(笑)。オリンピックが小学生の時に憧れた舞台で、その舞台に自分が立てたということだけでも、すごく感慨深かったです。そしてその舞台で、夢のメダリストになれたということも、大変うれしいことだと感じています。
――東京2020組織委員会の橋本聖子会長をリスペクトされていると伺いました。レジェンドともいえる彼女を超えるオリンピック銀メダルという結果を手にしました。どのように感じていますか。
そうですね。日本自転車史上女子初の銀メダル獲得という事実はすごくうれしいです。でもやっぱり金メダルをとって、この先もずっと日本の自転車の女子選手がオリンピックでメダルをとり続ける、そんな強豪スポーツにしたいという思いがあるので、まだまだスタートラインに立ったばかりだと思っています。
――先を見据えてということですね。今大会のレースを含めてですが、ご自身が大学院でいろいろと研究されていたと話題になっています。自分自身を解説者的な視点で見た時に、どこが良かったのか、どこを改善すると金メダルに近づいていくのかなど教えていただけますか。
まだレースを見返していないので、優勝した選手と自分のどこに差があったのかを分析できていません。ただ、ここまでの日々に悔いが残らないようにトレーニングを続けながら日々全力で過ごしてきたので、ここから先にやれることは本当に限られてきます。ですので、本当に細かな突き詰め方になってくるのかなとは感じています。また世界選手権で優勝してから、オリンピックで注目されながら勝つことをイメージしていたのですが、銀メダリストとして臨む次のオリンピックはそれ以上に大きなプレッシャーになってくると思うので、これからさらなる試練が待ち受けているのだろうと今からちょっと不安もあります。でも、それも楽しんで乗り越えていければいいなと思います。
日々の生活、トレーニング、マネジメント、マッサージ、メンタルケア、栄養面……。その全てをサポートしてくれてきた母に「アスリートになってほしい」「一緒に戦ってほしい」と私が頼んで、「分かった」と言ってもらってここまでやってきました。全力で一緒に戦ってくれた母に、銀メダルを持ち帰れて良かったと思います。
――金メダルではなかった悔しさもある反面、お母様のあの笑顔を見ると、やっぱり良かったという気持ちにはなるのではないですか。
はい、なりましたね。
――そのような言葉を聞くと、私たちもホッとするというか本当にうれしく思います。この種目は大会最終日に行われました。最後の最後ということになりましたが、他競技をご覧になりながら、どのような気分で待っていたのでしょうか。
本当に開幕からとても長くて、日本代表選手団の皆さんがたくさんのメダルをとっていく姿がすごく刺激になっていました。私も絶対にとりたいと思った日もありましたし、逆にそれがプレッシャーになりテレビをつけたくなくなる日もありました。いろいろな感情を乗り越えて当日を迎えた時は、メダルをとった選手たちが言っていた「笑顔で挑んだ」「楽しむ気持ちだった」というのをお手本にして、自分も笑顔で楽しもうと思って挑みました。
■日本の自転車競技をメジャースポーツに
――普段参加されるレースと、オリンピック、何か違いを感じる部分はありましたか。
自国開催でしたし、競技の舞台となった静岡の会場は有観客で開催されたこともあり、大勢のお客様がいて、たくさんの歓声と熱気があったので、その声援が力になりました。大きな舞台であることを意識すればするほど緊張してしまうのですが、やはり今までのレースとは本当に違い、自分の心の持ち方と戦い方が全然違ったと振り返ってみると感じます。
――それを乗り越えてメダルをしっかりと勝ちとったっていうことは、ご自身の経験値が増え、また一段階レベルが上がったように感じますか。
これができたというのは自信になりました。初めてのオリンピックでどうやって準備したらいいのか、ピーキングの仕方にも不安がありましたが、周りを信じて自分を信じてやるしかない。そもそも答えはないことを言い聞かせて準備していきました。
――具体的にオリンピックが特別だと感じたことは何かありましたか。
一番は、テレビをつけたら連日オリンピックが放送されているということです。それだけ日本中、世界中が注目しているイベントというのは、自転車競技単体ではありえないこと。全競技の力を借りて、この舞台でしっかり自転車の日本女子選手が世界で戦えることを証明したいという思いが強かったです。
――日本女子自転車界を全部背負って走るのは重荷になりすぎてしまいそうです。プレッシャーをどのように良いパフォーマンスへとポジティブに変換していったのでしょうか。
どの競技も最初からメジャースポーツだったわけではないと思いますし、最初から強かったわけではないと思います。最初にメダルをとった選手がいて、その道を切り拓いた選手がいるから今がある。柔道のオリンピアンである山口香さんの言葉ですごく印象に残っているのが「母校の偏差値が上がるような感覚」だというもの。自分が引退した後もその競技がずっとメダルをとり続けるというのはそういう感覚だという話を聞いた時に、それくらいうれしい気持ちなんだと実感しました。それ以来、日本の自転車競技をメジャースポーツにするのが自分の使命だと思うようになったんです。
――なるほど。山口香さんは母校・筑波大学の先輩ですね。彼女の言葉が支えになり、梶原選手は「パイオニアになる」という覚悟を決めたわけですね。
はい、そうです。自分にしかできないことだと思いましたし、自分がそれを成し遂げたいと思いました。
――そして、まさにそうなりましたね。有言実行、素晴らしいです。自転車競技に参加している国の人たちだけじゃなくて、本当に多様な競技の多様な人種の方々がオリンピックに参加しています。そんな人たちが一つになれる場。あらためてこのオリンピックというイベントに参加してみてどのように感じていますか。
はい、やはり今回はコロナ禍の中で1年延期もあって、より強くこの大会の意味を考えさせられたと思います。一番はたくさんの方に希望を届けられる走り、レース、パフォーマンスができたらいいなという思いでずっと取り組んできたので、そこをすごく意識して挑んだ大会でした。
―――1年延期になったっていうことに関してはご自身としてはどんな風に受け止めて過ごしていらっしゃいましたか。
1年間強くなる時間ができたと捉えて、前向きに取り組んできました。
――気持ちをコントロールするのは難しかったのではないでしょうか。
2020年3月24日の夜に延期が決まり、翌25日に大学の卒業式がありました。多くのメディア関係者が取材に来てくださったのですが、「1年間強くなる時間ができました」と最初に決めたコメントをしていたのですが、何度も何度も報告しているうちに自分自身の言葉になっていて、自分でも「ああ、そうだな」というように思えるようになっていました。本当に「言霊(ことだま)」だったと思います。
――皆さんが賛成ですという雰囲気ではないなかで開幕を迎えました。選手たちが活躍している姿を見ると「やって良かった」という人たちも増えたかもしれませんが、それぞれの皆さんに事情があり、スポーツに対して肩入れできない人もいると思います。どのように受け止めてきましたか。
開催の可否も直前までいろいろな意見があったと思いますが、専門家の方々が然るべき決定をしてくださると思っていました。私はアスリートとして、また、日本代表として出場するからにはしっかり未来を担う子どもたちも見ているなかで選ばれている人間として胸を張って精いっぱいのパフォーマンスができるように準備をすることだけ考えていました。
■世界の競技レベルを引き上げるために
――子どもたちも梶原選手の走りに勇気づけられたと思います。自転車のトラック競技は静岡での開催となり、東京が舞台ではありませんでした。しかしその分、観客を入れて開催することができました。そのことはどのように受け止めていらっしゃいましたか。
最初は東京の選手村に入りたかったとすごく思いました(笑)。東京でたくさんの皆さんに見てもらいたいと思っていたのですが、最終的に静岡だったからこそ有観客になったので、「あ、静岡で、伊豆で自転車競技が開催されるというのは私にとって必然だったのかな」と思えるようになりました。声援は自国開催ならではのことで有利になる点だと思いましたし、しっかり強みにしてレースで力を発揮したいと思いました。
――応援がプレッシャーになり、無観客だから逆に集中できたという選手もいました。応援はプレッシャーではなく、力になりましたか。
私にとってはすごく力になりましたね。会場入った途端に熱気が本当にすごくて、練習の時より気温が上がっていました。走っていて拍手が地響きのように鳴り響いていましたし、走っていてもすごくよく聞こえていたので、苦しい場面やきついところで背中を押してくれました。
また、母に会場で見てもらえたこともうれしかったです。母が見守ってくれているというのは本当に励みになりました。
――競技の話で、とくに3種目目のエリミネーションは、大学の卒論のテーマとして研究されたと聞きました。見ていてひやひやする場面もあったのですが、ご本人の中ではかなり計算されてレースを進められていたのでしょうか。
卒論は「エリミネーションレースの戦術技能における多数の評価基準」というテーマで研究をしました。エリミネーションレースにおける戦術技能テクニックを洗い出し、世界のトップ選手ができていることと、自分にできていないものをチェックできるようにすることで、最終的には自分で練習プランを立てられるように、自転車競技の教科書を作ることを目標にした研究でした。この研究を通してレース映像を1,000回以上見ました。そのことで、トップ選手たちが使っているテクニックを全部自分のなかに落とし込めたと思うので、レースをしていても、レースを客観的に見ることができるような感覚まで研ぎ澄ませられたと感じています。右も左も周り全体も見渡して冷静にレースを進められていたと思います。
――極めた感じがありますね。
当初エリミネーションは一番苦手な種目だったのですが、今は一番得意な種目になりました(笑)。
――教科書にするということですが、普通に考えるとそれを発表しない方が良いと感じますよね。
自分がトップアスリートであるうちに、頭の中にあるノウハウを言語化して未来の選手たちに伝えていくということも、日本の自転車競技が強豪国になるためには必要だと思っています。私が選手たちに伝えていくには、時間も人数も限られてしまいますが、コーチの方々全員が理解できて、同じように選手たちに当てはめてレース映像を一緒に分析・評価できれば、日本の選手たちだけでなく、世界の選手たち全てのレースレベルが引き上がっていくはずです。そうした相乗効果によって世界の競技レベルが高くなると思うので、そこを目指していきたいなと思って研究していました。
――みんなが追いついて来た頃には、自分がまた一歩先にいけばいいというわけですか。
また研究して裏の裏の裏を読んでいけばいいんです。新しい技術を他の選手たちが使ってきたら、またそれを研究し続ければいいわけですので、一生勉強だなと思ってやっています。
――大学院でその競技の研究をされることがこのように活かされていくのですね。自分の好きなものを突き詰めるというのは、ただ競技をやるだけではなくて、理論からしっかり分析していくということ。アスリートの鏡だと思います。
ありがとうございます。
――先ほども子どもたちの話をされていましたが、今回のオリンピックを機に、自転車競技に限らずいろいろなスポーツを楽しむ子どもたちが出てくると思います。自転車をはじめ、どのようにスポーツと向き合ってほしいか、ぜひメッセージをお願いします。
夢や目標を決めて宣言することによって、その目標に向けて頑張ろうという気持ちや覚悟が生まれます。自分のワクワクする夢を、大きな声でたくさん宣言してほしいです。そして、その夢に向かって楽しみながら頑張ってもらえたらうれしいですね。
――有言実行。そして楽しむということが大事なんですね。
はい。その競技を好きになってもらって、楽しんでやり続けてもらえたらうれしいです。
――それには、楽しむための環境を大人が作るということもすごく大事になりそうですね。
そうですね。ワクワクする目標があれば、楽しむこともできると思います。自分のなりたい姿をワクワクしながら想像することが大事だと思います。
――あらためまして、おめでとうございました。ますますの活躍をお祈りしています。
ありがとうございます。
(取材日:2021年8月9日)
■プロフィール
梶原 悠未(かじはら・ゆうみ)
1997年4月10日生まれ。埼玉県出身。高校に入学後、自転車競技部に入部。0歳から高校3年まで競泳に取り組み、全国大会で表彰台にも上る。しかし、一番になりたいという思いから自転車競技に没頭し、練習を始めて2カ月後にはインターハイの切符を手にする。筑波大学進学後、全日本選手権5連覇、アジア選手権4連覇を果たす。ワールドカップでは日本人史上初の4大会優勝。20年世界選手権では、日本人史上初の金メダリストとなった。21年東京2020オリンピックでは、自転車女子オムニアムで銀メダルを獲得。筑波大学大学院所属。
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