JOCが年1回発行している広報誌「OLYMPIAN」では、東京2020オリンピックでメダルを獲得した各アスリートにインタビューを実施しました。ここでは誌面に掲載しきれなかったアスリートの思いを詳しくお伝えします。
喜友名 諒(空手)
男子形 金メダル
■持っている力を全て出す
――今大会、追加競技として空手が加えられ、しかも沖縄発祥のスポーツで、沖縄からの金メダリスト第一号となりました。どのように感じていらっしゃいますか。
今回、沖縄県民として初めて金メダルをとれました。タイミングよく自分がたまたま一号になっただけなんですけれど、沖縄の歴史に名を刻めたことをうれしく思います。
――沖縄の皆さんもすごく喜んでいらっしゃると思うのですが、 SNSなどでやりとりされましたか。
本当にたくさんの方から連絡をいただいたのですが、まだ返し切れていない状況です。
――では早速、試合のお話を伺いたいと思いますが、決勝で選ばれた演武、「オーハン大」には、どのような思いが込められていたのでしょうか。
今まで先生や先輩方が受け継いでこられた形です。自分が今持っている力を全て出そうと思って決勝に挑みました。
――日本武道館という場で演武をして、どのような感想を持ちましたか。
これまで一緒にやってきた仲間たちや応援してくれた方々や家族、そういう皆さんに思いを込めて演武ができたという感じですね。
――演武されている時の頭の中は集中している状態だと思うのですが、実際にはどのようなことを考えて動いているのでしょうか。
無心ですね。今までやってきたことをその場で出すことだけ考えて、基本的には何も考えなくていいと思っています。今回は、ずっと一緒に稽古をしてきた仲間たちとやっているような雰囲気でできたかなと思います。
――銀メダルをとられた清水希容選手が、とくに空手の形は会場にいらっしゃる方にも自分の演武を感じてもらって一体化させることが目標の一つとおっしゃっていました。無観客開催となったことは、喜友名選手にとってどのような影響があったでしょうか。
自分の場合は、無観客だからといって自分の空手に影響することはありません。このような状況なので、直接演武を見てもらえないのは仕方のないことですし。画面越しでも皆さんが応援してくださっていることが伝わってきました。
――私も画面越しで見ていましたが、本当に感動しました。5年前、ご自身が現役としても本当に良い時期に東京で開催されるオリンピックで空手競技が採用されることが決まりました。その時、どのように感じましたか。
本当に良いタイミングでオリンピック種目になったと感じましたし、そこで目標がオリンピックになりました。
――着々と結果を積み上げていっているなかで、オリンピックが1年延期となりました。1年延期されたことについてはご自身の中でどう思われましたか。
プラスに捉えれば、1年あればもちろん去年よりもレベルアップできると思います。でも、多くの皆さんが本当に苦しい状況の中でこの1年を過ごしてきたと思うので、そういう面では1年たって自分がこの舞台に立てたことに感謝したいです。
――実際にオリンピックという舞台に上がりました。日本武道館がオリンピック一色に染まっていたと思いますが、それによって緊張したり、プレッシャーに感じたり、あるいは気合が入ったりすることはありましたか。
初日、会場に入った時は、ついにオリンピックの舞台にやって来たという実感が湧きました。ですが、とくに気負うこともなく、初戦でも思い切り演武ができましたので、気持ちが良かったです。
■空手を再びオリンピック競技に
――女子の形では、清水希容選手が銀メダルをとりましたが、試合はご覧になっていましたか。
はい、見ていました。
――決勝の試合はどちらが素晴らしかったのか、甲乙つけがたい印象でした。空手の形は、素人目から見ると、点数のつけ方が非常に難しい印象があります。喜友名選手はどのように感じながら競技と向き合っているのでしょうか。
清水選手の形は予選から調子良かったので、そのまま優勝するかなと感じていました。決勝は画面越しでしか見ていませんが、清水選手の足腰の安定感だったり、華やかさだったりが表現できていたので優勝したと思いました。
――喜友名選手から見ても、清水選手が勝ったかなと思ったんですね。
はい、サンドラ・サンチェス選手(スペイン)も、粘りがありました。空手をずっと勉強してきていることが見えたので、その点で審判ももしかしたら、サンチェス選手の方が良く見えたのかもしれませんね。本当にわずかな差だと思います。
――喜友名選手の決勝も、スペインのダミアン・キンテロ選手が相手でした。清水選手同様、喜友名選手も先入観を持たないように相手の演武はあまり見ていなかったのでしょうか。
先入観ももちろんですし、自分の動きができないといけないので、体を冷やさないようにずっと動いていました。
――なるほど。まずは自分のパフォーマンスをしっかり出すことに対して集中するということですね。
はい、それしかないんで。
――喜友名選手が空手評論家として自分を客観的に見た時に、どんなところが強みで、良い選手だと評価しますか。
力強さというところは強みだと思います。筋力だけじゃなくて、全身を使って技の一点に打ち込むというところですかね。
――力強さも重要ですが、あれだけのスピード感を出すためには筋力だけでもいけないということなんですね。
はい。スピードがないとパワーも出ないですから、そこも意識して技を出しています。どうやって体を使ったらスピードが出るか、力が出るか、最後に集中できるかとか、そういうところを研究しながらやっています。
――空手に「形」という競技があることを、今回のオリンピックで初めて知った方も多いと思います。私自身、2年前に清水選手にお話を伺う機会があり、その時に形を目の前で見せていただいたのですが、グッと引き込まれる感覚がありました。東京2020オリンピックという舞台は、空手という競技を多くの方に見てもらい、知ってもらえる良い機会だと思いますが、そのことに関して喜友名選手はどのように感じていますか。
沖縄の伝統である空手が世界に広がり、それがオリンピック競技にもなって、人気にもつながり世界中の空手人口が増える……。沖縄にも日本にも世界にも伝わり、東京オリンピックを通して、空手の伝統が長く受け継がれていくとうれしく思います。
――東京2020オリンピックでは空手競技が採用されましたが、3年後のパリオリンピックでは採用されないことになりました。今大会で結果を残すことに、大きな意味を感じていらっしゃったのではないでしょうか。
いや、そこまで考えていないです。まずは東京2020オリンピック。この東京2020オリンピックで選手全員が自分たちの空手を見せることができたら、次にも絶対につながっていくと思います。良い選手ばかりですので、今回しっかりアピールして、また空手がオリンピック競技として採用されることを願っています。
■平和の祭典・オリンピック
――今大会、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、大会自体、実現するのか、開催できるのかという意見も多くあったと思います。そういう中で、実際に開催されていろいろな選手が感謝の気持ちを述べていました。喜友名選手は、あらためて今大会の開催についてどのように感じていらっしゃいましたか。
賛否両論があるのは当たり前のことです。でも本当にたくさんの方々がこのオリンピックのために時間を割いてくださり、そこで自分は選手として舞台に立てたことに感謝しています。選手村を歩いていても本当にたくさんのボランティアの方々がいて、目に見えるだけでこんなにたくさんいるわけですから、裏で働いている人たちはもっとたくさんいるだろうと感じました。本当に全ての人に感謝したいです。
――普通のオリンピックではなかったからこそ歴史に残る大会だったと思いますが、喜友名選手にとっても貴重な経験になったということでしょうか。
初めて空手がオリンピック競技になり、いつもと違うオリンピック。本当に誰も忘れられないオリンピックになったと思います。
――オリンピックの選手村を歩いていて、空手の大会だと普段会わないような競技の選手に出会うことがあると思うんですが、印象に残った出来事はありましたか。
昨日、イタリアの選手で、陸上競技の金メダリストに会いました。
――何かコミュニケーションをとられたんですか。
競技も時間帯がかぶってなかったので彼のことは全然知らなくて。自分が食事していたら、同じ空手の組手で優勝したイタリアの選手と、イタリアのコーチが座り、そこでちょっとお喋りをしたんです。そこへ、他のイタリア人選手が来たのですが、その組手の選手が自分のことをゴールドメダリストと紹介してくれて、グータッチをしました。自分が「何の選手?」と聞いたら「400mリレー」と言って。「試合はどうだった?」って聞いたら、今考えると「ファースト、ファースト」とずっと言っていたんですよね。てっきり、100mを速く走れたという意味で競技のことを話しているのかなと思っていたのですが、後で、ゴールドメダリストだったということに気がつきました。その後、リレーの動画は見ましたけど(笑)。
――(笑)。競技の垣根を越えて、そうしたコミュニケーションをとれることもオリンピックの魅力かもしれないですね。
オリンピックの意義というか、平和につなげるという意味でも、大変な状況のなかではありましたが、開催して良かったのではないかと思っています。
――見ている皆さんもきっと同じ気持ちで喜友名選手のことを祝福していると思います。本当にありがとうございます。
はい、ありがとうございます。
■プロフィール
喜友名 諒(きゆな・りょう)
1990年7月12日生まれ。沖縄県出身。5歳で空手を始める。全日本選手権では2012年から史上初の9連覇を達成。世界選手権では個人形で大会3連覇、団体形では大会2連覇している。21年東京2020オリンピックでは、新競技となった空手の男子形で金メダルを獲得。沖縄出身者として初の金メダリストとなった。劉衛流龍鳳会所属。
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