東京2020大会のフェンシング男子エペ団体で金メダルを獲得した山田優選手、見延和靖選手、加納虹輝選手、宇山賢選手が7月31日、記者会見に出席し、メダル獲得から一夜明けた心境を語りました。
■「フェンシング界に大きな一歩を踏み出すことができた」
――はじめに各選手より、メダルを獲得した感想を改めてお願いします。
山田選手 まだ全然フワフワした夢のような感じで、でも、メッセージが来るたびに実感がわいてきて、とても嬉しい気持ちでいっぱいです。
見延選手 前回のリオデジャネイロオリンピックは個人種目のみの出場ですごく寂しい思いをしましたが、そのときに「必ず次は団体戦で出場して、金メダルを絶対にとるんだ」とこの5年間、思い描き続けてきました。その夢がきのう叶って、にわかには信じがたい部分もありますが、この仲間を見ていると、本当にこのフェンシング界に大きな一歩を踏み出すことができたんだなと、少しずつ実感がわいてきているところです。
加納選手 きのうはなかなか実感がわかなかったんですけど、きょうの朝起きて、自分の手元に金メダルがあることを見て、かなり実感がわいてきました。本当に金メダルをとったんだなぁという気持ちで、非常に嬉しく思っています。
宇山選手 僕もきょう、少しずつ実感がわいてきたのですが、団体戦で結果が残せたこと、また、最初は交代選手ということで個人戦には出場できなかったのですが、フェンシングの試合をするピストという台の上に悔いを残さず全てを出し切った満足感を感じました。
■「サーシャコーチの指導があって獲得できた金メダル」
――エペはヨーロッパが本場と言われており、日本人選手が勝つことは体格的にも難しい中で金メダルを獲得できた勝因は? また、キャプテンの見延選手がきのうの試合で準備していた剣について教えてください。
見延選手 やはりエペは先に相手を突けば勝ちという種目ですので、体格差で有利不利が働いてしまいます。日本人、アジア人にはすごく不利な種目と言われていて、数年前までは日本人が最も勝てない種目がエペだと言われていました。でも、僕は絶対にそんなことないと思っていましたし、その中にも突破口があるはずだと思っていました。その突破口となったのは、やはりフットワーク力だと思っています。それは僕たちが築いたわけでもないですし、これまでの先輩方たちもそのように戦ってきて、その積み重ねてきた姿・歴史を見ていると、ポイントを取れている部分はフットワークを生かしたところでした。ですので、そこをさらに強化して、プラス、何と言ってもウクライナから来ていただいたサーシャ(オレクサンドル・ゴルバチュク)コーチの指導があって獲得できた金メダルだと思っています。
そして、試合用に準備していた剣ですけど、僕はその剣で過去に3度ワールドカップで優勝しているんです。剣と言っても、ブレード、ガード、持ち手の部分に分かれているので、そのバランスによって剣は同じものを2本と作れないんですが、その剣は今までで一番しっくり来ていました。たまに試合の前日に剣が自分に呼びかけてくるときがあって、持つとすごくフィーリングが合うというか、剣がものすごく使ってほしそうにしているなと伝わってくるときがあるんですが、今回のオリンピックでもその感じがありました。試合前日になると剣の方が調子を合わせてきて、実際の試合でもその剣を使いました。
山田選手 見延先輩が今、試合用の剣があると言っていましたが、フェンシング選手はみんな試合用の剣を持っていて、一番苦しいときはその剣を大事にしているんです。僕もアジア選手権や大事なところで使った剣があって、それをオリンピック用に1年、2年近くずっと温存していたんですが、温存し過ぎてかえってピッタリ来なくなってしまって(笑)、本番当日は練習用の剣で勝負して、それがうまくハマって良かったです。
加納選手 今回のオリンピックのエペに出場していた全選手の中で、僕は身長が1番目か2番目に低いんですが、そのことをメリットととらえて、身長が低いなりに勝負していこうと思っていました。それがうまく行って、今回の団体戦では金メダルを獲得できたのではないかなと思っています。
宇山選手 僕は加納選手とは対照的に身長が190cmくらいあるので、海外の選手と引けを取らない高さなのですが、それだけでは勝てない。ですので、まず一番に大切にしていることは、見延選手もおっしゃっていたように、フットワーク力。大きいだけで動けない選手はやはり安定して勝てません。その中でどのように勝ち筋を見つけるかというと、大きいからこそ動き続けるということを僕は大切にしています。
――加納選手、岩国工業高校でエペに導いてくれた本間邦彦監督とは金メダル獲得後にどのようなやり取りをされたでしょうか。
加納選手 僕はそれまでフルーレをやっていたんですが、エペを教えてくれたのは本間先生なので、本当に感謝しています。早く岩国に帰って、本間先生に金メダルをかけてあげたいという気持ちもありますし、まず応援してくれたことに感謝の言葉を述べたいなと思っています。
■「先輩方が積み重ねてきた歴史をうまく引き継げた」
――見延選手、日本フェンシング協会の前会長である太田雄貴さんは「見延選手がいたから今のエペがある」とおっしゃっていました。リオ大会後、どのようにチームの後輩を引っ張ってきたのでしょうか。また、次のパリオリンピックも挑戦するとおっしゃっていましたが、今後の目標を教えてください。
見延選手 恐れ多いですが、僕がいたからこのチームがあるわけではないですし、僕以前に西田祥吾さんや坂本圭右さんなど、たくさんの諸先輩方がいたので、その人たちのやり方や魂を引き継いだだけです。強いて言うなら、その教えだったり、積み重ねてきた歴史をうまく引き継げたのが、このチームが出来上がった要因かなと思っています。なので、僕が何かしたというよりも、これまでしっかりと積み重ねてきたものの上に僕たちなりの歴史を一歩ずつ積み重ねた結果かと思っています。
また、次回のパリオリンピックも目指すつもりでいます。当然、個人も団体も出たいですし、次は二冠したいですね。そう思っています。
――見延選手、金メダリストとして今後、故郷・福井県の選手たちに伝えたいこと、福井のために行いたいことはありますでしょうか。
見延選手 今回もですが、前回も福井県からはフェンシングのオリンピック選手が4人出ていますので、もっと地元の福井県がオリンピックの街として盛り上がってほしいと思います。そして、来月にはインターハイが福井県で開催されるので、僕もできれば会場に足を運びたいと思っていますし、もちろん、高校生のオリンピックであるインターハイで思う存分、これまでの努力の成果を出してほしいと思っています。そこに僕の金メダルを見てもらうことでさらに熱い気持ちになって、パフォーマンスを発揮できてもらえたらと思っています。
――見延選手以外の3選手、今回の金メダルの背景にあった見延選手の貢献を教えてください。
山田選手 普段のプライベートでもそうなんですが、チームをまとめるのはやっぱり見延先輩。どんなときでも引っ張ってくれたので、今回も見延先輩が後ろでしっかり支えてくれている安心感があるからこそ、全力で戦えたと思っています。
加納選手 僕がまだジュニアのときに、見延さんがワールドカップでメダルをとったり、リオデジャネイロオリンピックで入賞したりする姿を見て、僕もこうなりたい、超えたいと思っていました。また、見延さんは体を鍛えて結果を出していたので、体を鍛えないと世界では勝てないのかと思い、僕も筋力トレーニングを始めました。それで実際にワールドカップでメダルをとれたので、見延さんは日本のエペが世界で勝てる道を作ってくれた方だと思っています。
宇山選手 僕はこの中ですと、他の2人より見延さんといっしょに長くやってきて、エストニアのワールドカップではワンツーフィニッシュをしたりなど、見延選手に後れを取らないように、かつ団体戦も底上げできるように食らいついてきたつもりでした。今回も見延選手は常に声を出して、試合前のウォーミングアップでも「もっとやりたいんだったら、いつでも付き合うぞ」と言ってもらえましたし、剣を持って準備している姿があったからこそ、僕らも見延選手にベンチを任せて、試合に集中することができたと思います。
■「『エペジーーン』にはたくさんの思いが込められている」
――「エペジーーン」という言葉が日本中に広がりました。流行語大賞も狙えるのではないかと思いますが、その点についてはいかがでしょうか。
見延選手 今回の東京オリンピックを目指すにあたって、この「エペジーーン」を合言葉の一つとしました。この言葉にはたくさんの思いが込められていて、「ジーーン」と伸ばすことによって気持ちを込める部分と、僕たちのプレーを通して見てくださる方々に「ジーーン」と感動を届けるんだという2つの思いを込めて、この愛称をつけています。なので今後、小さな幸せだったり、小さな親切があったときに「あ、今、エペジーーンとしたなぁ」というような伝え方をしてもらえたら、みなさん「エペジーーン」の仲間入りです。
――宇山選手、改めて前日の4試合でご自身が一番しびれた試合を挙げるとしたら、どの試合になるでしょうか。また、母校の同志社大学に関して、前回の1964年東京オリンピックの田淵和彦先生(男子フルーレ団体4位入賞)、太田雄貴さん(2008年北京オリンピック・男子フルーレ個人銀メダル、2012年ロンドンオリンピック・男子フルーレ団体銀メダル)に続く存在になったかと思いますが、そのことについてどのように思っているでしょうか。
宇山選手 まず、きのうのキーになった試合、印象に残った試合はやはりアメリカ戦。1試合だけの出場だったので、そこでどう流れを作っていけるかということで気持ちを全開にしてピストに立ったのですが、それがうまく行って、次の加納選手も僕を点火台にして良い連鎖を起こしてくれました。それで、今日のチームは良い状態だなと思いました。
また、同志社大学については、まだ金メダリストが輩出されていなかったということをきのう聞きまして、第1号となったことにビックリしています。普段からサポートいただいていますし、昨晩には田淵先生からお電話をいただきまして「ようやったな。結果を出して良かったな」と強く声をかけていただきました。今はまだ関西にすぐに行くことは難しいかもしれませんが、落ち着いたらメダルを握りしめて凱旋して、皆さんに応援の感謝を伝えたいと思っています。
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