ロンドンオリンピックのボクシング男子ミドル75キロ級で金メダルを獲得した村田諒太選手と、同バンタム56キロ級で銅メダルを獲得した清水聡選手が12日、ロンドン市内オリンピックパークのメーンプレスセンターで会見を行い、メダル獲得後の心境を語りました。
――今の心境は?
村田選手 今回のロンドンオリンピックで目標としていた金メダルを獲得することができて、結果としてはすごく満足してます。それもJOC(日本オリンピック委員会)の方々を始め、日本アマチュアボクシング連盟、そして家族の支えがあってこそ取れたメダルだと確信しています。まだ少し昨日のダメージが残っていて脳がしっかり働いてくれないせいか、あまり上手に話せないのですが、今は本当に金メダルを取れた感謝の気持ちでいっぱいです。
金メダルを取れたことがゴールではなくて、これからの自分の人生で金メダルを傷つけないように、金メダルに負けないように人生を送ることが僕の役目だと思っているので、それを肝に銘じて日々精進していきたいと思います。
清水選手 僕は今回で2大会目の出場となりました。前回の北京オリンピックでは初戦敗退という苦い経験をしました。この4年間、それをリベンジしたい気持ちでいっぱいで、銅メダルを獲得することができました。目指していたメダルが取れてうれしいです。
今までたくさんの方々に支えられて、自分が今ここにあるんだなというのをしみじみ実感しています。本当にありがとうございます。このメダルを持って早く日本に帰って、応援してくださった方々へのお土産にしたいと思います。
――それぞれの最後の試合は、どんな思いで迎えましたか?
村田選手 決勝戦まで行ったということは僕が目標としていた金メダルまであと一歩というところですし、プレッシャーも正直ありましたが、自分のボクシングをすれば勝てると信じてやっていました。自分の実力を出し切って「どうやって勝てるか」ということだけを考えて、リングに向かいました。金メダル獲得を目標としてやってきたことなので、その目標が達成できたことを今はうれしく思っています。
清水選手 自分は8月10日の準決勝が最後の試合になったんですけども、(7月)28日の初戦から数々試合をしてきて、減量も苦しい中、コンディションを整えたり、食生活の制限をしたり、途中(2回戦では)判定が覆ったりとすごく厳しい戦いをしてきました。山あり谷ありでしたけど、(準決勝で)ホーム(英国)のルーク・キャンベル選手と対戦できて、全力を出し切っていい試合ができたので、ここまでやった自分を褒めてやりたいと思います。銅メダルには満足しています。
――最後の試合での調子は?
村田選手 最高の状況で臨めました。
清水選手 僕も試合をすることで調子が上がるタイプなので非常によかったです。
――清水選手が先に競技を先に行う日程でしたが、何か話はされましたか?
村田選手 僕たち本当にいい仲間で、プライベートでも仲がいいです。清水が流してくれた“いい空気”の中で、僕はその流れに乗ってボクシングができて本当にラッキーでした。ただ、清水くんは試合が終わったら必ず僕に「村田、俺は勝ったから明日、お前は負けろよと」言ってくれたんで(笑)。そういうことを言える仲でお互いを尊敬してますし、ある意味いいライバルだと思ってますし、彼には感謝してます。
清水選手 「負けろ」とは言いました(会場・笑)。逆に闘争心をかきたてて「勝ってこいよ」という意味で言ったのですが、そのまま勝ってきてくれたので、やっぱりあの一言が効いたんだと思うけど、どう?
村田選手 らしくて、力が抜けてよかったよ(笑)。
清水選手 これからも言っていきたいと思います。僕らは仲がよく、また負けたくないというライバル意識もあって、自分の試合が先だったのですがトントンと勝てて、村田にいいプレッシャーがかけられたんじゃないかなと思います。
また2人部屋でずっと生活して村田はおならをよくするので、それで空気がなごんで会話も弾みました(笑)。
――ボクシングはすごく厳しい競技ですが、2人で軽口を叩きあうところがいい結果を生んだと思いますか。
村田選手 試合前は部屋の空気が重くなったり、緊張感が漂ったりと、あまりいい空気が流れなかったりということがありますが、僕たちの部屋はそうではなくて、2人ともいつでも冗談を言い合える仲で、ポジティブないい空気の中で試合に臨めたことはラッキーなことですね。
清水選手 普通は減量してたら気を使ったりすることもあるのですが、同級生なので全然気も使わずにできる仲間でした。もしかしたら違う部屋だったらここまで来られなかったかもしれません。すごくいい空気が流れていると感じていました。
――村田選手に。決勝は2ラウンド以降相手の左ストレートに苦慮されたように見えましたがどのように対処を?
村田選手 昨日の試合は左ストレートに苦しみました。特に相手が初めはくっついて、2ラウンド以降はロングレンジと、ラウンドによって対策を変えてきて、すごく相手の幅の広さも感じましたし、逆に僕のボクシングの幅の狭さが出ました。そういう意味ではまだまだ僕も修正の余地があると感じました。
――今後のアマチュアボクシングについて教えてください。
村田選手 アマチュアボクシングを大学卒業して続けていける環境があるか、ないかということだと思うのですが、これはオリンピックというものがアマチュア競技において最も大きなイベント(オリンピック)でメダルを取ってこなかったから、そういったことになったわけであって、今回僕たち二人がメダル取ることによって、少なからず注目もしていただけると思います。
みなさんご存じかもしれませんが、現在の日本連盟はすごくアクティブに活動をして、プロとの交流であるとか、オリンピック前に試合が組めないという状況であれば、韓国に試合形式の遠征をしにいったりと、かなり柔軟なというか、改革がいい方向に走っていると思います。
その改革に乗ってこれからの成績を伸ばし続ければ、自衛隊(体育学校)だけではなくて、アマチュアボクシングに興味を持っていただける企業だとか、私のように大学だとかが出てくると思います。そういった面では今は進化途中ということで今後にご期待いただければと思います。
――村田選手に。奥さんとはどんなことを話されましたか?
村田選手 昨晩はゆっくり話す機会がなくて、妻も子供が待っていますので今日、先に帰りました。「これからしっかり家族孝行するから」と一言だけ言っておきました。家族ができて変わったことは、心・技・体でいうところの心がどんな競技でも重要な部分ですが、その心のサポートをしてくれます。僕はネガティブなところがあるのですが、妻は非常にポジティブなので、僕を導いてくれるいい支えになってくれています。このメダルは妻の支えがなければ取れなかったので感謝してます。
――お二人はプロに転向を考えていますか。今後の競技生活について教えてください。
清水選手 4年間、ロンドンオリンピックに向けてそこだけを見てやってきたので、まだ先の予定は考えていません。これからゆっくり休みながら考えたいと思います。
村田選手 ほぼ可能性としてはないと思います。アマチュアがプロの下にあるわけではなく、どっちが上か下かではないのですが、ただ(プロの)世界チャンピオンのベルトというのはすぐに価値が落ちて、何人も何人もチャンピオンがいるような世界です。そうではなくて、オリンピックのメダルという最もシビアで最も厳しく価値のあるものを追い続けた自分たちのことを誇りに思っていますし、その競技を投げ打ってまでプロに行こうという考えはないですし、僕の憧れているところではないので、まずないと思います。
――次のリオデジャネイロオリンピック、そして東京が立候補している2020年のオリンピックを目指しますか?
村田選手 4年後は、まだ(ロンドンが)終わったばかりで考えてない状況です。8年後の東京オリンピックとなると、正直、現役選手としては難しいとは思いますが、僕は東京で絶対やるべきだと思っていますので、このロンドンオリンピックでも地元の方々の活気あふれる姿を見ていたら、これは東京にも必要だと感じています。もし自分が現役生活が続けることや現役生活以外でも、それに少しでも役立つことがあれば僕は全力を尽くす所存です。
清水選手 東京でもしオリンピックをすることになれば、自分も出たいと思いますし、北京オリンピックでも33歳でタイの選手(ソムジット・ジョンジョーホー選手)が金メダルを取ったということがあったので、競技寿命延びてますし、十分可能なのではないかと思います。また少し休んで考えます。
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