JOCが年1回発行している広報誌「OLYMPIAN」では、東京2020オリンピックでメダルを獲得した各アスリートにインタビューを実施しました。ここでは誌面に掲載しきれなかったアスリートの思いを詳しくお伝えします。
水谷 隼(卓球)
混合ダブルス 金メダル
男子団体 銅メダル
伊藤 美誠(卓球)
混合ダブルス 金メダル
女子団体 銀メダル
女子シングルス 銅メダル
■絶体絶命だったドイツ戦
――卓球競技のなかでも最初が混合ダブルスの金メダルでした。感想をお聞かせください。
水谷 そうですね、7月24日に混合ダブルスの1回戦があって、26日決勝という、本当に息つく暇もないくらいあっという間の3日間でした。とくに25日朝に行われた準々決勝のドイツ戦では絶体絶命の場面まで追い詰められたので、そこから逆転はできたんですが、生きた心地がしなかったですね。最後は中国ペアにも逆転で勝つことができて、本当に信じられない気持ちでいっぱいでしたね。
伊藤 混合ダブルスが一番短い期間でしたが、本当に濃過ぎてあっという間でした。その後にシングルスと団体戦で中国の選手に負けてしまいました。切り替えが大事だと思っていて、優勝したことを忘れてしまうくらいしっかり切り替えようと思っていた分、中国の選手に勝ったという実感が逆にありません(笑)。でも、勝った瞬間は本当にうれしかったですし、どちらかというと「本当に優勝しちゃったよ」という感覚だったので、あらためて本当にすごいことをしたと思います。とにかく楽しかったですね。準々決勝はつらかったですが、決勝は楽しめました。
――ドイツ戦では、伊藤選手が勝って泣いているシーンがありましたが、あまり記憶にありませんよね。
伊藤 勝って泣く時は、挽回した時とか苦しかった時とかですかね。あとは、難しいと思っていたのに勝てた時はウルっときます。今回の混合ダブルスもそうですし、2018年の世界選手権の決勝で中国の劉詩ブン選手の時(セットカウント1-2で追い込まれながらも逆転勝利)もそうでした。挽回して勝てた時は、自分にとっていいペースに持っていけるんですよね。だからこそ今大会では優勝できたと思いますし、あの準々決勝の勝利がなかったら決勝にいけていないので良い試合ができたかなと思います。
■無観客でも声援を力に
――トータルで振り返っていただきたいと思うのですが、東京でオリンピックが開かれるということで勝手知ったる東京体育館がオリンピックシンボルに包まれる一方で、無観客という複雑さのある大会だったと思います。水谷選手は今大会で4度目のオリンピックとなりましたが、これまでと比較して、この東京2020オリンピックはどんな印象の大会でしたか。
水谷 今まで北京、ロンドン、リオデジャネイロとオリンピックに出場してきましたが、やはり海外だと日本の皆さんがオリンピックに対してどのような感情を持っているかということがあまり実感できません。ですが、今回は日本にいたので、連日連夜ニュースや卓球以外の競技を見ることですごく感化されて、モチベーションが高くなりました。無観客でしたが、テレビで応援しています、SNSで応援していますという声を聞くと、ファンの方がいつも身近にいてくださるんだなとすごく力になりました。
――他の競技も含めてテレビで見ていたんですか。
水谷 はい、部屋にいる時はずっとオリンピックを見ていました。
――そうなんですね。とくに刺激を受けたり印象に残っていたりする競技はありますか。
水谷 ソフトボールの優勝もそうですし、あとはフェンシングの優勝もそうですが、自分も準決勝や準々決勝では、常に緊張感があるように、ライバルとの戦いはすごく大変だというのが分かります。金メダルを手に入れたいとみんなが思っている。だからこそ、その緊張感が伝わってきて楽しかったです。
――全員メダルがほしいわけですもんね。
水谷 前半、混合ダブルスで戦っている時は、いろいろな競技の選手たちが金メダルをとることが多くて。金メダルという速報が入ってきたら自分たちもとれるのではないか、頑張ろうという気持ちになりました。柔道など他の競技の金メダルが増えましたから、その波に乗ろうと思っていました。
――そんななか、卓球で初めて金メダルという勢いをつける原動力にもなったと思います。伊藤選手は東京でのオリンピックということで、何かこれまでとの違いを感じたことはありましたか。
伊藤 そうですね。普段は観客がいる状態で試合をさせてもらうことがほとんどなので緊張感があります。シーンとしていることもあれば、海外だとサッカーの応援団みたいな方がいることもあるので、いろいろな緊張感があるんですが、今回はなぜかあまり緊張しませんでした。もちろん最初の入りは大事にいくというのはあったんですが、途中から慣れてきてどんどん緊張しなくなって。むしろ楽しくなりました。オリンピックでこれだけ楽しめたら怖いものはないと思うくらい楽しかったです。
――卓球人生の中でも良い経験になりましたか。
伊藤 はい。この試合の前に、団体戦の模擬試合をしたのですが、そっちの方がすごく緊張感がありました。緊張感の準備ができていたというんですかね。 本当に応援なしだと思って準備していたんですよ。シーンとする中でもしっかり自分のプレーに集中できるかという準備をしていたので、試合の時は全く緊張しませんでした。本当に良い経験でしたし、やっておいて良かったと思いました。ただ実際には、スタッフさん、リザーブメンバー、練習相手の方などが声を出してくれたので、お客さんもいる感覚で試合できましたし、それがすごく励ましにもなりました。
――水谷選手は声援をどのように感じましたか。
水谷 そうですね。やはり決して一人じゃないというか、僕らだけじゃないんだというのはずっと感じていましたね。競技が終わればすぐスタッフさんとか周りのボランティアの方が「試合良かったよ」「おめでとう」と声をかけてくださいましたし、試合入る前もボランティアの方と話をして、「頑張ってきます」みたいな感じで送り出していただいたのですごく力になりました。有観客であれば、もっと想像がつかないくらい盛り上がったのかなっていうのはありますけど、それでもやはりテレビで映像として皆さんにプレーを伝えることができたのは良かったですね。
■年齢差を超越したチームワーク
――お二人のお話を伺っていると、卓球界が注目されるようになって人気が高まってきているけれど、あぐらをかいてはいけないと、いつも危機感を発信していらっしゃいます。この後、こんなふうにしたらいいのではないかとか、こういうふうにしていきたいとか、そのような思いはありますか。
水谷 僕としてはやはり、今回の東京オリンピックでメダルをとることが何よりも最優先事項だと思っていました。やはりここでメダルをとることによって、これから卓球人気はもっともっと出てくるでしょうし、競技人口が増えていくでしょう。それを見極めながら自分がやるべきことや、サポートできることなどがあればやっていきたいと思っています。
伊藤 卓球界は層が本当に厚くて、そもそも止まってほしくはないですけど、まだまだ止まらないというか、私にとってもずっと切磋琢磨していける選手がたくさんいます。私自身は卓球界のためにどうのこうのというよりは、自分のためにプレーして、成績を残すことに対して応援してくださる方がいて、結果的に卓球人気が出というようになればいいと思っています。水谷選手が背負って引っ張ってきてくれたから私たちが今いる場所がありますが、自然とそういう場を作っていければいいなと思います。私自身、まずは自分のためにやりたいなと思っていて、自分のために頑張れる選手は誰のためにでも頑張れると思います。でも誰かのために頑張っていると思うと、意外と何か一つを目標にできなくなってしまうこともあります。例えば私は今回、東京2020オリンピックのために頑張る、東京で金メダルをとるために目の前の試合に集中するということだけを考えていましたし、2024年のパリオリンピックについては一切考えていませんでした。そうやって一日一日頑張ってきてメダルがとれたので、いい準備ができたのだと思っています。
――水谷選手から見る伊藤選手の素晴らしいところ、見習いたいところなどはありますか。
水谷 やはりどんな時でも動じない強い心を持っているところですね。意外とこう見えて、僕は弱気になることや、ナーバスになることが多いんですよ。自分が思っていることでも、相手が反対のこと思っていそうだったら、全て相手の方を優先してしまうことが多くて。
――それは元々の性格なのでしょうか。
水谷 伊藤選手と真逆でナイーブな性格なんです(笑)。しかも、信頼できるので僕はやはり伊藤選手についていくのが一番ですね。
――考え方が違うからこそ、うまくいくということもありますよね。
伊藤 分かります。同じ気持ちというか、結構バチバチしちゃったりしますもんね。でもどちらかというと私はあまり引かないタイプなので、こうやって引いてくれるタイプの選手は、私にとってはうれしいです。水谷選手は引いてくれるけど、言うべきところはしっかり言ってくれるので、私はすごくやりやすかったです。
――混合ダブルスは、その種目専門というわけではないですから、練習時間の確保も大変そうですね。
水谷 確かに。そこまで練習したわけじゃないですね。伊藤選手はシングルスもありますし、僕も男子のダブルスの練習があったので、毎日練習しているわけじゃなくて、3日に1回、2時間とかそういう感じで練習をしていました。
伊藤 プロツアーの時よりも、長めにしました。でもそれが自分たちにとってはいい感じなんですかね。トータルで20回ぐらい練習しましたけど、1度もケンカしたりとかもめたりすることもなくて。お互いがお互いのいいところを尊重しながらやれたとは思いますし、年は離れていますけど、下から言える関係というのもすごく良かったと思います。上の人がガンガン言っているという逆のパターンですと、下の人はちょっと言いづらくなってしまいますし。ダブルスはとくにコミュニケーションが大事で、お互いのことも分かり合う必要があります。一方で、自分のことにも集中しなくてはいけないじゃないですか。自分がまず良いコースに、甘くないボールを打てれば、やっぱりペアの相手も思いきりプレーできます。相手のことを考えつつ、自分のことも考えるのがダブルスなので、ダブルスを組んでから視野が広くなったと思います。
――まだまだお話を聞いていたいのですが、残念ながらそろそろお時間ということですので、最後に一つ、今回の東京オリンピックを見て卓球への興味を持ってくれた子どもたちに、卓球やスポーツを楽しむためのメッセージをいただけますか。
水谷 卓球は、見るのもすごく楽しいんですけど、やるのはもっと楽しいと思うんですよね。さらにうまくなるともっと楽しくなるんですよね。ステップが上がるごとに楽しさが増してくるので、ぜひとも長く続けてほしいですね。僕は競技を27年やってきましたけど、今でもやはり卓球は楽しいと感じますし、強くなればなるほど本当に奥深さや楽しさがまた分かってくるのでぜひチャレンジしてほしいですね。
伊藤 もちろん最初から意外と楽しいです。でも、楽しさが変わってきます。できるようになれば、動けるようになれば、「動けるだけで幸せ」という感覚を味わえるようになります。試合中もそうですけど動けてなくて頭が働いていないと、どうしても笑顔になれないものです。でも、動けていると勝手にボールも入るんですよね。体が良い状態だと自然と良い卓球ができるというかんかくでしょうか。そういう状態になるまでぜひ続けてほしいと思います。
――ありがとうございます。多くの皆さんに、ぜひ卓球を長く続けていただけるように、私たちもお二人の言葉を発信していきたいと思いました。楽しい話、貴重な話を本当にありがとうございました。ますます頑張ってください。
水谷 ありがとうございます。
伊藤 どうもありがとうございます。
(取材日:2021年8月7日)
■プロフィール
水谷 隼(みずたに・じゅん)
1989年6月9日生まれ。静岡県出身。5歳で卓球を始める。小学1年の時に初出場した全日本選手権バンビの部で準優勝を果たす。オリンピックは、2008年北京大会、12年ロンドン大会に出場し、16年リオデジャネイロ大会では日本卓球界の個人種目で初となる男子シングルス銅メダル、男子団体では銀メダルを獲得。19年の全日本選手権の男子シングルスでは、自身が持つ最多優勝回数を10に伸ばした。21年東京2020オリンピック混合ダブルスで日本史上初の金メダルに加え、男子団体では銅メダルを獲得。木下グループ所属。
伊藤 美誠(いとう・みま)
2000年10月21日生まれ。静岡県出身。2歳から卓球を始める。15年、ドイツオープンのシングルスで優勝、世界最年少優勝記録を樹立。16年リオデジャネイロオリンピックでは女子団体で銅メダルを獲得。19年の全日本選手権大会は、女子シングルス、女子ダブルス、混合ダブルスで女子史上初の2年連続3冠を達成した。21年東京2020オリンピック卓球混合ダブルスでは日本史上初の金メダルを獲得し、女子シングルスでは日本女子初となる銅メダル、女子団体では銀メダルを手にした。スターツ所属。
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