JOCが年1回発行している広報誌「OLYMPIAN」では、東京2020オリンピックでメダルを獲得した各アスリートにインタビューを実施しました。ここでは誌面に掲載しきれなかったアスリートの思いを詳しくお伝えします。
田中 将大(野球・ソフトボール/野球)
金メダル
■自分自身に対するフラストレーション
――改めて、いろいろな方から祝福のメッセージも来ていると思いますが、反響はいかがですか。
金メダルをとることができて最高の結果になったので、すごくうれしく思います。
――正式競技としてオリンピック初の金メダルということになりました。多くの方々の思いを背負われていたと思いますし、金メダルをとった時にどのような感情が湧いてきましたか。
もちろん、これまでの歴史もありますし、自国開催の東京2020オリンピックということもあり、ここで最高の結果を出そうというチームとしての思いはよりいっそう強かったと思います。だからこの結果になって、みんなが本当に良かったと思っているというのはすごく感じました。
――今大会は、全勝で金メダルをとりました。これまでに優勝したWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)などでも、どこかで負けることがあったと思います。今回は接戦だった試合もありましたが、全て勝ち切りました。チームリーダーとしてどんなところが良かったと思いますか。
個人的な思いとしては、自分自身がマウンドの上で結果を残せなかったことに対して悔しい思いはありますし、それに対してのフラストレーションはすごくあるので、手放しで喜べない面は正直なところあります。でも、このチームの一員として戦ってきて金メダルをとることができたのは、もうそれは心の底からすごくうれしいことで、うそ偽りのない気持ちです。決勝はブルペンで待機していましたし、決勝以外はダグアウトで全部見ていましたが、チームの一体感をものすごく感じました。一番年上の僕が言うのも変なんですけど、年齢がどうこうではなく、若い選手も年上の選手も垣根がなかったという印象でした。自分のことはなかなか分からないですが、他の選手を見ていて感じたことです。接戦をものにできたのは自分たちがしっかりとやるべきことをやって、自分たちの野球に徹して、ミスをしなかったことがゲームを勝ち切ることができた要因の一つかなと思っています。
■ボランティアの力
――東京2020オリンピックが1年延期されたことで、日本のプロ野球に復帰された田中選手のメンバー入りが可能になりました。それは、国民全体とってもすごくうれしい出来事だったと思います。今回、いろいろな巡り合わせにより、侍ジャパンのメンバーに入られたことについてどのように感じていらっしゃいますか。
2020年にオリンピックが開催されていれば、自分が選出されるチャンスは全くありませんでした。こういう状況下でオリンピックが開催されて、さまざまな方々の手助けがあったなかで、無事に大会もやりきることができました。僕自身が、日本に戻るという決断をして、日本でプレーしていると、代表に入りオリンピックに出場するというチャンスが現実的に出てくるということは、自分でも意識していました。自分としては日本代表として戦いたい気持ちがあったので、何とか選ばれたいという思いは強かったです。
――実際に日本代表に選出されて、どんな思いでチームに参加しましたか。
もちろんうれしかったですし、やってやるぞという気持ちではありました。ただ、繰り返しになりますが、グラウンド上で思うような結果が出せなかったことがとにかく悔しいです。
――それでも田中選手に限らず、選手一人ひとりが腐ることなく、責任感を持ってプレーしていたということですかね。
やはりそれだけ自分の役割というものをよく理解しながら全員がプレーしていたと思うので、だからこそ、こういう結果になったと思います。
――北京オリンピックをはじめ、田中選手の経験をチームのみんなに伝えたいとおっしゃっていました。どのような話をされたのでしょうか。
いろいろ話はしましたが、北京オリンピックと比較して、何が特に大きく違ったかといえばやはり自国開催という点です。北京オリンピックの時は、球場に入れるスタッフの数が少なかったので、荷物を自分たちで運ぶなど、大変な部分が数多くありました。しかし、今回は東京2020オリンピックということで、ボランティアの方々が率先して手伝ってくださいました。これは日本開催だからこそだと思います。もちろん北京の方が親切ではなかったということではないのですが、言葉も通じますし、コミュニケーションがとりやすいので不便を感じなかったというのが大きかったです。
■お互いをたたえ合う場
――田中選手と同じように、他の競技の選手も、ボランティアの方々が周りにいるのは日本代表にとって追い風になるとおっしゃっていました。
ボランティアの方々は、試合後に拍手で迎えてくださったり、見送ってくださったりして、とてもうれしかったです。それをまた他の国の選手たちにも同じようにされていたとのことで、他の国の選手たちもありがたいなと思ったのではないでしょうか。ボランティアの方々の素晴らしさは、われわれ日本チームだけでなく、各国の選手たちに伝わっていると思います。
――試合後にアメリカのチームとハイタッチするシーンも見られました。お互いの健闘をたたえるところがオリンピックらしさに映りました。田中選手はどのように感じていらっしゃいましたか。
アスリートとして、スポーツマンとして、グラウンドで戦う時は相手よりも上回って勝つんだという気持ちが強いですが、終わればそれは全然関係ないことだと思います。ありがとう、お疲れさま、そうやってお互いをたたえ合う場ですから。
――最後に、プロ野球選手を目指してプレーしている子どもたちや保護者の皆さんに向けてメッセージをいただけますか。
オリンピックがテレビで放送されていたり、連日ニュースで取り上げられたので、スポーツをたくさん目にすることがあったと思います。子どもがもし興味を持ったら、親御さんたちにはぜひその可能性を閉ざさずにプレーさせてあげてほしいと思います。いろいろトライをすることで見えていなかった可能性が出てくるかもしれない。野球に限っていえば、リスクを下げるためなのでしょうが、好き勝手にボールやバットを使っていいという公園が減っていることはすごく残念に思っています。今回のオリンピックで、いろいろな競技が発展していってほしいと願っていますし、スポーツの素晴らしさが少しでも広がっていけばうれしく思います。
■プロフィール
田中 将大(たなか・まさひろ)
1988年11月1日生まれ。兵庫県出身。小学1年の時に野球を始める。駒澤大学附属苫小牧高校2年の時に全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)に出場し大会2連覇に貢献。翌年の夏の甲子園では、再試合となった決勝を含め6試合全てに登板して準優勝した。2006年東北楽天ゴールデンイーグルスにドラフト1位で入団。07年新人王、09年にはワールド・ベースボール・クラシックに日本代表として出場し世界一に貢献。13年には、24勝を挙げて球団初の日本一へと導く。翌年からメジャーリーグに挑戦し、ニューヨーク・ヤンキースで6年連続2ケタ勝利を記録。21年、古巣の東北楽天ゴールデンイーグルスに復帰。08年北京大会以来のオリンピック出場となった東京2020オリンピックで金メダルを獲得した。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。
関連リンク
CATEGORIES & TAGS