東京2020大会で金9個を含む計12個のメダルを獲得した柔道日本代表選手団が1日、記者会見に出席し、競技終了から一夜明けた心境を語りました。
■阿部一二三選手「兄妹で同日優勝、本当に良かった」
――メダル獲得、競技終了後の感想をお願いします。
大野将平選手 この東京オリンピックで目標としていた2連覇を達成することができて、達成感というよりは安心感のほうが強いです。井上康生監督の体制となった2013年から代表となり、9年間井上監督のもと、2回のオリンピック出場で2回とも金メダルをとれたことを誇りに思います。
阿部一二三選手 初のオリンピックの舞台が東京ということで、金メダルをとれたことはとてもうれしく思いますし、兄妹で同日優勝もできたので、本当に良かったなという気持ちです。
髙藤直寿選手 リオ大会(2016年)から5年間、ずっと悔しい気持ちを持ち続けていたので、金メダルをとれてホッとしていますし、やってきて良かったと改めて思っています。
渡名喜風南選手 日本(柔道チーム)全体の初日ということもあり、金メダルでなく銀メダルでしたが、良い流れでスタートできたかなと思います。
阿部詩選手 東京オリンピックという舞台で金メダルをとれたこと、すごく喜びを感じています。
芳田司選手 初めてのオリンピックに出場して、金メダルを目指していました。銅メダルを獲得して悔しい気持ちもありますが、正直ホッとしています。
原沢久喜選手 個人戦は悔しい結果に終わりましたが、このチームで皆と戦えて良かったです。ありがとうございました。
ウルフ・アロン選手 個人戦で目標としていた金メダルをとれて素直にうれしかったです。団体戦でもチーム一丸で戦えたことを誇りに思います。
向翔一郎選手 個人戦では思うような結果を出せず、団体戦でも一度負けてしまったのですが、このチームで戦えてすごく幸せだったし、楽しかったです。
永瀬貴規選手 ずっと東京オリンピックで優勝することを目標に掲げていたので、その目標が達成できて素直にうれしいです。
田代未来選手 個人戦では非常に残念な結果に終わりましたが、団体戦ではすばらしいチームの一員として、試合はできなかったのですが一緒に戦えたことを幸せに思います。
新井千鶴選手 コロナ禍の中で、東京オリンピックを開催するためにたくさんの方が準備していただいて、最高の舞台を用意してくださったことに感謝の気持ちでいっぱいです。個人・団体戦ともに結果を残すことができて、うれしく思います。
濵田尚里選手 東京オリンピックで金メダルをとることを目標にこれまでやってきたので、その目標を達成できてよかったです。
素根輝選手 オリンピックでの金メダルを目標に練習を頑張ってきたので、うれしいのとホッとした気持ちがあります。
■ウルフ選手「選手は臨機応変に対応するのが大事」
――柔道はルール改正も多い中、今大会は日本の柔道を世界にどう示せましたか? また、今後の日本の柔道は世界でどのような役割を果たすと思いますか?
大野選手 ルール変更はオリンピックのたびにされていて、大会ごとに審判の傾向も変わっていくのも一つ難しさがあるんじゃないかと思います。今大会に限っては、反則の指導が遅かった特徴のある大会でした。そういう中で、私自身も他の選手もそうですが、今大会は「我慢」という言葉が一番適切になるのではないかなと。我慢しきれた選手が金メダルを獲得、好成績を残したと感じています。
オリンピックという舞台に限定すれば、各国の選手で抱えているもの・背負っているものが全く違いますので、普段の国際大会とは違った温度感で戦ってくる、必死さが違ってくると感じたので、投げるのは容易ではないと感じました。今後、パリ大会まであと3年ありますが、私自身は今後のことは考えられないですけど、日本チームは若い金メダリストが数多くいますので、そういった選手に日本柔道を引っ張ってほしいと思います。
ウルフ選手 柔道はルール改正が多くて、その理由は選手よりも見る側を考えたものだと思いますが、選手としては臨機応変に対応するのが大事。ルールはこれからも変わっていくと思いますが、対応力のある選手がこれから勝っていくと思います。今後の僕の目標としては100kg級で世界選手権、オリンピックの金メダルをとれたので、階級変更も視野に入れながら少し検討します。
――濵田選手、金メダル獲得おめでとうございます。鹿児島南高校時代に練習した寝技が光ったと思います。母校ならびに鹿児島で柔道家を目指している子どもたちにメッセージをお願いします。
濵田選手 鹿児島に帰省するときには、柔道の楽しさなどを伝えられたらと思います。
――大野選手、原沢選手、大会後に退任される井上監督への思いがあればお願いします。
大野選手 昨日の男女混合団体戦で井上監督体制は最後ということで、負けて悔しい気持ち、そして井上監督体制が終わる寂しさ、自分自身の個人戦2連覇の安心感、複雑な気持ちが入り混じっています。私の柔道人生は井上監督とともにあったなと感じていますし、初めてオリンピックを見たのは井上監督が出場したシドニー大会(2000年)ですし、初めて代表になったのも井上監督となった2013年から。井上監督のもとリオ、東京で2大会連続でオリンピック優勝を達成できたこと、これが私の人生の一番の誇りになっています。
最後に監督を男にできなかった悔しさはありますが、それを笑顔で受け入れてくれる、「胸を張って表彰式へ行ってこい」と言ってくれる監督の優しさ・度量を改めて感じる機会になりました。次の体制になって、忘れ物は3年後しっかりと取りに行くべきだと感じています。
原沢選手 ロンドンオリンピック(2012年)が終わって、日本の柔道重量級が低迷する中「重量級の再建」という使命を井上監督に与えられて、それを今回全うできなかった悔いが残っています。ですが、井上監督のもとやってこれたこと、ここまで導いていただいたことに非常に感謝しています。また、自分の今後の人生にこの経験を生かしたいと思います。
■阿部詩選手「2連覇は簡単ではないが、日々努力したい」
――阿部一二三選手と詩選手、地元・兵庫の人達も喜んでおります。地元からの反響はいかがでしたか? びっくりするようなことはありましたか?
阿部一二三選手 すごくたくさんのコメント、メッセージをもらったりしましたし、神戸市からは「誉(ほまれ)」賞をいただくことが決まっています。すごく大きい賞だと聞かされているので、神戸という地元から兄妹で2つ金メダルをとれたのは良かったかなと思います。
阿部詩選手 あまりびっくりするようなことはなかったですが、たくさんのメッセージがあり、オリンピックはやはりすごいんだなと感じました。
――向選手、小学生時代に所属した新潟県新潟市の「鳳雛(ほうすう)塾」の皆さんも応援していました。ひと言メッセージをお願いします。
向選手 ありがとう! 思うような結果は出せなかったのですが、自分は富山県と新潟県と、地元が2つあると思っているので。人より2倍応援してくれるのが力になったし、皆の応援のおかげで個人戦がダメでも団体戦に切り替えられたのかなと思います。本当にありがとうございました。
――素根選手、阿部詩選手、頭の中にはパリ大会も既にあると思います。これからの柔道界を引っ張る者として、パリに向けての思いをお願いします。また、今の段階で、これからやりたい取り組みのテーマもあればお願いします。
素根選手 まずはパリ大会にむけて、目の前の戦いを一つ一つを大事に戦っていきたいと思います。自分には足りないところだらけで、技の面だったり組手の面だったり、パワー、スタミナも足りない。すべての面で強くなれるように努力したいです。
阿部詩選手 3年後のパリオリンピックにむけて、もうスタートしていると思うので、2連覇にむけて簡単ではないのですが、日々努力したいです。足りない部分はフィジカルの面と技術の面が未熟だなと感じたので、そういう部分を課題だと思って練習したいと思います。
――大野選手、(拠点のある)関西に帰って何がしたいですか? そして、「オリンピックは4年周期だから特別だ」と常々話されていました。1年延期が決まった際には「野村忠宏選手が29歳で3連覇した、同じ年齢の自分も言い訳はできない」、「パリは“もう3年”と思うかもしれない」とも語っていました。いま終わってどうですか?
大野選手 関西に帰ったら特に何もないですが、早く自宅に帰って休みたいと思っています。いま素根ちゃんと詩ちゃんが力強い3年後にむけてのコメントを発していましたが、もう次のことを考えられるのはさすがだと思いました。私自身は次を考えると32歳になりますし、3年後を考えられる歳でもないので、1日1日、1年1年。実際体もボロボロですし、じっくり自分と相談して考えたいと思います。
――髙藤選手、前回からの5年間を改めて振り返って、今大会はどのようなものでしたか? また、(出身地である)栃木の子どもたちにメッセージをお願いします。
髙藤選手 この5年間やってきて努力が報われた大会でしたし、きついこと・辛いことを望んでやった5年間なので、努力してよかったなと思える大会でした。地元で柔道や他のスポーツに励んでいる子どもたちには、何事もあきらめずにやり続けていれば、すぐには結果が出ないかもしれないけれど、いつかその努力が報われて結果が出る。何事にもあきらめずに取り組んでほしいと思います。
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