東京2020大会のソフトボールで金メダルを獲得した日本代表選手団の選手・首脳陣・スタッフが28日、記者会見に出席し、メダル獲得から一夜明けた心境を語りました。
■宇津木監督「最高の人生を送りました」
――メダルを獲得し、一夜明けての感想をお願いします。
宇津木麗華監督 応援ありがとうございました。やっと朝になって実感しました。無事に金メダルを獲得できて良かったと思います。私自身5年前から全日本の監督を任せていただき、この5年間の準備を今思うと選手・スタッフ・ソフトボール界の皆さんがしっかり努力してきた結果だと思います。また、私自身もこの素晴らしい選手のもとで指導者ができて、感謝しかないです。「最高の人生を送りました」という気分。選手の皆さんに感謝の気持ちがいっぱいです。ありがとうございました。
山田恵里選手 本当にたくさんの方々に応援していただき、支えられて、金メダルをとることができました。この東京オリンピックは恩返しのオリンピックにしたいという思いがすごく強かったので、金メダルという形で恩返しすることができて良かったです。ソフトボール競技は次のオリンピック種目からまた外れてしまいますが、2028年に復活できるように今回で終わらせることなく、ソフトボールをもっともっと盛り上げたいです。
上野由岐子選手 ここにいる選手、スタッフ、皆で力を合わせた結果が金メダルという形で終われたことをうれしく思います。一夜明けて、本当に金メダルをとったという実感でいっぱいです。
――清原選手、表彰式で上野選手からメダルをかけられました。その時の心境と、ご自身にとって今大会はどのような大会でしたか?
清原奈侑選手 上野さんからメダルをかけてもらえて、私自身上野さんという大投手からメダルをかけていただいて、うれしかったです。今大会は出場機会が少なかったですが、チームのためにブルペンで投手をどう盛り上げるか、マウンドにつないでいくのが仕事だと思ってやっていたので、その結果が金メダルにつながったのが良かったと思います。
――選手の皆さん、東京2020大会は一言でいうとどんな大会でしたか? またその理由をお聞かせください。
上野選手 私達は開幕が福島県だったので、復興五輪としていろんな思いを背負って開幕し、また全競技のなかで最初にスタートして大きな注目を浴びることができて、いろんな思いの中でスタートしたオリンピックでした。その中でこの13年間の思いを一球一球にしっかり込めて、福島の地にも思いを置いていくことができたと思いましたし、今回の横浜スタジアムでも最後の最後までしっかり一球に思いを込めて投げることができたオリンピックだったと思います。
後藤希友選手 今回初めてオリンピックを経験させていただきましたが、私自身すばらしい経験をたくさんの試合でさせていただいて、一球一球全力で投げましたが、楽しかったという思いが強かったです。
山田選手 今回のオリンピックは自国開催で、前回の北京大会では金メダルをとっていたので、次も金メダルを取るだろうという中での大会だったので、すごく重みのある大会でした。オリンピックを迎えるまでに苦しい、つらい思いのほうが多かったですが、乗り越えたからこそ結果が出たし、大きなプレッシャーがあったからこそ、達成感もある大会になったと思います。こういう状況の中でオリンピックを開催していただいて、ソフトボール競技を通じて応援している方々の希望の光になる思いでやっていたのですが、少しでもその力になれたのではないかなと思います。
――上野選手、北京大会後は「たかが金メダル」といい意味で話していました。今回の金メダルはどうですか? そして今後の進退は?
上野選手 今回はすごく達成感のある金メダルです。もちろん尊敬しているミッシェル・スミス投手(アメリカで41歳までプレーした投手)のように長くピッチャーとして、選手として投げ続けていきたいという思いはありますが、今後についてははっきりと考えていません。
■山田選手「見ている方々の希望の光に」
――藤田選手、内藤選手に質問です。母校の佐賀女子高校ソフトボール部が本日、高校総体の初戦を迎えます。後輩たちや佐賀県民の皆さんにメッセージをお願いします。
藤田倭選手 たくさんの応援をありがとうございました。私達の姿を見て少しでも何かを感じ取ってくれて、プレーにつなげていただけたらうれしいと思います。
内藤実穂選手 たくさんの応援ありがとうございました。これを見て皆さんが笑顔になってくれたら私もうれしいです。3月の選抜大会では全国制覇しているので、夏の総体も優勝してくれるのを期待します。
――渥美選手、山崎選手に質問です。昨日のプレーと大会全体の振り返りをお願いします。
渥美万奈選手 たくさんの応援ありがとうございました。昨日はただ勝ちたい気持ちが強くて、チーム一丸となって試合ができたと思います。今大会を振り返って、厳しい試合が多かったですが、その中でも楽しさを忘れずにプレーできたのが良かったです。
山崎早紀選手 たくさんのご声援ありがとうございました。必ずいい結果を出すことを目標に精いっぱい頑張りました。私は予選の時にノーヒットでチームに貢献できず、なかなか気持ち的に辛い部分もありましたが、最後にいい結果が出てよかったと思います。
――宇津木監督と山田選手、復興五輪ということで大会序盤は福島開催となりました。それについての感想と、開催の意味をどのように感じましたか?
宇津木監督 5年前にソフトボール競技が東京2020大会に入るところからスタートして、先ほど上野選手も言いましたが、ソフトボールが第一陣としてどの競技よりも先にやるのが、必ず勝って日本のいいスタートをきれるようにと。我々ソフトボール界にとって、福島の皆さんにいつもいろんな意味で面倒を見ていただいて、合宿に協力していただいて、昔からの付き合いがある。福島の力になると。我々はソフトボールでしか表現できないので、なんとか表現してもっともっと福島の皆さんに元気になってもらって、ポジティブに明日を見て頑張っていきましょうと、やってきてよかったと思います。そして福島で勝てて本当に安心しました。ありがとうございます。
山田選手 先ほども言いましたが、今回のオリンピックは見ている方々の希望の光になりたいという思いでやっていたので、どれだけその力になれたかはわからないですが、少しは貢献できたかなと思います。
――宇津木監督、予選では後藤選手が締めることが多かったですが、最後は上野選手が締めました。戦術面などいろいろな理由があると思いますが、当時の心境や経緯をお聞かせください。
宇津木監督 今回私自身、指導者になったときは(オリンピック)2連覇と目標をいただいて、3人の投手を選考して、まさか正直言うと後藤選手がここまで活躍するとは思っていなかったです。最初から彼女の精神力がものすごく強いので、何とかしてくれるのではないかとそれに賭けてしまいました。本当に良かったと思います。
最後は山路(典子)コーチと(捕手の)峰(幸代)選手と話した中で、後藤選手は練習のときから真ん中にボールが集まっていたと。清原選手からもいつも通りではないとのことでした。その情報をいただいて、今まで上野選手の最終的な精神力は誰よりも強いので、そこを山路コーチに確認してきて、最終的に上野選手で締めていこうと決めました。(上野選手から)「大丈夫です」と言われたときに迷いなく勝ちパターン、そして確実に勝つというパターンでいきました。なぜ後藤選手を替えたかというと、6回のサードライナーのときに、後藤投手のボールにアメリカが慣れていると感じたので、迷わず替えました。
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