長野1998
注目選手インタビュー 長野への道
このコーナーでは長野オリンピック候補選手のインタビューを随時掲載していきます。
- NAGANOへのチャレンジャー(2)
- アルペンスキー・スラローム
荻原 健司
(北野建設)
僕が取っていないタイトルはオリンピック個人の金メダルだけなんです
長野県白馬のジャンプ台。風が微妙に変わる悪条件の中で、荻原健司は合宿に来ている大学のジャンプ選手に混じって練習をしていた。全日本のフィンランド合宿を控え、弟の次晴と二人で行っていた会社の合宿である。
「ガラガラガ」と、チャイナレール特有の大きな音。空中に飛び出して、ランディングバーンに落ちていくフォームは、他の選手と一線を画すような案定感がある。
確かに不振にあえいだ昨シーズンのジャンプとは違ってきていた。全盛時のように、スムーズに前方へ飛び出すような傾向になっている。だが、踏み切る最後の瞬間に、わずかだが昨シーズンのジャンプに感じられていた、上方向にインパクトを与えようとする意識の名残のようなものが見える気がした。
「ノーマルヒルを飛んだのが、昨日と、だいぶ前の4日間くらいだから、まだ飛び込んでいないんです。練習のビデオを見ても、上体がやや上がり気味の場合もあったけど、今日は風があって自分の気持ちに素直に飛べないという状況もありましたね。まだノーマルヒルのスピードに慣れていない面もありますが、条件が良くなれば、まだまだいいジャンプができると思います」
荻原は、この日7本のジャンプを飛んだ。本人は踏み切りのタイミングが少し早かったことを気にしていたが、全体的には飛距離もまずまずの安定したジャンプを見せていた。
空回りしていた得意のジャンプ
1992年のアルベールビル・オリンピック団体で金メダルを獲得。この大会を契機に、世界の複合選手の中でもいち早くV字ジャンプを自分のものにした荻原は、翌93年のシーズンからW杯総合3連覇という偉業を成し遂げる。ジャンプで大きくリードし、後半の距離で逃げ切る。それが彼のみならず、日本選手の勝ちパターンでもあった。しかし、日本複合陣の黄金時代を築いた阿部雅司(東京美装)と河野孝典(野沢温泉スキークラブ)の二人が引退した翌95〜96年のシーズンになると、様子が変わってきた。
シーズンイン直前の11月に合宿地であるフィンランドで、クロスカントリーの練習中に転倒して左手の親指を骨折。焦りを感じながら始まったW杯では、外国選手たちがV字ジャンプをうまくこなせるようになったこともあって、前半のジャンプで大量リードを奪うことができなくなってきた。
「これまでのようにジャンプでリードして、一人でクロスカントリーを走るのではなく、4〜5番手でスタートしての混線ばかりじゃないですか。そんな中で自分の勝負強さとか、駆け引きを経験したし、クロスカントリーの面白さを知ることができたと思う」
これまで感じることのなかった、複合本来の競り合いを経験できたのが収穫だと、当時の荻原は語っていた。だがジャンプに関しては、練習でいいジャンプができるものの、それが試合ではなかなかできないというジレンマも感じていたのだ。
W杯個人総合4連覇を逃し、2位でシーズンを終えた96年の夏、荻原は自分のジャンプを改良しようとしていた。ちょうどそのとき、それまでの不調から抜け出し、全シーズンのW杯でも優勝をしていた純ジャンプの原田雅彦(雪印乳業)が、段違いのジャンプを見せていた。
世界の主流ともいえる、空気抵抗を受けない低い飛び出しを無視し、上体が高くても、原田の持ち味である脚力を生かし、ジャンプ台にジャンプ台に強いインパクトを与えて飛び出すジャンプ-純ジャンプの選手たちに与えた"原田ショック"は、荻原にも影響を与えた。
クロスカントリーでも戦える自信を持ちつつあった荻原は、もうワンランク上のジャンプを完成させれば世界でも楽に戦えると考えた。踏み切りのカンテでインパクトを与えるジャンプの習得を目標にしていたのだった。
しかし、夏の間は手ごたえをつかんでいたものの、シーズンに入ると全く違う結果しか出なかった。ジャンプで稼ぐどころか、1本目のジャンプが参加選手中最下位になってしまう大会さえあったのだ。
「ジャンプは、いつでも1mでも、50cmでもというところで試行錯誤しているけど、その中で去年はスペシャルジャンパー並に、もっと飛べなきゃ、と彼らのジャンプを研究してやったんです。でも、自分にできないことをやり始めちゃったので、空回りしてたのかなと思いますね」
ひざ下の角度を意識したが、角度を入れるようにしてるうち、後方に体重がかかったり、頭が下がったりとフォームが狂ってきた。角度の限界に近いほど屈折が深くなり、立ち上がるときにひざが戻ってしまうような踏み切りになっていた。夏の間のチャイナレールでは、ある程度悪くても滑れてしまう。そこを勘違いしていたと荻原は反省する。
「去年というより、一昨年にW杯で総合2位になったころから、自分本来の滑りやジャンプが失われてしまったという感じですね。
クラウチング姿勢は、日々1〜2cmの追及ですから、これでいいという滑りがあったとしても、そこからどうやって、より遠くに飛ぼうかと考える。結局、頭の位置がどうだとか、膝の角度をもう少し入れればなどと、本来の滑りをいじり過ぎていたんですね。それで去年なんか思いっきり崩れていました」
昨シーズンの荻原のw杯は、これまでの成績がうそだったような結果だった。前半のジャンプでトップに立つこともなく、順位も上がらない。しかし、シーズン終盤の世界選手権の個人戦では、会心とまではいかないものの、それなりにまとまったジャンプを見せ、後半のクロスカントリーで逆転して優勝を果たした。そして、W杯最終戦でも2位になり、このシーズンのW杯初の表彰台に上がって、不調のシーズンをおえたのだった。
クロカンのケンジを世界にアピールできた
午後の練習は白馬村の隣、小谷村に車で移動して行われた。数年前に、土砂崩れや土石流災害があった村だ。川沿いの国道を外れ、山道に入り少し走った場所がローラースキーのスタート地点。この先はほとんど急な上り坂が続く道路だという。少し先行して待っていると、荻原はすでに弟の次晴を引き離してやって来た。道路の横をくだる小さな川は、流れてきた土砂で埋り、無残にえぐられた山肌では、工事の車両が動いている。狭い道路にもかかわらず、上の方からは大きなダンプカーが下りてくる。急坂を一人であえぎながら上がり続ける荻原はスタートから約13kmの地点で午後の練習を終えた。
「クロスカントリーの方は、去年前半でジャンプが悪かった分、ゴチャゴチャした中で走ることが多かったし・・・・。特にクロスカントリーが強いエルデン兄弟(ノルウェー)と同じくらいのスタートで走ったときには、パワーの使い方のようなものを勉強しましたね。シーズン後半は、クロスカントリーの順番でもシングルが多かったけど、自分のなかではテクニックを意識して走っていました。
そうするようになってから、成績もシングルで安定するようになりましたね」
荻原は、日本選手の中では、もともとクロスカントリーの強さが認められていた選手だった。しかし、勝ち続けているころは後半のクロスカントリーのほとんどが独走で、競り合う場面など皆無に等しかった。ジャンプで大量リードを奪えなくなってから、荻原が本来持っていたクロスカントリーの走力が、再び出現してきたと言えるだろう。
「白馬のW杯が終わってから、世界選手権に臨む間のフィンランド合宿で、自分なりに走り方を変えるというか、ちょっと注意すべき点を集中してやれば、もっと効率よく走れないかと考えたんです。自分の意識の中だけなんですけど、ストックを突く方のスキーを前に出して、ストックを突かない方の脚はタメのステップと考えるようにしたんです。
それまでは右脚も左脚も同じ感覚でスキーに乗っていた。それではストックを突かない方のスキーは、ある意味では減速するのではないか。だから、その脚を簡単なステップにして、ストックのある方のスキーをより鋭角的に出して、腕の推進力でしっかり押し切る。これまで横方向に行っていた重心移動を、極端に前方に向ける滑りだった。
「そういう走りを意識するようになって、世界選手権の前にはパワーをロスすることのない、効率の良い走りができるようになったな、と思えてきたんです。テクニックがしっかりしてきた分、最後まで、余裕が持てるようになってきた特に世界選手権のときがそうでしたね。自分の力を最後まで、ここという時のために取っておけるような走りができました」
自分のイメージの中では、やはり前半のジャンプが一番で、2位以下に1分以上の差をつけて後半のクロスカントリーにつなげるのが勝ちパターンと描いている。しかし、走るほうのイメージができた今は、ジャンプでいいポジションにつけるという意味合いも、これまでとは変わってきている。クロスカントリーでも勝負する余地が出てきたのだ。
「去年、走る方で頑張った分、他の選手の中で、荻原健司に対する意識も変わってきたと思うんです。例えば、今までなら1分以内の差なら捕えられると考えていたのが、『最近ケンジは走るから30秒でも勝てないかもしれない』と思わせるような・・・・。
去年全体は悪い成績でしたが、その中でも『ケンジはクロスカントリーも強くなった』という意識を持たせることはできたと思います。『荻原健司にジャンプを飛ばれた日には勝ち目がないかな』という意識を他の選手に植え付けられたかもしれませんね」
僕が取ってないのはオリンピック個人の金メダルだけ
悪かった、としか言いようのない荻原の昨シーズン。終盤になって結果を出せず、ボロボロになってシーズンを終えていたら、今シーズンは何から始めてよいか分からなくなっていたかもしれない。しかし、クロスカントリーが良くなったという手応えをつかんでシーズンを終われたことで、これからやるべき課題を明確にしてトレーニングに入ることができた。
「結局、アルベールビルのころから少しずつジャンプが飛べるようになったのはアプローチの滑りにすごく重点をおいて取り組んだ結果だと思いますね。だから、今取り組んでいるのは、基本的なクラウチング姿勢の完成なんです。w杯で連勝していたころの滑りに戻す。
去年は試行錯誤して、とりあえずジャンプを飛ばなくては、という滑りになっていたけど、今は"自分のジャンプを"という意識になってきています。感覚も戻ってきているし、去年の今ごろに比べれば、だいぶいいですね」
今年は最初からノーマルヒルを飛ばず、K点65mの小さな台からしっかり飛び込んできた。大きな台になればなるほど、風に影響され、好条件なら飛べてしまう。それを避けるために風の影響が少ない、小さな台を飛ぶことで、アプローチの滑りの良しあしをしっかり確認しながら、基本的な動作を取り戻そうとしてきた。
「自分のなかでジャンプが飛べるか飛べないかは、感ぜんにクラウチング姿勢のポジションが決まるかしかないと思います。そこだけ注意してやれば、後はカンテで立ち上がるだけなんです。良かったころは、スタートしてポジションが決まったら、後は何も考えずに飛べていましたから」
3回目となるオリンピックに対しての意識も変化してきた。これまでは全体的な意識-まずW杯総合があり、その流れのなかにオリンピックや、世界選手権があった。しかし、今シーズンは長野オリンピックを目標にして、W杯をそこまでの調整期ととらえる意識になっている。
「自分が何のタイトルを取っていないかなと考えたら、取っていないのは、オリンピック個人の金メダルだけなんですね。だから、それを取るために、1年間集中してもいいかなと思っているんです」
悪かった昨シーズン、世界選手権だけには集中でき、この大会だけはという意気込みを持てた。その結果獲得した金メダルは、長野オリンピックに向けての自信になった。しっかりこの大会をと狙っていけば何とかなるという、大きな手応えを感じたからだ。
「今は焦りもないし、むしろ楽しみなんですよ。トレーニングも順調にいっているし、ジャンプもクロスカントリーも手応えがある。だから勝てるというわけじゃないけど、自分のなかで自信を持ってシーズンインできそうなんですね。本当にスキーだけに取り組める環境もありますし。
オリンピックを地元でやれるチャンスなんてそんなにはないでしょう。そのためには、自分が一生懸命楽しみながらやらなきゃ、もったいない気がしますよ」
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