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アスリートメッセージ

水泳・競泳 入江陵介

重圧はあっても、期待を背負って結果を残したい

文:松原孝臣

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2007年12月のドーハ・アジア大会では高校記録を塗り替えて優勝。期待の若手として注目を集めた
写真提供:アフロスポーツ

7月初旬、東京都北区の国立スポーツ科学センター(JISS)で練習に励む競泳・背泳ぎの入江陵介の表情は、どこか明るさを感じさせた。「治療を兼ねて(JISSに)来ているのですが、だいぶ良くなっているし、練習でもいいタイムが出てきています」

今年3月、足首を捻挫し、4月の日本選手権以降、納得のいかない試合が続いていたが、ようやく復調の手ごたえを感じているようだった。それもあって、入江は言う。「8月のパンパシフィック選手権は優勝を狙える位置にいると思うので、100m、200mともに勝ちたいですね」。今年で二十歳を迎える入江は、初めてのオリンピック出場となった北京オリンピック以降、こう表される機会が増えた。「日本競泳のエース」

実績もそれを裏付ける。昨年7月にイタリア・ローマで行なわれた世界選手権で、オリンピック、世界選手権を通じて自身初のメダルとなる銀メダルを獲得。その2カ月前の日豪対抗では、国際水泳連盟が公認しなかったため幻とはなったが、当時の世界記録を破るタイムを打ち立てた。

自らの立ち位置を受け止めるように、入江自身、記者会見などでは「結果を出さなければいけない」と言い続けた。その姿は、日本代表として活躍を始めた頃とはどこか異なる。日本競泳界の中心に位置する存在となり、それを自覚するかのような姿勢で接する今日までの過程には、挫折と、それをバネにしてきた入江自身の努力があった。

高校1年生で鮮烈デビュー、期待を背負い駆けぬけた2年

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2008年4月、北京オリンピックの選考会をかねた日本選手権、100mを緊張の面持ちで迎える
写真提供:アフロスポーツ

入江が競泳界で広く注目を集め始めたのは、2006年、高校1年生のときだった。日本選手権の200m背泳ぎで1分59秒32の高校新記録(当時)をマークし、その夏に行なわれるパンパシフィック選手権の日本代表に選ばれたのだ。これだけ大きな国際大会の代表になるのは初めてのことだった。そして成績もさることながら、無駄のない美しいフォームに、見る者は衝撃を受けた。「逸材」、そのように評されるほどだった。

パンパシフィック選手権には翌年3月に行なわれる世界選手権(メルボルン大会)の代表選考がかかっていた。「いちばん下の年齢ですし、北島康介さんとか山本貴司さんとか第一人者の方々がいて、自分が一緒にいるのが不思議でした」。一方、周囲からは世界選手権代表入りを期待され、そう期待される中で入江自身もそれを目標に据えるようになっていった。

迎えた大会で、結果は4位。順位は決して悪いものではなかった。だが、タイムが1分59秒33だった。日本水泳連盟は、代表選考にあたり派遣標準記録を設定している。そのタイムにわずか0秒16届かず、代表入りを逃した。初めての挫折だった。「すごく悔しくて、すごく泣いたのを覚えています」

失意の中、周囲の先輩たちが「まだ若いんだから」と声をかけてくれた。励ましのおかげもあって、入江は前を向き、その年の12月、ドーハ・アジア大会では1分58秒85と、高校記録をさらに塗り替え優勝。ナショナルチームの首脳陣も、今後期待される若手として名をあげる活躍を見せた。

そこからの入江の成長はとどまることを知らなかった。年が明けて07年には、得意の200mで3度、100mでも2度、高校記録を更新。そして08年1月には200mでついに日本記録を破った。

「水泳をやめるか、オリンピックに行くか」

その年の4月、北京オリンピックの代表選考会を兼ねた日本選手権を迎える。競泳のオリンピック代表選考は、過去の実績など考慮しない、いわゆる「一発選考」である。日本選手権で2位以内に入り、なおかつ事前に決められたタイムを上回らなければならない。入江は、その場ですべてが決まる選考会ならではの独特の雰囲気を初めて知ることになった。

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期待された200mで優勝し、北京オリンピックの出場を決めた
写真提供:アフロスポーツ

「大会の雰囲気が全然違いました。予選、準決勝、決勝と3本泳がなければならないのも初めてだったし、会場も音響やアナウンスでわざと盛り上げるような感じで。何よりも、まわりの選手の顔つきが違いました。招集所も例年みたいにワイワイやる感じじゃなかった。国際大会はある意味終着点ですよね。選考会はその先にある目標に向かうための通過点。失敗すれば先に進めなくなるし1年を棒に振るわけです。だから苦しかったですね」

重苦しさが漂う大会の中、100mでは3位にとどまり、代表入りを逃す。残るチャンスは、得意とする200m。準決勝では全体の3位。このままではオリンピック代表になることはできない。決勝を翌日に控え、入江は泣いた。プールサイドで、宿舎に戻ったあとで。コーチと話しては泣き、親からかかってきた電話で泣いた。「初めてですね、親の前で泣いたのは」

100mで代表に入れなかったことは、ある程度は仕方ないと思っていても、200mへのプレッシャーを強める原因になっていた。まして準決勝の泳ぎも精彩を欠いていたのだ。だから泣いた。泣き続けるうちに、やがて、心は定まった。

「とにかくずっと泣いていたので、ある意味すっきりしたし、こんなにしんどい思いをするなら水泳なんてやらないぞ、くらいの覚悟になったんです。ダメだったら水泳もやめて学校も変えてやる、と心に決めたら、ある意味気楽になりましたね。決勝が終わればオリンピックにいくか水泳から離れられるかどっちかだと」

決勝に姿を見せた入江は、どこか落ち着いているように見えた。スタートすると、前半から積極的な泳ぎを見せる。結果は1分57秒33で1位。目標だったオリンピック代表をつかんだ瞬間だった。

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