アスリートメッセージ
スケート・スピードスケート 長島圭一郎
見え隠れする冷静さ、「プレッシャーの中でやりたい」
戦略はうまく行ったが、心から満足できる滑りではなかったこともまた、メダル獲得への歯ごたえの無さだったのかもしれない。理由が何であれ、「こんなもんか」というのは、長島の率直な思いである。それでも、そうした気持ちを表には出さずにいたこと、例えば、観客席の応援団に向かって笑顔で手を振ったことを、このように説明する。
「観客席には親も、友達も何人か見に来てくれていました。かっこいいところを見せないと、というところです」
遠く北海道の地から、自腹を切って駆けつけてくれたことへの感謝。そこには、長島の人となりが見え隠れする。それにしても、こうした話を聞いていて、感じさせられるのは、長島の冷静さだ。それは、次のやりとりにもうかがえる。スタートのときの精神状態について尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「緊張しないとだめです。めちゃめちゃ緊張しない大会ではいい結果が出ません。だからもう、自覚的に緊張するように、不安に思うように、プレッシャーをかけるようにしている。方法ですか? 失敗したときのことを考えたりしますね。転倒みたいな大きな失敗も含めて。そうやって、緊張して不安に思う状態に持って行きます」
言葉を裏返せば、自然に不安に陥ったり、緊張に苛まれたりすることはないということでもある。そして、スタートを切ってからも冷静にレースを展開していく。
「滑っているときですか? レース前に、ここはこうして、ああして、と決めて、それをやっていく感じです。無心ではないです。考えずにやれればいいのかな、とも思いますけどね」
さらに、銀メダルを獲得して周辺環境が変わっても、自分を達観しているような、そんな冷静さをも失わない。メダリストとしてインタビューを受けるようになれば、かっこいい聞こえのいい言葉を使っても良さそうなものだが、むしろ慎重に言葉を選び、見栄も張らず、自分の心に正直だと思った少ない言葉を選びながら口にする。
「自分ではよく分からないです。ただ、あんまり作るのは、好きじゃない。好かれようが嫌われようが関係ない。そういう気持ちがあるんです。競技でもそうです。人のことは気にしないです。自分がどうなりたいかしか考えていない。どうしたらトップになれるか、どうしたら少しは先にいけるかしか考えていませんから」
誰よりも速くなりたい——。その一心で自分の滑りを見つめ直して4年。2度目の大舞台で、目標とは少し違ったかもしれないが、結果は残した。そこに、4年間の真摯な取り組みが表れている。そして、すでに再び、誰よりも速くなりたいと、そう願っている。
「やる以上、どうせやるならソチまで目指します。でも、その頃強いかどうかわからないので、とりあえず1年1年、ソチに向けて、世界と戦えるようにしていければいいかなと」
さらに速くなるために何か課題を感じているかどうか、と尋ねると、こう答えた。
「それはもうあります。いろいろ具体的にあります。でも言えないです。終わるまでは言えない。みんな敵なので。そういうのは言わないほうがいい。僕から言うことはないです」
長島の心は、もう次に向かっているのだ。そして今、ただひとつ願っていることがある。
「すごいプレッシャーがかかるような中で、これ以上ないくらい注目される中で、やってみたい。今まで経験したことのないくらい。そんなこと、なかなかできないじゃないですか。バンクーバーのとき、注目度が上がったといっても、決してそこまでじゃない。日本中の期待を一身に背負っているんだ、それくらいプレッシャーを感じられるような中で、いつかやってみたいですね」
いまだ経験したことのない強いプレッシャーの中で、すべてを出し切った会心の滑りをしたとき、どのような表情を浮かべるのか。そのとき、初めて心の底からの笑顔を浮かべるのかもしれない。
長島選手からのビデオメッセージ!!
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1982年4月20日生まれ。北海道出身。日本電産サンキョー(株)所属。
3歳からスケートを始め、高校時代までは長距離専門だった。タイムが思うように伸びず高校3年生で短距離に転向すると、2000年全日本ジュニア選手権500mで優勝、頭角を現す。2004年ユニバーシアード500m優勝、2005年全日本スプリント選手権大会総合優勝と成績を伸ばしたが、2006年トリノ冬季オリンピックでは500m13位、1000m32位に終わる。その後フォームなどの徹底的な見直しにより実を着けると、2006年にワールドカップ3大会で優勝し、年間総合2位。2009年にJOCの特別強化指定選手に選ばれる。日本のエースとして臨んだ2010年バンクーバー大会では、500mで銀メダルを獲得した。