アスリートメッセージ
馬術 杉谷泰造
北京オリンピックでの目標はトップ10入り。
そしていつかは・・・。
障害に向かって跳び上がった馬は、器用に前肢を折りたたみ、フワリと浮いて障害をクリアする。技術の優れた陸上競技の走高跳の選手が、"跳ぶ"のではなく"飛んでいる"ともいえるような感覚。彼らに、健気さや美しさを感じる瞬間だ。馬もまた、アスリートである。
「着地の瞬間の写真を見ると、ビックリするくらいに関節が曲がっているんですよ。あんな細い4本の肢で。でも、馬も跳ぶのが好きなはずですよ。嫌だったら絶対に跳ばない。ただ、血統もあって跳べない馬は本当に跳べませんからね(笑)。それに、馬はしゃべれないから難しいんですね。もししゃべったらしゃべったで、しょっちゅう取っ組み合いのけんかになっちゃうでしょうけど(笑)。でもそこがいいところだと思うんですよ。しゃべらない分、こっちが面倒を見てあげないといけないから」
馬術は数あるスポーツのなかで、唯一生き物とともに競技をするスポーツである。それはある意味、相手のことを心遣う人間の優しさを競う競技なのかもしれない。馬も人間を信頼した時に初めて、自分の限界までの能力を発揮しようとする。だからこそ馬術は、芸術にも見えるような一瞬を持った競技なのだろう。
「まずはいいテクニックを持っている馬から学ぶというのが重要ですね。その感覚をいかに自分の体にしみこませて、次に馬に乗った時に同じイメージでトレーニングして仕上げるかなんです。でも、いつまでも同じ馬に乗れるというわけではないんですよね。人間も進化するから、そのレベルに合った馬を探さないと新しいことはできないし。アトランタの時の馬は力もあって経験もある馬だったけど、今の僕がその馬に乗れるかといったら、難しいと思うんですね」
杉谷が今、北京へ向けて用意している馬は、2006年から乗っているオリベリックスと、1年前から乗っているカリフォルニアだ。雌のカリフォルニアすごく繊細な性格で、せん馬(去勢された牡馬)のオリベリックスは今まで乗ったなかでは一番力がある馬だと言う。2006年世界選手権で出場権を獲った杉谷は、この2頭で北京に臨む。
「正直、今は成績もあまりよくなくてストレスも溜まっていますね(苦笑)。でも、世界選手権の時もそうだったけど、準備期間も大切だから、今は辛抱強く我慢をしなきゃいけない時なんです。いい成績を出せないのは悔しいけどとりあえずは成績にはこだわらず、いろいろ失敗してこうやったらこうなるというノウハウを、明確にしておかなければいけない時期なんです」
4月上旬、大会出場のために帰国した杉谷は、それが終わるとすぐにヨーロッパへ戻ってベルギー、イタリア、オーストリア、デンマークとツアーに臨む。そこから北京へ向けた本調整がスタートだ。
「アテネの時もひと桁狙いだったんですよ」という彼が北京で目標にするのも、まずはトップ10に入りだ。そしていつかは、西竹一選手に続くメダルを、という目標も見据える。
「ただ、馬は優勝したからといっても可哀相なことに何もないんですよね。失敗したら怒られるけど。表彰式が終わって厩舎に戻れば、いつもと同じご飯を食べるだけですから。僕はだいたい、試合が終わった時にお砂糖をあげるけど、それくらいなんです(笑)。本当に健気ですよね」
北京オリンピックの馬術競技の会場は香港になる。どの馬も暑さはともかく、これまで経験したことのないような湿度と戦わなくてはいけない。馬にとっても北京オリンピックは、過酷な戦いになる。
「僕もアジアの暑さは苦手ですよ。毎夏試合があるから日本に戻ってくるけど、関西空港で降りた時点で、もう一度飛行機に戻りたくなりますからね」と、杉谷は笑う。だがヨーロッパ選手に比べれば、蒸し暑さに対抗するノウハウはある。その分、本番でもチャンスはある。
何が起きたのかはわからなくとも、馬は自分に乗っていた人間が喜んでいれば、何らかの感情は感じ取ってくれるはずだ。愛馬をそんな幸せな雰囲気で包み込んであげる。それも馬と係わる人間が果してあげなくてはいけない務めなのだろう。小学2年から馬術を始めた杉谷が目指すのもそんな、ともに満ち足りることができる瞬間だ。
(2008.4.24掲載)
杉谷選手からのビデオメッセージ!!
杉谷選手の考える馬術の見どころ、面白さとは?
ビデオメッセージへ >
1976年6月27日生まれ。大阪府出身。杉谷乗馬クラブ所属。 小学校から兵庫県神戸市のカナディアンアカデミーに通い、17歳でオランダに渡る。1996年アトランタオリンピックでは64位、2000年シドニーオリンピックでは25位、2003年にはイタリアで行われたグランプリで初優勝を果たし、2004年アテネオリンピックでは戦後日本人最高位の15位。北京オリンピックで4大会連続出場となる。