アスリートメッセージ
文:折山淑美
競技を続けている限りはオリンピック出場が目標。まずは第一段階突破。
オーストラリア・シドニーで開催された2007年のワールドカップ。5月1日に行われた女子25mピストル60発競技で584点を記録し、準優勝(ファイナル201.7 点 合計785.7点・日本新)した福島實智子は、同時に北京オリンピック出場権を獲得した。25歳で出場した1988年ソウルオリンピックで銀メダルを獲得。その後に結婚をして現役を退いたものの、1997年に復帰して2000年シドニーオリンピックと2004年アテネオリンピックにも出場している。43歳になる彼女の北京は、4回目のオリンピックとなる。
「競技を続けている限りはオリンピック出場が目標だから、まずは第一段階突破ということでホッとしましたね。射撃競技では、50代後半でオリンピックに出ている人もいて年齢はあまり関係ないから、私もどこまでいけるかやってみたいという気持ちもありますね」
これでまた、いつ辞められるかわからなくなった、と苦笑する。
射撃に出会い、はじめて得意といえるものができた。
テレビドラマの『太陽にほえろ!』が大好きという理由で、高校卒業の1982年に大阪府警に入った福島。実務を始めてしばらくした頃、府警女子エアピストルチームに欠員が出たために選考会をするという知らせがあった。
「警察学校の射撃の授業で、その時の助教官が拳銃を構えている姿を写真に撮って下さったんです。それを見たら『これが自分? カッコいい!』と思ったんです。一生懸命、神経を集中させている姿もなかなかいいなって。そんなことで興味も持っていたから、せっかくのチャンスだと思って参加してみたんです」
19歳の時だった。射撃競技というものがあるということも、この時に初めて知った。
興味本位で競技の世界に入っただけだったが、彼女には射撃の才能があった。3年後の1985年に全日本選手権でエアピストルとスポーツピストル(現・25mピストル)の2冠を制覇。翌1986年にはアジア大会(ソウル)でエアピストル優勝。スポーツピストルでも2位になり、1988年にはソウルオリンピックの代表にまで上り詰めたのだ。
まさにアッという間の出来事だった。「なぜかは知らないけど、やってみたら良かったんですよね。人からは『お前は神経を細かいところに向けず、ボーッとしてるから当たるんだ』ってよく言われるんです(笑)。確かに、ひとつのことに集中したら他にはあまり関心がなくなる性格だし、試合でも隣の選手の動きも気にならないから…。それが良かったのかなとも思いますね」
中学・高校とソフトボールをやっていたが、全国大会へ出場するような強いチームではなかった。自分では「スポーツは好きで続けてきたけど、才能はない」と思っていた。だが射撃に出会い、はじめて「もしかしてこれは、得意といえるようなものができたかな?」と、ワクワクするような気持ちになってきた。
「その頃は練習環境にも恵まれていて『日本でこんなに練習している人は、私以外にはいないだろう』という自負みたいなものもありましたね。でも、若さゆえの勢いと負けん気だけで突っ走り、自分の感覚だけで射撃をしている感じでした。当時の私は、傍から見れば“邪道”だと言われるような撃ち方をしていたんです。それで結果が出ていたから、周りの人は何もいわなかったのだと思います」
エアピストルは普通、銃を標的の上まで上げて止め、そこからゆっくり下ろしながら標的を狙う。だが福島は下げていた腕をスーッと上げて標的に狙いを定める撃ち方をしていたのだ。それでも優勝してしまうのを見て、同じ撃ち方を試してみる選手もいたが、誰もが肩に力が入り過ぎたり銃をうまく静止できなかったりでダメだった。それは、彼女が持っていた筋力とタイミングを取るリズム感がピタリと一致した、福島独自のものだった。