アスリートメッセージ
男子史上初。
髙橋大輔選手はこの称号と縁が深い。2002年世界ジュニアスケート選手権大会で日本の男子選手として初の優勝。2005年−2006年のISUフィギュアスケート・グランプリファイナルでは男子初の表彰台に立った。ISUのランキングでは現在、男子シングル1位(2007年5月末現在)。そして先だって行われた2007年世界フィギュアスケート選手権東京大会では男子史上初の銀メダルに輝く。
「銀メダルはうれしいですが、満足はしていません。ミスもあったので、あの出来で2位になったのはラッキーでした」
と、淡々と世界選手権を振り返る髙橋選手。だが女子選手と同様、世界に日本の底力を見せ付けた。
(写真提供:アフロスポーツ)
端正なマスクに抜群の表現力。髙橋選手はまるでフィギュアスケートをするために生まれてきたかのように思える。
8歳からフィギュアスケートを始め、既出のとおり世界ジュニアスケート選手権では日本男子初の優勝。まさに順風満帆のスケート人生だった。
しかしこの優勝が彼を少しばかりスランプに陥れる。
「(世界ジュニアに)出たら勝った・・・みたいな感じで。気が緩んでしまったんです。シニアの大会に出ても成績は残せないし、誘惑に負けて遊びたくなったり。いろいろな壁が出てきて、大学に入った頃はスケートを滑るのが嫌でしたね」
だが髙橋選手が大学1年生のときに行われた世界選手権は、翌年に行われるトリノ冬季オリンピックの出場枠を獲得する重要な大会。そこで15位と奮わず、男子は1枠しか獲得できなかった。
「成績が残せなかったのは練習不足だったので仕方がないのですが、やはり情けなくて。今まで以上にオリンピック出場への気持ちが強くなりました」
そこからジャンプやステップなど技術面に加えて、メンタル面の強化も図るようになった。第20回オリンピック冬季競技大会(2006/トリノ)では8位という成績だったが、オリンピック出場という経験が彼をひと回りもふた回りも大きくしたようだ。
「誰もが出られるものではありませんから、光栄でしたし、いい経験になりました」
(写真提供:アフロスポーツ)
その後の活躍は周知の通り。オリンピック後はトレーナーも替え、自らの意思でトレーニングを積むようになった。また誰もが成功していない4回転のフリップジャンプにも挑戦中だ。現在、4回転は右足で踏み切り、左足でトゥをつく、トゥループジャンプが主流だが、同じトゥを踏むジャンプでもフリップはそれよりもはるかに難易度が高い。成功すればかなり高い点数が期待される。もちろん成功することを前提に取り組んでいるが、それ以外の思惑もあるようだ。
「コーチのニコライ(モロゾフ)が、難しいことをやればそのひとつ前のことが簡単になると考え、進めてきたことなんです。難しいフリップに挑戦すればトゥループは簡単に感じるようになる。そうすると成功率も高くなりますから。昔は4回転を跳ぶことはすごいことでしたが、今は跳んで当たり前。僕も高校2年生のときに成功しましたが、その頃とは全然状況が違います。フリップもプログラムに入れるか今のところ未定ですが、成功できたら取り入れると思います」