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アスリートメッセージ

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ヤマザキ国際グランプリ陸上大阪大会2006より
(写真提供:アフロスポーツ)

棒高跳びは、陸上競技者としての力量だけでなく、体操選手のようなしなやかさも求められる競技だという。短距離走者のようなスピードで助走し、ポールの反発力を使って跳躍。空中でポールを離し、バーを越えるときの鮮やかな身のこなしは、確かに体操選手に似ている。世界記録保持者のセルゲイ・ブブカ選手、イシンバエワ選手も体操の競技経験があることで知られている。澤野大地選手もまた、小学生のころから器械体操を得意としていた。

「印西中学では陸上部に入って、最初の4カ月くらいは長距離を走っていたんですよ。そのとき顧問の岩井浩先生が、僕が鉄棒が得意で、器械体操の成績がよいことを知って、棒高跳びをやってみないかと声をかけてくれたんです」

実は澤野選手は、棒高跳びのことをずっと「楽しそうな競技だな」と思っていた。そして実際に始めてみると、すっかりその魅力に取りつかれてしまったのだという。陸上部員として、他の種目にも取り組み、走り高跳びでは高校3年生のときに1m93を跳んだが、やはり一番好きなのは棒高跳びで、今も昔も最高のモチベーションは「この競技が何よりも楽しいことです」と言い切る。

来日したブブカ選手に、中学生のときにたまたま会う機会があった。当時、世界記録を更新し続けていたブブカ選手は、澤野選手にとって「とんでもなくすごい人」という存在だった。澤野選手が初めて世界で戦う自分を意識し始めたのはその3年後。成田高校2年生のときに陸上部の瀧田詔生先生に「澤野、お前は日本のトップなんかを目指すのではなく、世界を目指しなさい」と言われ、自然に受け入れている自分がいたという。増田明美さんや室伏広治選手を育てた指導者の言葉には、不思議な説得力があった。「そう言ってもらえたことはうれしかった。3年生のときに、日本の高校記録を出したときも、ここで満足するのではなくて、世界のジュニアと戦わなければと思いました」

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ヤマザキ国際グランプリ陸上大阪大会2006より
(写真提供:アフロスポーツ)

日本大学に進み、学生記録を更新。日本選手権も制した。大学4年生のときに、初めて世界の舞台に挑戦。2002年にスペイン・マドリッドで行われたワールドカップだ。 「初めてだったこともあって、ワールドカップでは緊張してしまい、心ここにあらずになってしまいました。すごい選手が目の前にたくさんいて、何で自分がここにいるんだろうと。結局、何も出来ずに終ってしまいました」

それでもただで終わりたくないと、自分なりにがんばったこともある。初めて会った世界のトップ選手たちに自分からしっかりとあいさつをし、“日本の澤野大地”という選手を少しでも覚えてもらうように努めたことだった。この選手たちの中で、臆することなく戦っていくために、澤野選手は自ら話しかけ、試合までの間に言葉を交わすようになったのだという。2、3時間かかる競技時間の中で、ピットでの過ごし方や、集中力のオンとオフの切り替え、どのくらい前に何をすべきかも確認した。


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