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アスリートメッセージ

アスリートメッセージ

松下浩二選手は、2つの顔を持っている。
ひとつは、今年4月下旬にドイツのブレーメンで行われる世界卓球選手権・団体戦に日本代表として出場し、世界屈指のカットマンとして活躍する『トップアスリート』の顔。
もうひとつは、昨年末日本で開催された卓球の国際大会をプロデュースして成功させた『会社経営者』の顔だ。「どちらかひとつに専念できたら、どんなに楽だろうと思うこともありますが、あえて両方に取り組んでいるからこそできること、得られるものもあるのです」

尽きせぬ卓球への情熱、日本の卓球界を牽引していかなくてはという使命感。日本代表として、国際舞台で戦い続けるモチベーション。
その原点は松下選手が初めて日本代表のユニフォームを着て臨んだ、20年前の国際大会にあった。
日本の卓球選手たちは、1952年に世界選手権に初参加して以来、48個もの金メダルを獲得してきた。松下選手が国際大会に初出場したころには、すでに他国の追随を許す時代にはなってはいたが、日本代表として外国選手と試合をしているときは、「自分=松下個人ではなくて、自分=日本として見られているような気がしました。自分が負けたら『日本は弱くなった』と言われてしまうのではないだろうか。卓球王国として尊敬されていた日本が、そんなふうに軽んじられることはプライドにかけても許せないと思いました」と、いうのだ。

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(写真提供:フォート・キシモト)

19歳の松下選手に芽生えた強烈な自負心。重圧も感じたが「それにつぶされているようでは、所詮そこまでの選手。世界で戦うためには、選手としてのピークを迎える前に、どれだけいろんなことを早めに経験し、精神面を鍛えられるかが大切」と、苦労すると思われる方の道を積極的に選んできた。
環境の整った実業団を辞めて、日本卓球界初のプロ選手として活動し、海外に渡って転戦を重ねた。
世界トップクラスの選手を間近で見て、話しかけ、『どのくらい練習したら、どうやったら世界一になれるか』を考え、実践し続けた。自分のパフォーマンスをすべて出し切ったと思えた28歳の世界選手権のダブルスで、銅メダルを獲得。3年後には同じ大会の団体でも銅メダルを勝ち取った。

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(写真提供:フォート・キシモト)

「重圧を背負い、緊張感を覚える試合では、練習してきたこと以上の、眠っている力(潜在力)まで引き出されることがあります。どんな精神状態のときに自分はもっとも力が出せるのか、ふだんから意識してきました。苦しいときに、いかにがんばれる自分になれるか。対戦相手と技術力が互角なら、最後は精神的なものが勝敗を決めると思うのです」


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