アスリートメッセージ
薪谷選手を語る上で忘れてはならない人がいる。そのひとりは警察官であるお父さんだ。職業柄もあってか、お父さんは薪谷選手が柔道を始めたころから厳しく指導してきたという。
「私が柔道を始めたきっかけは、小学校3年生のときに地元のわんぱく相撲に出場したことでした。そこで道場の先生の目にとまり、柔道の道に進むことになりました。父も柔道をやっているせいか、私にもさせたかったみたいです。週4日は道場で練習し、それ以外の日はお父さんが私のために作ってくれた小さな道場で打ち込みをしていました。父はとても厳しくて、殴られるのは当たり前。負けて当然の強い選手に負けても『柔道やめてしまえ!』と怒られたぐらいです」
心を鬼にして厳しく指導してきた父親は、娘の世界選手権優勝を最も喜んだひとりでもある。
「世界選手権の前には『やるだけのことはやれ』と言われました。カイロから帰国後に会ったときは『よかったな』と、私にはさほど喜んだ様子をみせなかったのですが、知り合いに聞くと、『声が出なくなるぐらい泣いて喜んでいたよ』と言っていました」
と薪谷選手。
今の薪谷選手を支えているもうひとりの人物は、親友でもあり最大のライバルでもある塚田真希選手だ。アテネオリンピックの選考会では残念ながら塚田選手に破れ、出場を逃したが、薪谷選手は試合後、塚田選手に次のような言葉をかけたという。
「悔しかったですけど、試合に負けてすぐに『頑張れ、お前』と声をかけました。“つかっちゃん”がアテネオリンピックで活躍してくれたから、自分も世界選手権で頑張れると、いい刺激を受けました」
仲良しの“つかっちゃん”こと塚田選手とは、おそろいでTシャツも作った。取材日にもそのTシャツを着用していた薪谷選手は、Tシャツの真ん中に大きく書かれた“D”の文字の意味を教えてくれた。
「これは“デブのD”なんです。つかっちゃんが“地球に優しく、デブにも優しく”というキャッチフレーズとTシャツのデザインを考えてくれました」
と屈託のない笑顔で話す薪谷選手。
最高のライバルとともに切磋琢磨しながら、北京オリンピック出場をねらう。
1980年8月15日 和歌山県那賀郡生まれ。163cm、93kg
柔道女子78kg超級3段
筑波大学体育専門学から2003年ミキハウス入社。2003年講道館杯全日本体重別選手権大会優勝、2004年全日本女子選抜体重別選手権準優勝、皇后盃全日本女子柔道選手権大会準優勝、2005年世界柔道選手権大会無差別級優勝。