アスリートメッセージ
「93」。この数字は吉田沙保里選手が国際競技大会で勝ち続けてきた記録である。
「連勝記録の数字を気にするようになったのは、2003年の終わりから2004年の初めにかけてだったと思います。ある記者の方から連勝中の数字を聞いてから、数えるようになりました」
第28回オリンピック競技大会(2005/アテネ)で女子レスリングが正式競技となり、日本代表女子選手で初めて金メダルを獲得。優勝した瞬間、師匠である栄和人コーチを肩車した姿は日本中に驚きと大きな感動を与えた。
(写真提供:アフロスポーツ)
「日本に帰ってきてから、ニュースで“(女子レスリング)金メダル1号”とアナウンサーが言っているのを聞いて鳥肌が立ちました。もちろん女子全員がメダルをとれたことも嬉しかったですし」と吉田選手。そして今もなお、彼女の勢いは衰えることなく、無敗の女王として世界の先頭を走り続けている。
吉田選手は元レスリング日本チャンピオンだった父の影響で3歳からレスリングを始めた。
「家にレスリング道場がありましたし、兄2人もレスリングをやっていたので、物心つく前からレスリングを始め、最初は好きな練習だけをしていました。
それでもレスリングをやめたいと思ったことが何度もありました。学校が終ると友達はみんな遊んでいます。“遊ぼう”と誘われても自分は5時に帰って、夕食をとってから練習。そんなことが繰り返されるうちに“なぜ、みんなは遊んでいるのに、自分は5時に帰って練習しなくちゃいけないのか、何のために練習をしているのか”と思うと家に帰りたくなくなることも小学校高学年の頃にはありました。
でも父はとても厳しい人だったので、帰らないと当然帰る場所がなくなっちゃうとか、小さいなりにいろんなことを考えていました」
しかし中学生になり、国際競技大会に出場するようになり始めてから、吉田選手の心境に変化が現れた。
「国際大会に出るようになってから、レスリングのことがわかるようになり、オリンピックに出たいと思うようになりました。この頃はまだ女子レスリングがオリンピックの正式種目になると決まってはいなかったのですが、父が“正式種目になるから頑張れ”と言ってくれていたので続けることができました」
大学に進学すると、さらに大きな転機が訪れた。
ひとつはそれまでどうしても勝てなかった最大のライバル、山本聖子選手を破ったことだ。
「高校まで家で練習していたのですが、ずっと山本選手には勝てませんでした。初めて勝てたのは中京女子大学に入って、2年目の時でした。大学で朝練習し、年上の強い選手と毎日、練習していくうちに強くなったのだと思います。
厳しい練習でしたが、練習することによって強くなれるのだと実感しました。
自分が強くなれたのはやはり今までの練習の積み重ねだと思います。得意技はタックルなのですが、それは父に教えてもらった技です。今でも父からは教えられたり、直されたりしています。レスリングの成績では父を超えましたが、それ以外はいつまでも超えられない存在です。父は人生の師匠ですから、ずっと尊敬しています。また体力をつけるための食事の管理は、栄コーチが毎日朝ごはんからずっとついて指導してくださいました。今も感謝しています」