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2024.10.08 Paris2024 Medalists’ Voices

金メダルに恋した14歳 ー 悔いなき会心の滑りでたどり着いたパリの頂点(スケートボード・吉沢恋)

弱冠14歳ながらスケートボード女子ストリートで金メダルを獲得した吉沢恋選手(PHOTO:AP/AFLO)

吉沢 恋

パリ2024オリンピックのスケートボード女子ストリート決勝を盛り上げたのは、TEAM JAPANの若き10代の選手たちだった。オリンピックに出られなかった選手たちの思いまでも背負いながら戦い、頂点を極めた吉沢恋選手に話を聞いた。

みんなと楽しくやるのが大前提

――オリンピック初出場、そして金メダル。まさに、シンデレラストーリーですね。改めて一夜明けて率直な思いを教えてください。

 金メダルをとった直後は、自分がこのオリンピックのメダリストになることについての実感が全然なかったのですが、一夜明けてSNSフォロワーの数が増えたり、LINEや DMでもたくさん「おめでとう」と言ってもらったりして、そこでやっと金メダリストになれたんだなという感じがしてきました。

――赤間凛音選手も、すごくフォロワーが増えたお話をされていました。吉沢選手は具体的に一晩でどのくらいフォロワーが増えたのでしょうか。

 パリに来る前は3,000人くらいだったのが、終わったら 3.3万人くらいになっていました。これまでと比較すると、桁違いの反応という感じです。

――たしかに10倍以上ですね! スケートボードならではの魅力はどんなところにあると思っていますか。

 他の競技にはないと思うのが、スケートボードは「みんなと楽しくやる」というのが根本的な考え方だということです。他のスポーツ同様に「戦う」とか「負けたくない」という気持ちももちろんあるのですが、それ以前に「友達と楽しく滑る」「一緒に決めたい技をメイクできる」という考えがあるところがスケートボードの魅力で、他のスポーツと違うところだと思います。

――プレー中はもちろん、表彰式でも、銀メダルの赤間選手や銅メダルのライッサ・レアウ選手(ブラジル)もそうでしたが、お互いがお互いをたたえ合い、励まし合い、褒め合う……、皆さん一貫してぶれずに楽しみ合っている姿がいろんな人たちの心を打つのだと感じました。ライバルの存在は、どうとらえていらっしゃいますか。

 ライバルという形に変わりはないのですが、やはり友達としていろいろな世界の選手たちと一緒に滑って、技を決めた時は拍手してたたえ合ってというところがいいところだなと感じます。

――オリンピックには選手村があり、他の競技の選手などとも一緒に過ごすところも特徴的ですよね。初めてオリンピックに参加して気付いたことがあれば教えてもらえますか。

 自分も金メダルをとりましたが、選手村やそのダイニングにいるアスリートも、テレビで観るような選手たちや自分以上にすごいと思う人がたくさんいて、いつもの生活では全然体験できないような経験ができているので、選手村はすごいなと感じています。

――誰か具体的に印象に残っている選手はいましたか。

 直接話してはいなくて、見かけただけですが、テニスの錦織選手は印象に残っていますね。あとバレーボールの選手たちは皆さん背がすごく高くて目立っていました。間近で見られるのはすごいですよね。

戦いを終え、吉沢恋選手はクロエ・コベル選手(オーストラリア)らライバルたちと健闘をたたえ合った(PHOTO:Hiroki KAWAGUCHI/PHOTO KISHIMOTO)

100%の力を出せた金メダル

――競技の話をお聞かせください。ご自身がイメージしていた滑りはどのくらい達成できたのでしょうか。

 100%出せたと思います。自分が出したかったビックスピン・フリップボードもしっかりメイクできました。最後のベストトリック5本目は決めても決めなくても金メダルが決まっている状態でのウィニングランになりましたが、最後の最後で自分が決めたい技を決めるということは目標にしていたので、ミスをせずに自分が決めたかった技を決めて終わることができたことは本当に良かったです。

――めちゃくちゃクールでした。

 ありがとうございます。(笑)

――スケートボードについては、ルール変更があったことで苦しんだ選手も多かったと伺います。吉沢選手ご自身はどのように感じていましたか。

 自分はその前の状況を体験していなかったので、具体的に話すことはできないのですが、聞いた話で言えば、男子の堀米さんはベストトリックの強さで活躍してきて、ランも必ず採点されるルールになってからは成績がうまくついてこなかったという話を聞きます。自分の成績を大きく変えてしまうほど、ルール変更への対応は難しいのだと思うのですが、それでも堀米さんも対応して前回の試合ではしっかりどちらとも決めていましたよね。難しいところはあるけれど、自分の対応力や適応力もすべて試される部分だなと思います。

――吉沢選手は、東京2020オリンピックで西矢椛選手の技を観て、「それは私もできる」と思ってスケートボードを続けることを考えたというエピソードを聞きました。そういう中でも、TEAM JAPANとして出場できるのは3人だけということもあり、代表争いから厳しい戦いだったと思いますが、どのように向き合ってきたのでしょうか。

 オリンピックに出るためには日本人の中で戦うことが必要で、3人の枠に入らないといけません。世界選手権をはじめどの大会に出ていても、たとえば今回銅メダルだったライッサ選手などの海外選手を意識するよりも、意識するのはどうしても日本人選手になってきます。同じTEAM JAPANとして、日本人同士みんなで本当は上がっていきたいけど、それがかなわないので複雑な気持ちになったこともありました。でも、最後は自分自身が3人のメンバーに入って、パリ2024オリンピックに出られることになった。落選してオリンピックに出られなかった選手の気持ちも背負い、悔いがないように滑りたいという思いで挑みました。

――女子ストリートでは、東京2020オリンピックは金と銅、パリ2024オリンピックも金と銀とメダルを獲得しました。スケートボードのレベルがすごく高いわけですが、どのような理由があると感じていますか。

 日本でもスケートボードができる環境が増えてきたと思います。いろいろなところにスケートボードのパークが増えてきましたし、スケートボードを教えてもらえる環境がつくりやすいところは、競技力が上がっている原因ではないかと思います。

――一方で、スケートボードの選手たちが低年齢化していて、競技生活が短く終わってしまうところも特徴だとおっしゃっています。どうしてそういう問題が起きてしまうのか、また、どう克服していけばいいのか、何かお考えがありますか。

 スケートボードはケガが多いのですが、小さい子どもの方がケガをしにくかったり、ケガをしても治りやすかったりするのが低年齢化してきている要因でしょうか。それでも、筋力がついたり、自分の中で転び方がうまくなったりすれば、成長しても競技を続けられると考えているので、体づくりをしながら、スケートボードを続けられる環境を自分自身でつくっていく意識が大切かなと思っています。

――最後に、本当はこのことを伝えたいけれど、なかなか聞かれないというようなことがあれば教えていただけますか。

 パリ2024オリンピックで金メダルをとれるとは、本当に思っていませんでした。上位3人に入れればいいなとは思っていたのですが、1位になれるとは思っていなかった。これはとくに伝えておきたいことです。

――そうなんですね。最高の色のメダル、おめでとうございます。スケートボードの素晴らしさをこれからまた伝えていってください。これからも応援しています。

 はい、ありがとうございました。

吉沢恋選手(PHOTO:AP/AFLO)

■プロフィール

吉沢恋(よしざわ・ここ)
2009年9月22日生まれ。神奈川県出身。7歳からスケートボードを始める。自らの競技レベルを確かめたいという目的で大会に出場することを決め、21年日本スケートボード選手権女子ストリートで5位。22年より海外大会にも出場し、7月にローマで開催されたパリオリンピック予選シリーズの女子ストリートで6位入賞した。23年UPRISING TOKYOでは2位、同年の世界選手権女子ストリート5位入賞。24年パリオリンピック予選シリーズ上海大会で3位、ブタペスト大会で優勝し、代表入りを決めた。同年パリ2024オリンピック女子ストリートで金メダル獲得。ACT SB STORE所属。

注記載
※本インタビューは2024年7月29日に行われたものです。

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