パリ2024オリンピックのレスリングフリースタイル74kg級で銀メダリストとなった高谷大地選手。決勝で敗れながらも勝った相手をたたえ、スタンドのファンと触れ合う姿、そのグッドルーザーぶりは観ている者たちの心を打った。彼の行動の本音に迫る。
――銀メダル獲得、本当におめでとうございます。悔しさもあるかもしれませんが、お兄さんが果たせなかった夢もかなえました。一夜明けて、どのようなお気持ちかをお聞かせください。
ありがとうございます。勝ち負けのある勝負事ですので、決勝で負けたことに関しては正直なところやはり悔しさもありましたが、それ以上に、この舞台に立てたり、あのようなマットの上で決勝の景色を見られたりしたことは、本当に幸せな時間だったと思います。
――敗れた後、勝者をたたえる姿は、グッドルーザーという言葉がふさわしく、私たちも心を打たれました。相手のラザンベクサラムベコビッチ・ジャマロフ選手(ウズベキスタン)も高谷選手をたたえていて、本当に素晴らしいシーンでしたね。悔しさも大きかったと思いますが、高谷選手はどういうお気持ちだったのでしょうか。
そうですね。正直なところ、「もう終わっちゃったか」という残念な気持ちもありました。でも、この舞台を自分個人だけの気持ちで終わらせてしまうには本当にもったいないと思ったので、最後はお祭りのようにみんなで盛り上がろう、勝者も敗者も関係なく、みんなでこの大会をたたえ合おうという思いを込めました。「戦ってくれて本当にありがとう」というような気持ちであのような行動になりました。
――スタンドに上がって、ファンの方々と写真撮影をする様子など、高谷選手の明るさが爆発していましたね。
本当に一生に一度あるかないかというような感じでしたので、やりたいことは全部やってやろうと思って(笑)。観客がいなければスポーツというのも盛り上がらないと思いますし、会場に応援に来てくれている方々も多かったですしね。海外の方も気さくに「タカタニ!」と言って声をかけてくれたり、「写真を撮ってくれ!」と言ってくれたり、僕が動くだけでこんなにも人を笑顔にさせられて、こんなにも喜んでもらえるというのはうれしかったです。昔から言っているのですが「人の笑顔が見るのが好き」なので、それが実現できて、こんなにも受け入れてもらえたのは、本当にいい時間だったなと思います。
――高谷選手の人間性が、周囲の皆さんもそういう笑顔にさせたのだと思いますよ。その後のインタビューで涙があふれるシーンもまたぐっときましたね。SNS上でも「人間性が金メダル」というコメントが数多く見られました。
それだけで、金メダル以上の価値を皆さんから与えてもらえたと思います。オリンピックに出させてもらえて良かったですし、本当にレスリングをやっていて良かったですし、スポーツをやっていて良かったと心の底から思います。皆さんに感謝を申し上げたいですし、可能な限り直接会ってお話しできたらと思います。
――試合のことを振り返りたいと思います。とくに、準決勝のカイルダグラス・デーク選手(アメリカ)との試合は、20対12となかなか見ることのないようなスコアになりました。見ている方もワクワク、ドキドキするような展開でしたが、戦っていたご本人はどんなお気持ちだったのでしょうか。
過去に一度戦って負けたことのある選手でしたし、それこそ自分の兄・惣亮が戦って手も足も出ずにやられた対戦相手でもありました。自分のリベンジもかかっていましたし、兄の敵討ちという面もありました。観客が一体となってUSAコールをしている状態で戦っていて、最初は押されてしまったのですが、その後、日本の声援も負けじとみんなが声を出してくれて、それに僕も背中を押してもらいました。どちらも「負けられないぞ」というような応援の中で、すごく熱い戦いができて、レスリングをあまり知らない方でも盛り上がれるような試合ができたかなと思いますし、スポーツをやっているなという実感があって本当にうれしかったです。
――歓声もそれだけよく聞こえていたのですね。
正直なところ、相手のすごい声援が聞こえたせいで最初失点してしまったくらいでした。みんなが足踏みしたり声を出したりして会場が揺れるくらいだったので、「すごいな」と思いました。その分、楽しく試合ができたのではないかと思います。
――そこから一夜明けて決勝になりました。どんな準備をして試合に臨んだのでしょうか。
1日中緊張して疲れていました。選手村には部屋に金メダリストがいましたが、「僕も金メダルがとれるかな」「オリンピックの金メダルなんて夢のまた夢じゃないかな」という不安もありましたが、「できるなら金メダルが欲しいな」という欲も少しありました。ただ、出たとこ勝負でやってみないとわからない勝負事です。やれることしかできないんだから、まずしっかりやろうと思って、対策した通りに動きました。ただ、相手も対策してきましたので、ああやってフォールされてしまいました。そこはもう、相手が本当に強かったなと思います。
――選手村を含めて不具合に感じることはとくになかったのでしょうか。
TEAM JAPANが用意してくれた施設で生活させてもらっていたので、選手村のものはほとんど利用せず、試合に集中していました。ですので、僕個人としては選手村の不具合はとくに感じることはなく、いろいろな国々の人がいて、みんなと友達になって、そういう姿を見ていてオリンピックは本当に素晴らしいなというイメージしかありませんでした。
――パリ入りする前に、パリ2024オリンピックをテレビなどで観ながらイメージを膨らませていたことはありましたか。
SNSなども遮断して、外部からの情報は何一つ入れず、気にしないようにしていました。いろいろな声もあったようですが、戦った本人たちにしかわからない感情や景色は自分たちが何か言うことではないですし、分かるもの同士で話せばいいことだと思うので、自分のモチベーションを保つためにも、僕はそういう外の情報や声に引っ張られないようしていました。
――レスリングチームが好調だったことで、かえってプレッシャーに感じることはありませんでしたか。
僕の試合の初日に関しては、「いいな」「うらやましいな」「良かったね」というくらいだったのですが、昨日の決勝戦前になるとプレッシャーに感じるようになっていました。「やはり僕も金メダルが欲しいな」「ああやってウィンニングランをしたいな」と思って心が乱れてしまったのではないかと思います。それでも、最後は僕らしかったかなと思いました。
――ありがとうございます。高谷選手が伝えたいメッセージはどのようなものでしょうか。
ここまで関わってくれた裏方の人たちは、トレーニングだったり、栄養だったり、メンタルだったり、そういう各分野のプロだったりします。選手一人だけではなくて、各方面の方々が関わって支え合っているということも可能な限り話していきたいと思います。また、「レスリングってどんなスポーツか」とか「レスリングというスポーツをするハードルは高いか」など、少しでも子どもたちがレスリングを始める理由になるような小さなきっかけだったり、レベルが高くなった時にどういう人をつければいいのかだったり、そういう話ができればいいですね。
――ではぜひ、高谷選手が考えるレスリングの魅力を教えてください。
今は、じっと動かず手元でいじるような媒体がある時代ですけれども、体を動かすことはすごく大事だと思います。レスリングは、本当に何もいらなくて、柔らかいマットの上であれば誰でもできますし、体を動かす基礎ができます。運動能力が絶対に向上するというくらい運動の基礎となる部分がレスリングの魅力だと思っています。
――ありがとうございました。メダルをとって、少しは眠れたのでしょうか。
試合が終わってから一睡もせず、気づいたら朝だったような感じです。帰国する飛行機の中でしっかり寝たいと思います。
――飛行機の中でゆっくり休んでください。お疲れのところ、素敵なお話をありがとうございます。
はい、こちらこそありがとうございます。
高谷大地(たかたに・だいち)
1994年11月22日生まれ。京都府出身。兄・惣亮が2012年ロンドン2012オリンピック、16年リオデジャネイロ2016オリンピック、21年東京2020オリンピックと3大会連続オリンピックに出場した際は、食事やトレーニングのサポートを担当。23年9月のレスリング世界選手権で銅メダルを獲得した。29歳で初出場となった24年パリ2024オリンピックでは、スピードあるタックルを中心とした攻撃力を持ち味に銀メダルを手にした。自衛隊体育学校所属。
注記載
※本インタビューは2024年8月11日に行われたものです。
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