それぞれの思いを抱えながらパリ2004オリンピックに懸けてきた3人。エース早田ひな選手のケガでピンチを迎えたチームだったが、平野美宇選手、張本美和選手はコミュニケーションを図りながら、その絆を深めながら栄光の舞台に挑んでいた。
――女子団体での銀メダル獲得おめでとうございます。
<全員> ありがとうございます。
――まずは、皆さん一言ずつ感想をお願いできますでしょうか。
<早田> はい。私はシングルスの途中で腕を負傷してしまって、団体戦では、最初から最後まで 二人に助けられて銀メダルを獲得することができたと思っています。3人の目標としては金メダルをとることだったのですが、中国の壁は本当に高いですし分厚い。世界選手権の時は2−3まで粘ることができたのですが、今回はそう簡単にはいかないということもわかっていました。そういう中で、自分たちができることは最大限やって、全力を出し切れた結果だと思います。
<張本> 始まった当初は本当に緊張ばかりしていて、結果的に最後まで緊張していたのですが、二人が「思い切って!」と声をかけてくださいました。早田選手や平野選手の一言で、自分らしく思い切ってプレーできたと思います。銀メダルを獲得することができて本当にうれしいです。
<平野> 早田選手と私は同い年ですが、早田選手はシングルスでかなり負担がかかっていたので、 団体戦では少しでもチームを引っ張れればいいなと思っていました。二人に助けてもらいながらも、自分の力をしっかり発揮して、銀メダルを獲得できたことは良かったです。でも、中国選手の壁は予想通りすごく高くて厚かったので、そこに勝つにはもっともっと努力しないといけないとすごく感じました。
――平野選手はリオデジャネイロ2016オリンピックではリザーブ、東京2020オリンピックは3人目のメンバー、そして今回はシングルス2枠の中に入りました。立場やステージを変えながら、着実にステップアップして臨まれたパリ2024オリンピックだったと思いますが、これまでと違いを感じた部分はありますか。
<平野> そうですね。これまで、リザーブや団体戦でオリンピックを経験させてもらってきました。今回は選考レースで初めて自力で2枠以内に入って勝ちとったオリンピックだったので、これまでとはまた違い、自信を持って臨めたかなとは思います。リオデジャネイロで、リザーブとして現地の様子を見させてもらってから、ずっと「シングルスで出たい」という気持ちがありました。シングルスではメダルには届かなかったのですが、シングルスと団体でプレーできたことにはすごく幸せを感じました。
――張本選手は初めてのオリンピックでした。想像していたオリンピックのイメージと、実際参加した感想をぜひ教えてください。
<張本> オリンピックは4年に1度の貴重な大会なので、本当に足がガクガクするんではないかと想像していました。実際、緊張はしましたが、思ったよりは初戦からいつも通りの大会、試合という感じで自分らしくプレーすることができて、いい経験になりました。
――中国戦では唯一、ダブルスでもシングルスでも戦いました。兄・張本智和選手を擁する男子チームはメダルに届かなかった分、その思いも背負っての戦いになったでしょうか。
<張本> そうですね。お兄ちゃんを含めて男子チームも本当に素晴らしい試合をしていました。本当に惜しい結果にはなりましたが、その試合を観て、自分が頑張る力になりました。お兄ちゃんの悔しさまではあまり考えてはいなかったですが、「自分もお兄ちゃんの分まで頑張ろう」というように思ってしっかりやり切ることができました。
――早田選手は個人戦での腕のケガが大変そうでしたね。腕の状態はどのようなものだったのでしょうか。
<早田> そうですね、本当に大変で、ケガをした初日は「もう卓球はできないかも」というほどの状態だったのですが、今は私生活には支障なく過ごせるくらいまでに回復しています。でも、完治までにはおそらく2、3週間かかるので、日本に帰ってから改めて病院に行って、いろいろなリハビリをすることになると思います。でも、ケガをしたからこそ、人の温かみをすごく感じることができた大会でもありました。ケガして良かったというわけではないですが、ケガしたからこその気づきというのはやはりたくさんあります。
――そうした状態の早田選手を見て、力を合わせて乗り越えていこうという感じになった面もありましたか。
<平野> 早田選手は、そのプレーの強さだけでなく、普段からいろいろな形で日本チームを引っ張ってくれている存在です。元々は、自分自身も正直なところ「どこまで出番があるかな」と思っていたのですが、シングルスの時にすごく負担がかかっていましたし、100%の状態ではないという話も聞いていたので、少しでも負担が減らせるように私も頑張るしかないなと改めて決意ができました。張本選手も初出場でしたが、エース格としてシングルスの2点起用にもしっかり応えて戦ってくれていました。私たちも一緒にプレーしながら、とくに準決勝まではしっかり結果を出すことができました。
――早田選手からすると、平野選手や張本選手に負担がかかることで、ストレスを感じる部分があったかもしれません。3人のチームワークはどのように感じていたのでしょうか。
<早田> プレーの面で引っ張ってもらい、 二人に負担をかけているということには変わりなかったので、どちらかというと私の言葉によって精神的な部分で少しでも二人の負担が減らせればいいなと思っていました。試合前夜には、次の日にどうやって戦っていくか、どういった気持ちで試合しようということをLINEで送っていたので、そういったところで少しでも負担になっていなかったらいいなと願っていました。
――きちんとコミュニケーションをとって、かえって信頼関係が深まるようなところもあったのかもしれないですね。
<早田> そうですね。2月の世界選手権から団体も組んできて、3人が3人のことをそれぞれお互いにある程度分かり合えてきました。干渉し過ぎることもなく、本当にいい距離感で一緒にいて、試合ができていたと思います。
――まだまだお話を伺いたいところなのですが、残念ながらお時間になってしまいました。本当にお疲れのところ、ありがとうございました。これからも頑張ってください。おめでとうございます。
<全員> ありがとうございました。
早田ひな(はやた・ひな)
2000年7月7日生まれ。 福岡県出身。4歳から卓球を始める。20年全日本選手権の女子シングルスでは初優勝を果たす。21年東京2020オリンピックではリザーブとして帯同しTEAM JAPANを支えた。その悔しさをバネに新エースとしての飛躍を続け、パリオリンピック選考レースでは圧倒的な強さでトップを独走し、初めてのオリンピック出場権を獲得。24年パリ2024オリンピックでは女子シングルス準々決勝で左腕を痛めるが銅メダルを獲得。女子団体でも銀メダル獲得に貢献した。日本生命保険相互会社所属。
平野美宇(ひらの・みう)
2000年4月14日生まれ。山梨県出身。母が指導する教室で3歳から卓球を始める。13歳の時にドイツオープンに同い年の伊藤美誠選手と組んだ女子ダブルスで出場し、ワールドツアー史上最年少で優勝。16年リオデジャネイロ2016オリンピックではリザーブとしてチームに帯同した。17年アジア選手権では中国選手を破って頂点に立つ。21年東京2020オリンピックでは女子団体メンバーに選出され、銀メダル獲得に貢献。24年パリ2024オリンピックではシングルス代表となり5位入賞。チーム一丸となって臨んだ女子団体では銀メダル獲得に貢献。木下グループ所属。
張本美和(はりもと・みわ)
2008年6月16日生まれ。宮城県出身。2歳から卓球を始める。20年東京2020オリンピック男子団体で銅メダリストの張本智和選手を兄に持ち、中学1年の時に全国中学校卓球大会女子シングルスで優勝するなど早くから注目を集めた。24年パリ2024オリンピックのシングルスの代表選考レースは4位だったが、選考ポイント対象大会で優勝、全日本選手権で準優勝するなど女子団体メンバーに選出される。女子団体銀メダル獲得に貢献した。星槎国際高校、木下グループ所属。
注記載
※本インタビューは2024年8月11日に行われたものです。
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