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2024.10.08 Paris2024 Medalists’ Voices

心の変化で私は強くなった ー 厳しい戦いを乗り越えて夢舞台の頂点を極めたヒロイン(レスリング・櫻井つぐみ)

高知県民として92年ぶりの金メダリストとなった櫻井つぐみ選手(PHOTO:Enrico Calderoni/AFLO SPORT)

櫻井 つぐみ

オリンピックの出場権を得るのも厳しい挫折の連続だった。厳しい国内選考を乗り越えた先につかんだオリンピック切符。そして、高知県民として92年ぶりの金メダル。それらの栄光を手にした背景には、自らの心の成長があった。

メンタル面での成長実感

――初めて参加したオリンピックで、金メダルを獲得されました。今、どのようなお気持ちか教えていただけますでしょうか。

 女子レスリングは日本選手が強いので、オリンピックに向けた国内予選がすごく厳しく感じました。負けからのスタートだったり、オリンピックに行くのは難しいなと感じたり、苦しいこともたくさんありましたが、そういう戦いを乗り越えて、この舞台で活躍できて、金メダルをもらうことができて、本当に頑張ってきて良かったと思います。

――金城梨紗子選手や南條早映選手など、日本人選手の層が厚い分、オリンピックの舞台以上に国内選考の方が厳しいという側面もありましたよね。そうした困難とはどのように向き合ってきたのでしょうか。

 最初に南條選手に負けてしまい、その後はもう負けたらほとんどオリンピックの可能性がないという状態でした。自分自身、本気でオリンピックを目指そうと思っていましたが、周りの選手たちの熱意もすごかったので、やはりもっともっと本気じゃないとダメだと感じて、レスリングだけではなく栄養面やメンタル面など、いろいろな面に関して自分の中でも変化させて再スタートしました。その成果が出て、半年後の全日本選手権では梨紗子選手や南條選手に勝つことができました。その後のプレーオフでも、南條選手をラスト1秒で自分が逆転するという形で勝ちました。試合もすごく苦しかったですし、試合前の練習もすごく苦しくて、「こんなにやらないとオリンピックに出場できないのか」と思いました。でも、周りも一緒になって一生懸命に自分をサポートしてくれたので、自分がやるしかないと思えて、国内予選を乗り越えることができたかなと思います。

――そういう選考レースを通じて、自分の中で変わった、成長したと実感するのはどのようなことですか。

 やはりメンタル面かなと思います。今までメンタルはもう気合でカバーするしかないという感じでした。でも、紹介していただいたメンタルコーチから、試合に挑む前の考え方や、自分のやる気を試合ですべて出すための方法、レスリングのことだけではなく自分自身のことや相手のパターンを分析することなどを学びました。もちろん最後は気持ちの面で負けないということも大事なのですが、専門家と向き合うことで自分自身をすごく変えることができたと思います。

育ててもらった恩師たちへの感謝

――今大会、試合を観ていた私たちは危なげない強さを感じていました。ご自身の手応えはいかがでしたか。

 国内予選もそうでしたが、2024年4月の国際大会でも負けました。オリンピックで勝つためにその試合に出たつもりでしたが、負けたことで、取り組みの甘い部分に気づくことができて、そこからまた自分自身も変わったと思います。自分が世界一になった次の年なので、外国人選手はみんな研究して対策もしてくるでしょうけど、そういう相手に対して、一瞬でも隙を見せたらそこでやられてしまいます。負けたことでそういう隙がまだあったことに気づくことができました。オリンピックで勝つためにも、負けたからこそ「ここで変わろう」と思えましたし、周りの方もそういうことに気づかせてくれたので、育英大学でレスリングをできて良かったと思います。ずっと勝ち続けてきたわけではなく、負けるたびに成長できていますが、それもオリンピックで優勝するためにあった試練だったのかなと感じます。

――レスリングという競技も必ずどちらかが負けてしまうわけですからね。当たり前ですが、みんな勝ちたいと思って一生懸命戦いますが、最後まで勝ち切れるのはたった一人です。敗北をその先に活かせてきたことが、櫻井選手が金メダルを獲得できた要因かもしれませんね。今回金メダルを獲得できた一番のターニングポイントはどこだったのでしょうか。

 やはり、負けをきっかけに変われたことが、自分にとって一番良かったのかなと思います。このオリンピックで勝つために合宿などにも参加してきました。オリンピック前に負けて、そこからはい上がる、きつい練習を乗り越える、そういう経験ができたことが金メダルをとれたポイントだったと思います。

――優勝直後にスタンドに上がりました。お父様や育英大学の柳川美麿監督とハグして、写真を撮っていました。お二人は櫻井選手にとってどのような存在ですか。

 高校まではずっと父に指導してもらってきました。高校生の時は嫌で、反抗したこともありましたが、自分のレスリングの土台をつくってくれたのも、オリンピックを本気で目指そうと思うきっかけをくれたのも父です。高校まで高知県でしたが、高知にはオリンピック選手がいたわけでもなく、レスリングが元々強かったわけでもないのですが、いろいろな場所に遠征に連れて行ってくれたり、高いレベルを目指して指導してくれたり、それで今があると思います。自分の夢であり、父の夢でもあるこのオリンピックの舞台で、活躍する姿を見せられて、喜んでもらって、本当に良かったという気持ちです。
 柳川先生は、中学生くらいの頃から知っていたのですが、本格的に指導してもらったのは高校3年生くらいからです。自分以上に自分のレスリングを分かってくれていて、調子があまり良くない時も「ここができていない」などいつもと違う場所を指摘してくれます。自分だけではここまで来られなかったですし、一番近くで指導してもらって今があると思います。先生自身もオリンピックで優勝するためにいろいろなことを犠牲にしてくれていたので、喜んでいる姿を見て自分も本当にうれしくなりました。

櫻井つぐみ選手は「負けるたびに成長できた」と強調する(PHOTO:Enrico Calderoni/AFLO SPORT)

故郷に錦を飾るオリンピックの金メダル

――高知県出身の金メダリストは92年ぶりだそうですね。

 聞きました。そうらしいですね。オリンピックに出場する方がいてもメダルには届かずに終わったり、 そもそも近くにオリンピアンがいなかったりという感じでした。それでもオリンピックを本気で目指せるように、吉田沙保里選手の元に稽古に行かせてもらったり、近くで見られる環境をつくってもらったりしました。あらゆることが、この金メダルのためにしてくれていたんだと実感していますし、高知からでもオリンピックを目指せるんだと高知の子どもたちにも知ってもらいたいなと思います。

――櫻井選手が、身近なオリンピアン、身近な金メダリストとして地元に貢献する時がきましたね。

 本当にそうですね。自分が思っている以上に、周囲の皆さんはオリンピック選手のことをすごいと感じてくださるので、自覚を持ってもっと人としても成長していけるように頑張りたいと思います。

――オリンピックに出場して感じた他の国際大会との違いがあれば教えていただけますか。

 会場の雰囲気は、世界選手権などとはまた違った盛り上がりでした。他国の選手も応援してくれたり、日本のレスリングを知らない人も応援してくれたり、試合をしていても盛り上がっていることを本当にすごく感じました。そういう試合は初めてで、試合をしていて楽しかったですし、オリンピックっていいなと思いました。

――ありがとうございます。ぜひ、少しリフレッシュしていただければと思います。おめでとうございました。

 ありがとうございました。

櫻井つぐみ選手(PHOTO:Enrico Calderoni/AFLO SPORT)

■プロフィール

櫻井つぐみ(さくらい・つぐみ)
2001年9月3日生まれ。高知県出身。3歳からレスリングを始める。14~16年全国中学生選手権で3連覇を達成する。16年世界カデット選手権で優勝した。19年全日本女子オープン選手権55kg級で優勝、全日本選手権2位。20年クリッパン女子国際大会でシニアの国際大会初優勝を果たし、同年の全日本選手権女子55㎏級で初めて頂点に立った。21年世界選手権女子55㎏級に初出場し初優勝。同年の全日本選手権は57kg級に階級を上げ、前年に続き優勝した。22年アジア選手権女子57㎏級で初の国際大会で優勝を果たし、同年の世界選手権に出場し2階級制覇を達成。23年世界選手権女子57㎏級で3連覇し、オリンピック代表に内定。24年パリ2024オリンピックでは、57㎏級で金メダルを獲得した。育英大学助手。

注記載
※本インタビューは2024年8月10日に行われたものです。

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