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2024.10.08 Paris2024 Medalists’ Voices

特別な景色を目にして ー ひまわりを愛する笑顔のヒロインが夢のステージで手にした栄冠(レスリング・鏡優翔)

レスリング女子フリースタイル76kg級金メダリストの鏡優翔選手(PHOTO:Kazuyuki OGAWA/PHOTO KISHIMOTO)

鏡 優翔

パリ2024オリンピックを締めくくる最後の金メダリストは、笑顔が似合う女子フリースタイル76kg級の鏡優翔選手。仲良しと公言する53kg級金メダリストの藤波朱理選手と喜びを分かち合う姿も印象的だった。オリンピック表彰台の上から彼女が目にした景色とは。

盟友・藤波朱理選手との祝杯

――金メダル獲得、本当におめでとうございます。少し時間が空きましたが、改めてどんなお気持ちでいらっしゃいますか。

 そうですね、金メダルが決まった瞬間は、「ほんとに?」「私が金メダリストになったの?」というような気持ちが強かったです。でも周りの人がすごく喜んでくれていたので、その雰囲気で「私が成し遂げたんだ」というのを実感しました。今は自分の手元にオリンピックの金メダルがあります。練習の時から「これを絶対勝ちとる」と思って写真で見ていたオリンピックの金メダルの重さをずっしりと感じつつ、それが手元で輝いているので、本当にうれしいですし、実感がじわじわと湧いてきたところです。

――これまではレスリング女子最重量級の金メダルに手が届かず、史上初の金メダルということになりました。どのような思いですか。

 初めてという言葉や、特別というのが本当に好きなんです。連勝記録などはなかなか超えるのが難しいですが、最重量級初のメダルという、誰も成し得なかったことを、私が今、達成することができたのはすごくうれしいです。

――帰国された空港での出迎えもすごかったですね。

 はい。やはり、オリンピックならではですよね。注目されている中で、今大会最後の競技で最後の金メダルを獲得したことで、すごくたくさんの方から「おめでとう」と言ってもらいました。競技を通してすごく感動したとか、涙したとか、私が関わったことない方々でも泣いて喜んでくださったのがすごくうれしかったです。改めて、オリンピックは本当にすごく影響があると実感しました。

――父、兄、ババ、おば……。皆さん、顔に続柄を書いて応援されていたユーモアあふれる鏡家も注目を集めました。ご家族の応援は支えになっていましたか。

 そうですね。海外の試合で、今回初めて家族が揃ったんです。父も兄も「オリンピック以外は観に行かない」と言っていて、海外まで観に来てくれたのは初めてでした。姿を見せることができてうれしかったですし、私が好きなひまわりでいっぱいにしてくれた応援は心強かったです。ユーモアある父と兄というのも試合当日に知ったのですが、そのおかげで「面白いな」と思えて、緊張も緩んで助けられました。

君が代が会場に流れる幸せ

――金メダルをとった後は、藤波朱理選手とシャンパンで祝杯を挙げたと伺いました。

 試合へと出発する前に、「シャンパンがあるよ」と朱理に言われたので、「私、勝ってくるから冷蔵庫で冷やしておいて」と伝えました。帰ってきて、閉会式もありましたが、すぐに急いで帰ってきて、部屋のみんなで乾杯しようということになりました。空港でも二人でシャンパンを開けて乾杯しました。

――藤波選手が金メダルを獲得した時、スタンドから抱き上げて祝福していた姿もすごく印象的でしたね。

 「おめでとう、よく頑張った!」と声をかけると、朱理からは「次は優翔さんの番だよ」と言われて、私も「絶対、次は私がやるね」と返しました。私が金メダルをとった時も「本当にやった!」と喜ぶと、「優翔さん、やったね!」と、そんなふうに言葉を掛け合っていました。

――パリ2024オリンピックではレスリングチームがすごく好調でしたし、TEAM JAPAN全体としても活躍が続きましたよね。最後まで自分だけが出番を待っている間、重圧を感じませんでしたか。

 たしかに、重圧から解放されて日本に帰っていく選手や、フランスの街並みを楽しんでいる選手もいましたから、最後の最後というのは本当につらかったです。「いいな」と思いながら、もしかしたら私が最後の金メダルをとることになるかもしれない。まさに大トリ、こんな素晴らしい舞台が私のために整っている。パリの街並みを楽しむよりもきっといいことだと思って、それをかみしめながら「私にしかできない」と思っていました。

――試合は接戦続きでした。戦っている手応えはいかがでしたか。

 試合はロースコアでしたが、自分としては相手にポイントを取られる気がしなかったですし、焦りもそれほどありませんでした。自分がやってきたことにすごく自信があったからこそ、冷静に試合を運べたと思います。

――表彰台から見た日の丸と流れる君が代。どんなお気持ちでしたか。

 オリンピックの舞台で君が代を流せたことはすごく幸せに感じました。しかも、皆さんが私に一番注目してくれていて、今まで感じたことのない特別な景色でした。

鏡優翔選手は金メダルを決めるとコーチを担ぎ上げて喜びを爆発させた(PHOTO:Kazuyuki OGAWA/PHOTO KISHIMOTO)

自らの価値を上げるために

――「タックルに入る時に光が見えるようになった」という発言もありました。タックルについて、ご自身はどんな思いを持っていますか。

 私は小さい頃から「タックルで勝て」と言われて、何百本、何千本とタックルに入る練習を積み重ねてきました。「私のタックルが強い」ということをしっかり証明できたかなと。タックルこそが正義だと思っているので、オリンピックという舞台でたくさんの注目が集まる中で、それを発揮できたことはすごくうれしかったです。

――5月にはケガもされましたが、その当時のお気持ち、それをどう乗り越えてきたのかをお聞かせいただけますか。

 ケガしてしまった瞬間は「どうしよう」と思ったのですが、すぐに「オリンピックには間に合うだろう」と自分でもすぐに判断できたので、とにかく前向きに考えようと思いました。少しだけ落ち込みましたが、「必然だ。これは私に何かを教えてくれることだ」と思うようにして、自分を信じて、周りも信じてリハビリにも毎日通いました。レスリングを見ることでも何か変わることが期待できるだろうと思い、毎日道場で見学するようにしていました。小さなこと、できることを積み重ねて乗り越えてきました。

――タレントの古賀シュウさんが、鏡選手の顔まね写真を投稿されていましたが、それもすぐにリポストしていらっしゃいましたよね。SNSも積極的に、上手に使われている印象を受けます。

 SNSは、いろいろな書き込みをしてくる人もいますが、自分のことを知ってもらうためにも本当にいいツールですよね。古賀シュウさんのことも、私はまねされるようになったことがすごくうれしかったのですが、周りの人がどう思うかわかりませんでしたし、「それはまずい」と言ってしまう人もいるかもしれなかったので、あえて「私は喜んでいますよ!」ということを早めに伝えていい方向に持っていきたいと思ったんです。自分の価値を上げるためのツールとしてSNSを活用しています。

――最後に、何かアピールしておきたいことはありますか。

 私は、おしゃべりが好きだったり、バラエティ番組やお笑い系が好きだったりするので、そういうものにたくさん呼ばれたらうれしいなと思っています。

――これからもたくさんの夢をかなえてください。そしてその明るさで、レスリングの素晴らしさを伝えていってくださいね。

 はい。頑張ります。ありがとうございました。

鏡優翔選手(PHOTO:Kazuyuki OGAWA/PHOTO KISHIMOTO)

■プロフィール

鏡優翔(かがみ・ゆうか)
2001年9月14日生まれ。栃木県出身。全国少年少女選手権5度優勝。JOCエリートアカデミーへ進み、17~19年にインターハイ3連覇を達成した。19年の全日本選抜選手権女子76kg級では2位。同年、全日本選手権では68㎏級に階級を落として、東京2020オリンピックの代表入りを目指したが、初戦で敗れて代表切符獲得ならず。20年全日本選手権では76㎏級に戻して優勝する。21年の全日本選手権と22年全日本選抜選手権で勝利し、世界選手権に初出場。同大会の女子76㎏級で銅メダルを獲得。23年世界選手権では女子76㎏級で初の世界一となる。24年パリ2024オリンピック女子76㎏級で優勝。日本史上初となる女子最重量級でのオリンピック金メダルとなった。サントリービバレッジソリューション(株)所属。

注記載
※本インタビューは2024年8月14日に行われたものです。

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