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2024.10.08 Paris2024 Medalists’ Voices

ケガの痛みを乗り越えて ー ライバルたちのリスペクトや「チームひな」のありがたさを胸に(卓球・早田ひな)

卓球女子シングルスで銅メダルを獲得した早田ひな選手(PHOTO:Koji Aoki/AFLO SPORT)

早田 ひな

東京2020オリンピックではリザーブの難しさを経験した。TEAM JAPANのエースとして臨んだパリ2024オリンピックでは思わぬ腕のケガに苦しめられることになった。苦難を乗り越え、銅メダルを獲得した早田ひな選手に本音を聞いた。

活かされたさまざまな経験

――東京2020オリンピックの時は新型コロナウイルス感染症の影響もあり、無観客というシチュエーション、またリザーブでの参加となりました。当時、そして今回、それぞれどのような思いで戦っていらっしゃったのでしょうか。

 東京2020オリンピックはリザーブでの帯同でした。ただ、新型コロナウイルス感染症が流行っていた時期だったので、いつどこで、3人のメンバーが感染するか分からないという危機感は感じていました。3人をサポートしながら、でも、自分の練習もめちゃくちゃ追い込んでやっていたので、体重も落ちたり、睡眠も削られたりしていました。それでもやはり、リザーブを経験できてよかったと思います。パリ2024オリンピックは自分自身が選手として出場する立場になって、リザーブで参加した木原美悠選手の立場はすごく気持ちがわかります。そうしたさまざまな皆さんが裏で動いてくれているからこそ、私たちが元気にプレーすることができたわけですよね。自分一人ではここまでは来られなかったですし、オリンピックの舞台にも立てなかったですし、こういった結果を出すこともできなかったと思うので、本当にたくさんの方に感謝したいです。

――国内選考もすごく大変な戦いでしたが、早田さんは圧倒的な強さで1枠目を勝ち取りました。日本のエースという立場ゆえの期待感をプレッシャーに感じませんでしたか。

 勝負の世界ですから、どうしても1位、2位、3位と結果が出てしまいますが、今回の試合でも、私がダブルスに回れるくらい他の二人もエース級に強い選手ですし、それが私たちTEAM JAPANの強さだと思います。2年間の選考レースは良い時ばかりではなく、体調不良のまま試合をするなど苦しい時期も長かったです。でもそのことは、最後の最後、腕をケガした時に活かされたと思うので、本当にすべてが自分の糧になるオリンピックだったと思います。

左腕のケガを乗り越え3位決定戦に勝利した早田ひな選手は石田大輔コーチとともに喜びを表現した(PHOTO:Koji Aoki/AFLO SPORT)
左腕のケガを乗り越え3位決定戦に勝利した早田ひな選手は石田大輔コーチとともに喜びを表現した(PHOTO:Koji Aoki/AFLO SPORT)

大切なのは勝負だけではない

――準決勝の孫穎莎選手(中国)との試合の中では、試合終わった時に彼女も早田選手を気遣う様子がありました。あの時はどんなお話をされたのでしょうか。

 「腕は大丈夫?」と聞いてくれました。腕を痛めた準々決勝は午後8時からでした。試合が終わって、翌日の準決勝が午後1時開始と本当に短い時間しかなかったので、準決勝が一番痛みがひどくて、本当に何もできないような状況でした。相手にも異変があることが伝わっていたでしょうし、全然いいパフォーマンスが出せていないことも見て分かっていたと思います。彼女も私の腕のことを心配してくれて、お互いにリスペクトを持ってこの舞台で戦っているというのは改めて思いましたし、勝負の世界ではありますが、大切なのは勝負だけじゃないなとも感じました。

――その痛みは、これまでに経験したことがないようなものだったのでしょうか。

 そうですね。腕のケガは初めてだったので、痛みの感覚や、どのくらいの重症度なのかが判断ができず、どうすることもできませんでした。でも、本当にたくさんの方が手を貸してくださって、いろいろな治療法を試すことである程度のところまで改善しました。皆さんの力がなかったら、団体戦はもしかしたら棄権していたかもしれないですね。

――そのような中で1日空いて、治療して、銅メダルを獲得しました。シン・ユビン選手(韓国)との3位決定戦は、どのようにケガを乗り越えて戦ったのか、ぜひ教えてください。

 3位決定戦の前も準決勝と同じような痛みがありました。第3シードで臨めていたわけで、本来であれば実力的にも対戦成績的にも有利な相手だったのですが、でもあの状態ではもうほとんど試合もまともにできないという感じでした。でも「チームひな」の皆さんが金メダルをとるその日のために頑張ってきてくれていたのに、こんな状態になってしまって申し訳ないという気持ちで、自分に対する不甲斐なさを痛感していました。一人でいる時は気づいたら涙が出てくるような状態でしたし、今思い返しても涙が出そうになるくらい本当に苦しかったです。でも治療してもらって、試合が始まる 5〜10分前にドクターに注射を打ってもらったのですが、それで「もしかしたらいけるかも」というところまで感覚が戻ってきたので、もうあとは最後まで自分を信じて戦うしかないと思いました。どんな状況でもとにかくこのコートに立てることが幸せだと思って、最後までプレーできたらいいなと考えていました。銅メダルをとれたことは本当に奇跡のようですし、いろいろな方に恩返しができたと思います。

――つらいことを思い出させるような話になってしまって申し訳ありません。感動をいただき、ありがとうございます。そして、本当におめでとうございます。

 ありがとうございました。

早田ひな選手(PHOTO: AP/AFLO)
早田ひな選手(PHOTO: AP/AFLO)

■プロフィール

早田 ひな(はやた・ひな)
2000年7月7日生まれ。 福岡県出身。4歳から卓球を始める。20年全日本選手権の女子シングルスでは初優勝を果たす。21年東京2020オリンピックではリザーブとして帯同しTEAM JAPANを支えた。その悔しさをバネに新エースとしての飛躍を続け、パリオリンピック選考レースでは圧倒的な強さでトップを独走し、初めてのオリンピック出場権を獲得。24年パリ2024オリンピックでは女子シングルス準々決勝で左腕を痛めるが銅メダルを獲得。女子団体でも銀メダル獲得に貢献した。日本生命保険相互会社所属。

注記載
※本インタビューは2024年8月11日に行われたものです。

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