舟久保遥香選手が目指した頂点への道は、地元フランスのサラレオニー・シジク選手に阻まれた。しかしそこから気持ちを切り替えて敗者復活戦に挑み、見事に銅メダルを獲得した舟久保選手。彼女はどのような思いで戦っていたのか、話を聞いた。
――個人での銅メダル、そして混合団体での銀メダル、おめでとうございます。振り返って、率直なお気持ちをお聞かせいただけますでしょうか。
本当に悔しい結果になりましたけど、良い経験をさせてもらえました。これを次に活かしていきたいと思います。
――敗れた準々決勝はサラレオニー・シジク選手(フランス)との対戦でした。力を出させてもらえなかったというところもあったのでしょうか。
そうですね。本当に何もできずに終わってしまって悔しかったです。
――敗者復活戦に向けて気持ちを切り替えていくのも難しいことだと想像します。舟久保選手はどのように切り替えていったのでしょうか。
近くで支えていただいている方々が本当に盛り上げてくださって、頑張ってメダルをもらって帰ろうと思いました。いろいろ考えずに、目の前の一戦にとにかく集中することだけを考えました。
――そうやって集中しようという時、具体的にはどのような行動をとるのでしょうか。
すみません。具体的に決めていることはとくにないんです。ただ寝たり、ボーッとしたりという感じです。
――混合団体では、舟久保選手の前で試合が決着して、ちょうど出番が回ってこないような巡り合わせになりましたよね。出番を待っている間、どのような気持ちでスタンバイしていたのでしょうか。
順番が回ってきて、絶対自分が勝って決めるんだという気持ちで準備していました。ただ、本当に皆さんが強かったので私の出番はなく、そして、皆さんのおかげで銀メダルをとることができたかなと思います。
――個人戦と団体戦で意識の違いみたいなことはありましたか。
試合で戦うこと自体は1対1なので変わらないのですが、 チームで勝たなければいけないので、「次につなぐ」という気持ちで団体戦は戦っています。
――柔道が盛んなフランスで行われたパリ2024オリンピックでした。観客もみんなが歌っていて、柔道の試合ではあまり見られないような会場の雰囲気に感じました。戦っていた舟久保選手はどのように感じていましたか。
柔道が人気のある国ということもあって、今までにない盛り上がりを感じたのですが、本当にそれが新鮮でした。私はあまり気にすることなく、勝手に自分の応援だと受けとって戦っていました。
――オリンピックという大会に初めて参加してみて、どんなことを感じましたか。
今回負けて味わった悔しさは、他の大会では味わえない経験でした。それでも、それはこのオリンピックに出なければ得られなかったものだとも思います。オリンピックは特別な場所でしたし、また挑戦したいなという気持ちになりました。
――これからもぜひ舟久保選手らしく、柔道を楽しみながら頑張ってください。応援しています。おめでとうございます。
ありがとうございます。
舟久保遥香(ふなくぼ・はるか)
1998年10月10日生まれ。山梨県出身。友人の影響で6歳の時に柔道を始める。2015年、高校2年時に世界ジュニア選手権で初優勝を飾る。寝技での一本勝ちが多く、とくに「舟久保固め」と呼ばれる独自の抑え込み技を得意とする。21年グランドスラムパリでIJFワールド柔道ツアー初優勝、その後も国内外において数々の大会に出場し結果を残す。24年パリ2024オリンピックでオリンピック初出場を果たすと、57kg級で銅メダル、混合団体で銀メダルを獲得。三井住友海上火災保険株式会社所属。
注記載
※本インタビューは2024年8月4日に行われたものです。
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