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2024.10.08 Paris2024 Medalists’ Voices

世界一のチームワーク ー フェンシングの母国で歴史をつくる銀メダリストたち(フェンシング・男子エペ団体)

フェンシング男子エペ団体で銀メダルを獲得したTEAM JAPAN の4選手(PHOTO:AFLO SPORT)

フェンシング 男子エペ団体

東京2020オリンピックで日本フェンシング界に初の金メダルをもたらした男子エペチーム。パリ2004オリンピックでの連覇を目指した4人を支えたのは世界一と自認するチームワークだった。死力を尽くして戦い抜いた4人の率直な思いを聞いた。

勝ててうれしくて、負けて悔しくて

――銀メダル獲得、おめでとうございます。

<全員> ありがとうございます。

――TEAM JAPANとしては連覇を狙っていたと思いますので、悔しい気持ちも大きいかとは思いますが、一言ずつ率直な感想をいただければと思います。

<古俣> 銀メダルとなり、金メダルをとれなかった悔しさはあるのですが、それでも自分にとってはずっと目標にしてきたオリンピックで、初めて獲得したメダルなので、とてもうれしい気持ちが強いです。

<山田> 勝ててうれしくて、負けて悔しくて。そういう感情もあるのですが、一通り終わってみて一番残っているのは楽しかったなという気持ちでした。

<見延> 勝ちだけ、金メダルだけ、連覇だけを目指して挑んできたので、やはり非常に悔しいです。ただ、他の3人全員が最後まで諦めない姿勢で食らいついて非常にいい試合をしてくれました。そういう3人の姿を見ると、悔しさもありますが、価値のある銀メダルだと感じています。

<加納> 個人と団体では全く違う雰囲気だったので、また違った緊張感がありました。個人戦は負けても勝っても自分の問題ではあるのですが、団体戦は自分一人の問題ではなく、他の選手のためにつないでいかなければいけないという大きな違いがあります。終わってみれば楽しかったのですが、大変に感じた部分もありました。

――チェコとの準決勝では攻め込まれるシーンもありましたし、ハンガリーとの決勝では最後同点となって、東京2020オリンピック銀メダリストでもあるゲルゲイ・シクローシ選手との一本勝負(1ポイント先取の1分間の延長戦)にもつれる展開となりました。観ている側もハラハラドキドキの試合でしたが、アンカーを務めた加納選手はどのような気持ちで戦っていらっしゃいましたか。

<加納> 最初の2試合はアンカーではなかったので、「アンカーにできるだけリードして回したい」という気持ちで戦っていました、決勝で一本勝負まで持ち込むことができたことは、僕の中でも一つ良かったことなのですが、でもあそこまでいったら、最後は勝ち切らなければいけなかったので悔しさが残りますね。相手は追いつかれた側で、メンタル的にはきつい面もあったと思うのですが、そこはさすがシクローシ選手、メンタルが全然崩れていなかったですね。

――東京2020オリンピックの金メダリスト、ディフェンディングチャンピオンとして、パリ2024オリンピックを迎えることになりました。山田選手と見延選手は、前回とは違うお気持ちを感じていたのでしょうか。

<山田> 僕自身は、正直なところ、ディフェンディングチャンピオンということをそこまで気にしていませんでした。というのも、東京2020オリンピックには開催国枠で出場できましたが、今回は自力で出場権を獲得してオリンピックに挑む1回目のチャレンジだと思っていたからです。僕は「金メダルを絶対とらなくては」「とらないとまずい」みたいな感情よりは、どちらかといえば、「いつもみたいに楽しんで、みんなで金メダル目指そうよ」というような感情で試合に臨むことができました。

<見延> 僕も、ディフェンディングチャンピオンというよりは、チャレンジャー精神を持って挑んだ大会でした。東京2020オリンピックの時と比較しても、新しく古俣選手が入ってチームのメンバーも変わっていましたし、さらにその下にもたくさんの候補選手がいました。今回サポートとしてパリに来ている選手も数人いて、彼らも含めて一つのチームだと思っていますが、そういうサポートの面も含めて東京2020オリンピックとは全く違う新しいチームだったこともあり、チャレンジャー精神を持って挑んでいました。

加納虹輝選手(PHOTO:MATSUO.K/AFLO SPORT)
見延和靖選手(PHOTO:MATSUO.K/AFLO SPORT)

緊張を乗り越えて

――フェンシングが国技のフランスで開かれたオリンピックで、舞台は歴史あるグランバレーでした。本当に大きな歓声に包まれていましたが、東京2020オリンピック経験した3人の皆さんと、初のオリンピックだった古俣選手と、それぞれどんな思いを持って戦っていましたか。

<加納> 会場自体は個人戦と変わらないので、その時に思った通り本当に素晴らしい舞台で、「ここでフェンシングができるのは幸せだな」と思いました。歓声が大きすぎて、なかなか声が届かなかったほどで、団体戦はとくに個人戦以上に歓声がすごかったという印象です。
 僕はそこまで歓声を気にすることなく試合に集中しているタイプなので、東京2020オリンピックの時と大きく変わりを感じなかったという面もあるのですが、それでもやはり大きな歓声があるほどオリンピックという感じがしますよね。観ている方々もすごく楽しめるでしょうし、歓声が大きい方がフェンシングの魅力もより伝わって楽しいかなとは思いました。

<見延> 今回フランスでの大会だったのでさらに特別だったと思います。有観客でのオリンピックは2016年にリオデジャネイロでも経験しましたが、今回はその時以上の盛り上がりでした。フランス人はフェンシングをよく理解しているというのがすごく伝わってきましたし、僕としては、オリンピックはやはりこういう声援のある中でできる試合がいいなと思いましたね。

<山田> 加納選手同様、僕も基本的には試合に集中していると歓声は聞こえていないのであまり気にならないのですが、今回特殊だと思ったのが、試合中に観客の方々が国歌を歌っていたことです。普段絶対にないので不思議な感じがしました。観客の皆さんが、フランス人選手だけではなく、私たち日本人選手も応援してくれていて、この場所でこうやって応援してもらえて盛り上がれるのもフランスだからこそだなと思いましたし、いつか日本もああなったらいいなと思いながら試合をしていました。

<古俣> 自分は東京2020オリンピックを経験していないので比較はできないのですが、歓声の大きさでいえば、自分が今まで経験してきた中でも一番すごかったです。フェンシングの本場フランスで、オリンピックという舞台で、もしかしたら今後一生経験することがないかもしれないというレベルの歓声の大きさでしたから、そういう中で試合ができたことを幸せに感じながらプレーしていました。

――古俣選手は、いつか順番が回ってくるとは想像しながら、実際いつ来るかわからない中でプレーしていると思います。このオリンピックという大舞台でのリザーブというポジション、どのように心の準備をしていたのでしょうか。

<古俣> どのタイミングで出てもいいようにと構えていたつもりだったのですが、やはりいざ自分が出るとなると、本当にガチガチに緊張してしまいました。実際、うまくいかない部分もありましたが、「いつでも出られるように」という気持ちではずっと準備はしていました。

――「ガチガチに緊張して」というのはスポーツ、しかもオリンピックとなるとかなり特別でしょうが、「緊張する」というシチュエーションは、子どもたちも含めて、読者の皆さん誰にもあると思います。実際、どのように乗り越えると良いのでしょうか。

<古俣> 自分は「緊張しい」なので、緊張して試合に入ることは当たり前のこととして、そういう心構えを持って試合には望みました。緊張してしまうこと自体は仕方のないことです。ただ、緊張することによって何か悪い行動に変わり、それによって結果が悪くなってしまうことが問題なのだと思っています。1戦目、2戦目は緊張で体が動かなかったので、その行動の部分を意識して、どの部分が悪くて今結果が出ていないのだろうかを考えながら、決勝戦に向けて改善を試みていました。

――見延選手は、東京2020オリンピックでも宇山賢選手と交代するシーンがありました。パリ2024オリンピックでも古俣選手へのスイッチとなったわけですが、リザーブと交代になる場面では、悔しい気持ちもよぎるのではないかと想像します。ご自身の中ではどのように整理されていたのでしょうか。

<見延> 団体戦は3人が戦う種目ですが、実際にはリザーブを含めた4人が必ず出場して戦うものです。ですから、途中で代わるからといって、僕が何か特別に思うことはありません。交代するということでいえば、古俣選手が絶対に出ることも前日から分かっていましたし、1試合目から交代することも全然ありえるということを、古俣選手とはずっと話していました。そして、もしかしたらそれが決勝になるかもしれないという話もしていました。古俣選手も「どのタイミングでも準備はできていた」と話していましたが、僕の方も「いつ交代してもいい」という心構えができていたと思います。そして、ベンチに下がった後も、剣を持たないからといって戦うのが終わったわけではありません。よく「みんな戦う気持ちで応援してほしい」と応援する人たちに言います。自分を含めた観客もそうですけど、たとえ剣を持つことがなくても、ただ一緒に応援するだけではなく、僕もみんなと同じように闘志を燃やして、試合を楽しみながら、最後まで諦めずに声を出し続けて戦ったという感じでした。

――東京2020オリンピックでは新型コロナウイルス感染症の影響もあって、選手村などでもマスクしていないといけないとか、不自由やご苦労があったのではないかと思います。そういったものがなくなったパリ2024オリンピックでは、何か違いを感じる部分はありましたか。

<山田> 選手がいて、選手村があって、そこに僕らもずっといる。正直なところ、あまり違いは感じなかったです。東京2020オリンピックの時も、選手村における情報しかなく、一般的なニュースは選手村を出てから初めて知るといったことも多かったのですが、今大会も、試合に向けた調整で外出して戻って来るという以外、ほぼ選手村にいる状態です。マスクをつけているかどうかくらいで、ほとんど違いを感じることはなかったですね。唯一違ったことといえば、試合の合間の休みのタイミングで、家族と会う時間があったことです。おかげで、個人戦の時に折れてしまった心をもう一度立て直すことができたという部分では良かった面はありました。

山田優選手(PHOTO:MATSUO.K/AFLO SPORT)
古俣聖選手(PHOTO:MATSUO.K/AFLO SPORT)

同じ釜の飯を食う仲間

――この4人のチーム、どんなところが魅力だと感じていますか。チームメイトをお互いどのように見ているのか教えていただけますでしょうか。

<加納> どういったタイプの選手に対しても、全員が対抗できる力を持っています。みんなが対応力を持っていると思うので、やはりそこは他のチームにはなかなかないところだなと感じています。

<古俣> TEAM JAPAN男子エペチームのチームワークの良さは世界一だと思っています。その部分こそが自分たちのチームの強みかなと思います。

<山田> そのチームワークの良さはなぜかという話ですが……、僕からすればみんな家族なんですよね。見延先輩のことを兄のように慕い、虹輝は弟、聖はかわいいペットみたいな感じです(笑)。みんな家族みたいな感じで、プライベートから仲良くて、それがチームワークの良さに繋がっていると思いますし、そこが男子エペの強さの秘訣だと感じています。
 個人戦になればお互いライバル同士ですが、チームメイトの誰が勝ってもうれしい気持ちです。僕は、虹輝が金メダルをとった時の方が、団体戦でメダルをとった時以上に泣きそうになったくらいです。それだけ、僕は個人戦への思いが強いんですよね。個人で勝つと、虹輝も言っていたように孤独を感じるんです。だからその分、一緒に喜んであげたいし、僕自身もうれしい。僕自身は虹輝の金メダルが本当にすごくグッときましたさい、僕にとって本当に一生の宝物になるような1日でした。

<見延> ここまでチームワークのいいチームは、おそらく本当に日本以外ないのではないかと感じています。それはみんなが本当の家族のように慕って、信頼し合っているからだと思います。僕たちは海外遠征に行く時に慣れない食事になってしまうため、コーチが炊飯器を持ってきて、みんなでまさに「同じ釜の飯を食う」を実践しながら一緒に生活をしている、本当に家族のような存在なんですね。今回のように大歓声の中で言葉が届かなかったとしても、心では通じ合えていたと思いますし、ジェスチャーだけでもコーチが伝えようとしていることが伝わってくる。たまに解釈を間違ったりもしますけど(笑)、それでも意図をある程度くみとることができるのは信頼関係が築けているからこそだと思います。

――大変お疲れのところ、お時間をいただいてありがとうございました。フェンシングを、そしてエペを、皆さんで盛り上げてください。おめでとうございます。

<全員> ありがとうございます。

フェンシング・男子エペ団体(PHOTO:MATSUO.K/AFLO SPORT)

■プロフィール

加納虹輝(かのう・こうき)
1997年12月19日生まれ。愛知県出身。2008年の北京オリンピックのフェンシングをテレビで観戦したことがきっかけで、小学校6年の時にフルーレを始める。高校時代にエペの大会で優勝、エペに転向することになった。19年にはワールドカップで優勝。21年東京2020オリンピックでは男子エペ団体で金メダルを獲得した。23年5月、世界ランキング1位になる。同年9月、アジア大会男子エペ個人と男子エペ団体で優勝。24年パリ2024オリンピック男子エペ個人で金メダル、同団体で銀メダルに輝いた。日本航空(株)所属。

見延和靖(みのべ・かずやす)
1987年7月15日生まれ。福井県出身。高校生の時に、父の勧めでフェンシングを始める。2015年ワールドカップで日本男子エペ個人として初優勝。16年リオデジャネイロ2016オリンピックでは初出場で個人戦6位入賞。19年に日本人初の世界ランキング1位となる。21年東京2020オリンピック男子エペ団体で日本フェンシング史上初となる金メダルを獲得。24年パリ2024オリンピック男子エペ団体で銀メダルを獲得し2大会連続となるメダル獲得に貢献。NEXUS FENCING CLUB所属。

山田優(やまだ・まさる)
1994年6月14日生まれ。三重県出身。小学2年でフルーレを始め、中学の時にエペに転向する。2014年世界ジュニア選手権ではエペで日本人初優勝。19年アジア選手権、20年グランプリ大会で金メダルを獲得する。21年、初めてのオリンピックとなった東京2020オリンピックでは男子団体エペで日本史上初となる金メダルを獲得、男子エペ個人では6位入賞。24年パリ2024オリンピック男子エペ団体で銀メダルを獲得し2大会連続となるメダル獲得に貢献。自衛隊体育学校所属。

古俣聖(こまた・あきら)
1998年1月31日生まれ。新潟県出身。5歳でフェンシングを始める、世界選手権出場経験のある父・治久さんの指導で技を磨く。オリンピック初出場となった24年パリ2024オリンピックでは男子エペ団体リザーブとして選出された。リザーブながら初戦、準決勝、決勝のすべてに出場し、ハンガリーとの決勝戦では4ポイントを奪う活躍を見せるなど、銀メダル獲得に大きく貢献した。(株)本間組所属。

注記載
※本インタビューは2024年8月3日に行われたものです。

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