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2024.10.08 Paris2024 Medalists’ Voices

奇跡の連続でつかんだメダル ー 人馬一体でメダル獲得を果たした「初老ジャパン」4人の戦い(馬術・総合馬術団体)

馬術 総合馬術団体で銅メダルを獲得したTEAM JAPAN の4選手(PHOTO:AP/AFLO)

馬術 総合馬術団体

馬術競技でのメダル獲得は、TEAM JAPANとして実に92年ぶりの快挙だった。馬場馬術、クロスカントリー、障害馬術の3種目で総合力を競う総合馬術だが、波乱万丈の戦いを乗り越え、オリンピックメダリストの座にたどり着いた自称「初老ジャパン」の4人に話を伺った。

愛馬のトラブルを乗り越えて

――「バロン西」こと西竹一さんが1932年ロサンゼルスオリンピックで金メダルを獲得して以来、馬術でのメダル獲得は92年ぶりということになりました。歴史をつくった皆さんからぜひまずは一言ずつご感想をいただいてもよろしいでしょうか。

<戸本> おっしゃっていただいた通り、92年ぶりという数字なのですが、全然実感のない数字なので、僕自身は、日本馬術会史上初と思っていただいていいんじゃないかと思うぐらいの気持ちです。本当に自分たちが起こしたことなのか、すごく不思議な感覚です。

<大岩> まだまだ実感が湧いていないのですが、オリンピックでのメダルを目標に何年も時間を費やしてきたので、いつの間にか初老と呼ばれるところまで月日が経ってしまいました。このメダルがとれて、「やっとここまで来た」とホッとする気持ちもありますし、これから何かが始まり、何かを変えられるんじゃないかという気持ちもあるので、今回いい成績を出せたことに対して良かったなと思っていますね。

<北島> 「うれしい」という言葉では表現し切れないくらいのうれしさで、本当にメダルをとったんだなという実感がじわじわと湧いてきるところです。たくさんの方々に支えてきてもらったので、みんなに感謝の気持ちを伝えたいなと思っています。

<田中> 実感はまだ本当に湧いていないですね、ロンドン2012オリンピック、東京2020オリンピックに出場して、そして今大会はリザーブとしての参加でしたが、リザーブでしたが、最終日に出場して4人でメダルをとれたことが最高でした。ここ10年ほど、この4人で世界と戦ってきたので、みんなでメダルをとれたというのがすごくうれしく感じます。

――まさに、そのリザーブの田中さんへとスイッチすることになった話をお聞かせください。北島選手の愛馬が馬体検査の結果、出場できないということになりました。この一連の状況を教えていただけますか。

<北島> 私たちのスポーツ「総合馬術」は馬もアスリートです。馬が健康で安全な状態じゃないといけないので、3種目の中で2回の馬体検査が行われます。1回は始まる前に、そしてもう1回はクロスカントリーの後ということになります。総合馬術は3種目ありますが、中でもクロスカントリーはハードで、馬もケガしやすい状況にあるからです。
 自分が乗っているセカティンカ号は17歳、人に例えると70歳近い高齢になってきています。経験豊富な馬なのですが、人と一緒で、体力的には難しい部分があります。若ければ多少の疲れも関係なく次の日もすいすいと行けちゃうのですが、高齢だとなかなかそういうわけにはいかないんですね。今回、クロスカントリーでゴールは切りましたが、翌日の馬体検査を通せるような完璧な状態ではなかったので交代するという判断になりました。このオリンピックという大きな試合を目標にやってきましたので、この後何カ月かはどの馬も休養に入ると思うのですが、シーズンオフでしっかりこのケガをリカバリして、また来年以降、一からやっていけたらと思っています。

<田中> 第1種目の馬場馬術、第2種目のクロスカントリーが終わり、最後の第3種目が障害馬術となります。クロスカントリーで最も問題が起きる可能性が高いので、リザーブである私たちは障害馬術の日に向けて馬とトレーニングしながら準備していました。「インスペクション」と呼ばれる検査が終わって、その時に「交代する」と言われた時はなかなかのプレッシャーでした。馬体検査がクリアできず20点の減点が課されましたが、それでもメダル圏内とそれほど点差がなかったので「重大な任務だな」と感じて鳥肌が止まらなかったです。

――減点で3位から5位に後退してのスタートになりましたが、「まだ、追いつけるぞ」という気持ちが皆さんの中で大きかったということなんですね。

<一同> はい。

大岩義明選手(PHOTO:AP/AFLO)
北島隆三選手(PHOTO:Naoki Nishimura/AFLO SPORT)

自ら名乗った「初老ジャパン」

――オリンピックへの出場も茨の道でした。皆さんはこのパリ2024オリンピックに向けてどのように心の準備をされてきたのでしょうか。

<大岩> オリンピックの出場権をとるためには、2022年の世界選手権と、翌23年の地域予選と2回のチャンスがありました。世界選手権で権利はとれず、地域予選では前評判的にも日本は大丈夫だろうというような状況で臨んだのですが、いろいろとミスも出まして、権利をとることができませんでした。 ただ、その後に他国のドーピングが発覚して、我々が繰り上がりでパリ2024オリンピックに出場できることになりました。
 世界選手権も、地域予選もダメだったという逆境を経験して、繰り上がりになった時に今まで以上に力が入りました。オリンピックに向けた反省点も感じていましたし、悔しい思いをしたこの逆境があったことによって、我々が強くなれたのではないかと感じています。

――皆さん、同じように感じられていますか。

<一同> はい。

――戸本選手は東京2020オリンピックでは総合馬術個人で4位入賞を果たし、メダルまで本当にもう少しというところまで近づきました。オリンピック競技の中でも、馬とともに戦うというこの特殊性をどのようにお感じでしょうか。

<戸本> おっしゃる通りで、僕は馬がアスリートだと思っています。東京2020オリンピック前に、僕の馬がケガをしてしまいまして、オリンピックには出場できないかもしれないという状況まで追い込まれた経験がありました。パリ2024オリンピックに向けては、「アスリートがケガをしない」ということが何よりも大事だと考えて、馬の調子を上げて勝ちを狙うよりも、とにかくまずは健康でパリまでたどり着くことに注力していました。馬がF1のマシーンだと考えれば、いくらドライバーだけ頑張っていても勝てません。マシンを完璧に仕上げてくれるメカニックなどの存在も重要です。チームに関わる全員が1頭の馬を完璧に仕上げるという共通の認識、共通の目標、ゴールを持ってないとやっぱりたどり着かない結果だったので、僕たち選手たちだけが何かを成し遂げたということではなく、アスリートである馬をチーム全員で最高の状態に仕上げることがすべて。そこに気をつけてやってきました。

――チームも皆さん4人だけということではなく、馬自身も含め、関わる皆さんの総力ということですね。

<戸本> そうですね。おそらくどのスポーツでも一緒だと思うのですが、選手は最後の結果が出る部分だけを担っているに過ぎないと僕は思っています。他のスポーツでいえば、選手をマッサージするトレーナーがいらっしゃったり、栄養士の方がついていらっしゃいたりすると思いますが、 馬術に関しては、馬を見る獣医さんがいたり、馬の足に着けている蹄鉄をメンテナンスしてくれる専門の方がいたりします。そういった方々も含めて一つのチームだと思っています。

――先ほど、大岩選手から「初老」というキーワードが出てきました。「初老ジャパン」という呼び名が話題になっていますが、どういう経緯でそのような呼び名になったのでしょうか。

<大岩> パリ2024オリンピック前に、監督や本部長なども含めてチームで集まって合宿をしました。その際に、いろいろな競技で日本代表は◯◯ジャパンという愛称がついているが、我々は何と名付けるべきかといった他愛のない話をしていたんですね。そして、それではちょっと考えてみようみたいな話になり、その時におそらく監督が言ったのではないかと思うのですが、初老という言葉が出てきたんです。初めは、我々全員昭和生まれが揃っているので「昭和」というワードが出たのですが、「昭和ジャパン」だと会社名のようにも聞こえて分かりにくいと。その他に「初老」も候補にあって、ただそれだと言い方に問題があるかもしれないという話もあったのですが、他に案が出てこなかったので最終的にそのまま収まった感じでした。少なくとも僕は一番年上で、40代後半ですが、この二人(北島選手、田中選手)ははまだ30代です。初老と言われるのは嫌だという気持ちもあるかもしれないので、そこはちょっと申し訳ないなと平均年齢を上げている僕は思います。そのようなことで、おそらく監督が言った言葉がそのまま採用されたというような経緯で、誰かに年寄りが揃っていると言われたわけではないです(笑)。

――なるほど。笑いながら話を聞いている皆さんの雰囲気からも、すごくチームワークの良さが伝わってきます。北島選手はこの仲の良さの秘訣について、どのように感じているのでしょうか。

<北島> 2016️年からここまで8年以上、この4人で一つの目標を目指してやってきました。いろいろな競技会で会うこともありますし、ご飯を食べに行くこともあります。とくに僕から見れば、田中とは一つ屋根の下で生活していますし、 大岩さん、戸本さんのお二人は明治大学の先輩に当たりますので、普段から本当に身近な感じがあります。こうしてずっとやってきているからこそなおさら、仲の良さというか、絆のようなものは生まれてきているのだと思います。

戸本一真選手(PHOTO:AP/AFLO)
田中利幸選手(PHOTO:AP/AFLO)

クロスカントリーを観てほしい

――ベルサイユ宮殿がオリンピック馬術競技の舞台となりました。また、馬術を観る文化も根付いているフランスでのオリンピックというのは、どのような感じだったのでしょうか。

<田中> 本音を言うと、ベルサイユ宮殿に関しては競技場から離れていたので、それほど景色がいいとか、近くでやるという実感が湧かなかったです。ただ、観客は本当にすごかったですね。皆さん馬術をメジャーなスポーツとして知っていて、すごい盛り上がりを感じました。

――東京2020オリンピックの際の無観客と比較すると、違いは大きかったですか。

<田中> 本当に、全然違いましたね。

――ぜひ最後に、なかなか聞かれることがないけれども、本当はこれを伝えたいということがあれば教えていただけますか。

<田中> 馬術がメジャーになってほしいですね。メダルをとったことで、乗馬人口が増えるということには、すごく期待しています。

<大岩> 総合馬術は、順番が馬場馬術、クロスカントリー、障害馬術の順なので、障害が終わるとその後に表彰式になりますよね。そして、その表彰に合わせて、基本的にメディアの方は最終日に来てくださるんです。 でも実は、クロスカントリーが一番見てもらいたい種目なんです。だから、映像や画像はできればクロススカントリーを使用していただいて、迫力を感じてほしいですね。それをぜひ伝えていただきたいと思います。

<北島> たしかに、それは言えますね。

<大岩> 総合馬術のメインは、何と言っても「クロスカントリー」なんです。
 馬場馬術は、日本語だと調教審査などというのですが、まずは馬がどのくらいトレーニングされているかを審査します。そして、クロスカントリーがメインで、障害馬術はその後になります。クロスカントリーによって馬がすごく疲れているのですが、人馬ともに一生懸命走った後に、障害物をいかに飛べるかを競うことになる。あくまで疲れた後の障害なので、総合馬術ではクロスカントリーがメインなんですよね。ここに注目していただきたいですし、観ていても一番楽しいと思います。しかしながら、3種目の真ん中に入ってしまっているので、なかなか観てもらえないんですよね。新聞記事になるのも、最終日の障害馬術のことが多いです。 水に飛び込んだり、飛び降りたり、複雑な障害をクリアしていくところの難しさが面白いと思います。そのあたりが分かるような報道をしていただけると、観ている方にも楽しさが十分に伝わっていくと思います。

<戸本> 大岩選手が言っていただいたことは、僕らも聞いていてたしかにと思いました。

――どうしても、皆さんが表彰されてメダルを持っているような写真になってしまいがちですものね

<一同> はい、そうなんです。

――ありがとうございます。皆さん、本当におめでとうございます。

<一同> ありがとうございます。


馬術・総合馬術団体(PHOTO:Hiroki KAWAGUCHI/PHOTO KISHIMOTO)

■プロフィール

大岩義明(おおいわ・よしあき)
1976年7月19日生まれ。愛知県出身。小学生の時に乗馬を始める。明治大学卒業後、競技から離れた時期もあったが、2000年シドニー2000オリンピックを観て競技に復帰する。イギリス、ドイツを練習拠点に馬術の本場ヨーロッパで活躍し、日本総合馬術界をエースとして牽引。08年北京2008オリンピックで初出場。18年ジャカルタアジア競技大会では総合馬術個人・総合馬術団体ともに金メダルを獲得。北京2008オリンピック以来5大会連続でオリンピックに出場を果たす。24年パリ2024オリンピックでは総合馬術団体で銅メダルを獲得、総合馬術団体では7位入賞。株式会社nittoh所属。

北島隆三(きたじま・りゅうぞう)
1985年10月23日生まれ。兵庫県出身。小学5年で乗馬を始める。中学で馬術に目覚め、高校3年の時に全日本高等学校馬術競技大会に出場し準優勝。明治大学馬術部時代は主将を務め、全日本学生大会14連覇に貢献した。14年仁川アジア競技大会の総合馬術団体で準優勝したのを機に15年から練習拠点をイギリスに移す。18年ジャカルタアジア競技大会では総合馬術団体で金メダルを獲得。16年リオデジャネイロ2016オリンピックから3大会連続でのオリンピック出場を果たし、4年パリ2024オリンピックでは総合馬術団体で銅メダルを獲得に貢献。株式会社乗馬クラブクレイン所属。

戸本一真(ともと・かずま)
1983年6月5日生まれ。岐阜県出身。8歳で初めて馬に乗り、高校時代から本格的に競技を始める。明治大学馬術部時代は主将を務める。日本中央競馬会に入社後は馬に乗れない期間もあったが11年に本格的に競技に復帰。16年には練習拠点をイギリスに移す。18年世界選手権で総合馬術団体4位入賞。21年東京2020オリンピックでオリンピック初出場、ヴィンシー号に騎乗して総合馬術個人で4位入賞を果たす。24年パリ2024オリンピックでは総合馬術団体で銅メダルを獲得、総合馬術団体では5位入賞。日本中央競馬会所属。

田中利幸(たなか・としゆき)
1985年2月2日生まれ。福岡県出身。中学3年で馬術を始める。大学卒業後、総合馬術に取り組む。2011年から練習拠点をイギリスに移す。2012年ロンドン2012オリンピックでオリンピック初出場。14年仁川アジア競技大会の総合馬術団体で銀メダルを獲得。18年世界選手権で総合馬術団体4位入賞。21年東京2020オリンピックにも日本代表として出場を果たす。24年パリ2024オリンピックにはリザーブとして参加、総合馬術団体最終3種目目となる障害馬術に北島隆三選手の代わりに出場し銅メダル獲得に貢献した。株式会社乗馬クラブクレイン所属。

注記載
※本インタビューは2024年7月30日に行われたものです。

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