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フェアプレー

カタリナ・ビット
銀盤の女王、平和への願いを込めて舞う


リレハンメル冬季大会(1994年)のフィギュアスケートは、いつになく注目を集めていました。国際スケート連盟の要望を受け、プロのフィギュアスケーターも1回に限りオリンピック参加が認められるようになったため、シングル、ペア、アイスダンスの各種目に往年のメダリストが続々とエントリーしていたのです。中でも関心が高かったのが、カタリナ・ビットの参加表明でした。

彼女は東ドイツの代表として、サラエボ冬季大会(1984)、カルガリー冬季大会(1988)の2大会連続で金を獲得し、その後はプロに転向してアイスショーなどで活躍していました。「競技の世界ではすでに世代交代が進んでいるのに、2回も頂点を極めた女王がなぜ今さら?」というのが大方の見方でした。ビット自身も「自分に勝つ見込みはないとわかっていた」と後のインタビューで語っています。では、なぜあえて参加したのでしょうか。

「私は、サラエボではじめての金メダルを獲得しましたが、その思い出の地は、(ユーゴスラビア紛争により)破壊されてしまいました。私は平和のメッセージを込めて『花はどこへ行ったWhere Have All the Flowers Gone』を滑ったのです」

戦争への怒りや未来への希望を表現したプログラムは含蓄に富み、ビットの比類ない演技力によって観衆の感動を呼び起こしました。

彼女にとって勝敗は二の次でした。世界中に平和を訴えるために、世界最大のイベントであるオリンピックに戻ってきたのですから。

結果は7位。彼女は、ボードに表示される得点を淡々と見つめていたそうです。

1994年、『花はどこへ行った』で演技するカタリナ・ビット。

1994年、『花はどこへ行った』で演技するカタリナ・ビット。
写真提供:AFLO